体との対話
誰かに暴言を吐くことと自分の体を酷使することは、実は人間の同じ心理から来ている。
自分の思い通りに動かないから腹が立ってキレる。
さらに相手を責める意味で痛めつける。
「うまくいかないのはお前のせいだろ?」
そこには完全な個人のエゴが爆発している。
相手の声を聴くことなくして相互のいい関係は保てない。
一方的な思いをぶつけるだけではコミュニケーションは成り立たない、アタリマエのこと。
感謝感激感動の思いがあれば、相手の声を聞いて、相手の感じることに共感することも可能だ。
同じ目線で同じ立場に立ってみれば見えてくる・わかることがある。
相手が子どもであろうが大人であろうが同じ。
自分の体を一人の人格を持った人間に置き換えて考えてみて欲しい。
「よく頑張ったな」
「無理を聞いてくれてありがとう」
そうやって言葉をかけることをしてあげよう。
連日40~60キロを走る僕のランニングの旅では、その日の走りを終えて、シャワーを浴びながら、自分の下肢に手を当てたりさすったり揉んだりして労うことをこまめにしていた。
実際にいろんなねぎらいの言葉をかけることで、下肢は喜んでくれたり照れ臭がったりしていたのかもしれない。
体は何も言わない…のではなくて、ただ言葉を話さないだけだ。
でも、自分の中で体はきっといろんなメッセージを発している。
それを感じ取ることが一番大切なのだということ。
熱くなって腫れていたり、むくんでいたり、鈍い痛みがあったり…
そういったことから目をそらさないことだ。
分かる人には分かる…体は自分自身の奴隷なんかじゃない。
たまたま、自分自身に与えられたひとつの形として存在してくれていて、ある程度自分の思いを理解してくれる存在。
体の声に耳を傾けよう。
体と対話しよう。
体にありがとうを言ってあげよう。
*アドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦のメルマガ「週刊PEACE RUN」(第478号) ♪ シリーズ「PEACE RUN~人・町・風景・できごと」から
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