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はじめてのクラス委員

アジフライがなぜ自立心が強いのか、noteに書きましたが、

小学生の頃から、よく担任に班長さんに任命されたのですが、中学生になっても良く班長さんをしていました。

うちの中学は、最初に、班長さんを決めてからメンバーを選ぶ形でしたから、自分が班長さんになるとあぶれる心配がないし、積極的に班長さんに立候補して、仲の良い仲間が離れ離れにならないようにする対策でもありました。

中学1年の担任が社会人採用の社会の先生で、従来の先生らしくなく今まで大人から聞いたことのない広い世界を感じさせていただきました。その影響か、中2病を発症し、教師や大人や社会に抗おうとする中学生だったのです。

実行委員をやったり、生徒会を批判するような新聞部に所属していたりと、多くの同級生と交流する機会が多くて、今までにない情報戦の3年間でした。

高校受験についても、アジフライの時代は、共通テストの成績と、内申の成績で高校を振り分けられてしまう選別方式で、自分が選択して高校を選ぶ事が出来ませんでした。

もう受験をする前から合格が決まっているならと、担任に反抗して、公立一本で私立の併願はしませんと、つっぱねていた中学生時代です。

今思えば、試験当日、体調を崩して受験出来なかったら、人生が一変していたのではないかと、冷や汗たらたらになる思い出です。

そんな中3の時の事です。

急に担任に、生徒会の会計になるか、クラス委員になるかどちらかを選びなさいと言われたのです。

どうやら、生徒会の会計がいなくなって、そういう話になったようなのですが、それはそれは驚きの出来事でした。

今まで生徒会を批判する立場なのに、生徒会の会計という道は無いと考え自分のクラスのクラス委員が生徒会の会計になり、アジフライは、クラス委員となったのです。

初めてのお仕事は、もう、なんなんというお仕事でした。

教室で大勢の男子がふざけて、窓から紙飛行機を飛ばしたんです。

それを男子のクラス委員と二人で、飛行機を拾いに行く仕事でした。

その時思ったんですよね、クラス委員って、雑用なんだな。と。

でも、クラス委員を命じられたのは、今思うと、斜めから社会を見ていたアジフライに対する当時の担任の親心だったのではないかと。

このあと、高校時代と専門学校時代にクラス委員を体験します。高校時代は権力を握って、武勇伝が炸裂します。専門学校では、担任から任命をされ、クラス委員になった事により、人生の分岐点になりました。

その時の話は、また、今度、ゆっくりしたいかと思います。

ああ、子供の学校のPTAでもクラス委員を2回していますよね。

そんなアジフライの子供達は、委員やクラス委員に無縁の性格です。

特に息子福山は、男子の仲間とわいわいするタイプで、リーダーにはならず、その他大勢の立ち位置が好きな感じでしたね。

クラス委員を経験することにより、良かったと思える事は、雑用係が得意になり、自分の売りになった事です。

アジフライは、派閥には入りません。

その話も今度出来たらいいと思います。

それは、にがい思い出ですが、その事件が無かったら今の価値観を持った自分は存在しなかったと思われます。

そんな話もまた今度。

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