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風呂上がりの夜道で、金槌を振りかざした女性に助けを求められ、110番通報した話。(後編)

風呂上がりの夜道で、東南アジア系の男女の喧嘩に巻き込まれ警察を呼んだ。

警官たちが到着すると、通訳だと間違われ、通報者だと理解してもらえるも、結局通訳させられるのであった。


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「じゃあちょっとこっち来て、通訳してくれる?」

「…あ、はい、いいですよ」

「すまないんだけどさ、この女性にさ、何があったのか聞いてくれる?」



たくさんの警察官に腕組みをされ囲まれて、事の重大さに気づいた女性は震えながら胸を押さえ、過呼吸のようになり、他の家のフェンスにもたれかかっている。

ぼくは彼女に近寄り、声をかける。

「彼が、何が起きたのかを知りたいって。ぼくに通訳してくれって頼んでる」

そう言うと、彼女は先程の話を泣きながら再度話した。
早朝から晩まで働いて帰ってきたら、彼には女がいたということ。彼が携帯のその証拠を消そうとするから、携帯を取り返すためにやったということ。

周りの警官たちの数名が、まるでドラマ「フルハウス」の観客たちのような、かなしい同情のため息をもらす。

「あ〜、それで、カッとなっちゃったかぁ…そうかそうかあ」
1番年長の警察官がしみじみとつぶやく。

ぼくを通訳扱いしている警察官が、焦れったそうにぼくに訊く。

「でさ、この人が怪我をしていないかどうかだけ確認してもらえます?」

法に則ってうごく警察官にとって、ストーリーはどうでもいい。
何が起きて誰が怪我をしてどんな被害があるのか。
その事実関係が大事なのであって、背景や思いには価値はない。情に流されず、事実関係を突き止める。
それもなかなかに大変な仕事だなぁ、と思った。
人類が動物のはしくれである以上、警察を呼ぶほどの事件であれば、かならず感情がすぐそばにあるだろう。本人たちが感情的になる場面も多々あるだろうに、事実関係のみに焦点をあてる。


「どこかに怪我はしてない?」

ぼくがそう訊ねると、彼女は首を左右に振って胸を押さえる。

すると年長の警察官がしみじみと言う。

「そうだよねぇ、心を傷つけられちゃったよねぇ…」

通訳扱い警察官がたたみ掛ける。

「怪我はないってことでいいんだね?」

ぼくは念を押すように再度訊ねる。

「傷や痛みはない?君の体に」

すると彼女は首を横に振る。

「怪我はないそ」

ぼくが警察官にそれを伝え終わるやいなや、その女性がぼくに抱きついてきた。
そして、子どものように泣く。
彼女は三十代半ばくらいだろうか。
生まれた故郷を出て、遠い場所で働き、男と暮らし、理解のできぬ言葉に囲まれて毎日いきる。
どんなふうに、今日まで生きてきたんだろうか。
背中を、撫でる。
彼女は泣く。





通訳扱い警察官が、ぶっきらぼうに言った。

「わかりました。ご協力ありがとうございました。もうお引き取り頂いて結構ですので」

「え、あ、は、はい」

突然の通訳任務がおわり、女性はパトカーに乗せられる。身分証明書などの確認をしなければならないらしい。

「ご協力ありがとうございました」

何人かの警察官にそう言われ、なんだかよくわからない気持ちのまま立ち去ろうとすると、年長の警察官に呼び止められた。しみじみしたセリフの警察官だ。

「あのね、ちょ、ちょっと待っててね」

そう言ってパトカーをガサゴソあさり、戻ってくる。

「ご協力ありがとうございました。あのね、これ、よかったらつけてね」

警察官の手には蛍光色の反射板付きのたすきが握られている。

「あ、どうも、いいんですか?ありがとうございます…」

夜のランニングをするのに反射板あったらいいよなぁ、と買おうとしていた矢先だったので、ありがたく頂戴した。









てくてく歩いて、自宅へ戻る。 

散歩に出る前に時計で歩数を測ろうとしていたので、時計を見る。
歩数は100歩にも満たない。
100歩も歩かぬまま、40分ほどが経過していた。

いったい、これはどんなタイプの散歩なのだろうか。名前を知っている方は、ぜひ教えてほしい。
一番近いのは犬も歩けば棒に当たる的なやつなのかもしれない。まあでも、犬も歩けば棒に当たるは意味が諸説あるからなぁ。

がちゃり

玄関を開ける。

「ただいむー」

すっかり冷え切った体で、うつむいてワラーチを脱ぐ。このワラーチという履物はメキシコの部族が長距離を走るときのための履物で、ランナーの間では好みは別れるものの、結構愛用されている履物だ。
ゴムと紐でできた草鞋といったところ。

そのワラーチを脱いでいると、女房がぬるりと現れる。まるで、真夜中にひとりでに玄関が開いたので、おそるおそる確認するみたいに。

「…あ、おかえり…よかったぁ…」

「なにが?」

「いや、なんかな、やけに外が赤いなぁおもってたらな、次々パトカーが来てな、なんやろと思って顔出したら、パトカーのポリ公にな、『このへんで喧嘩してるの知らん?』って聞かれてな、『知りません』って答えたら無視して通り過ぎてってな、なんでタメぐちやねん、ありがとうぐらい言えよボケナスが、って思っててな、そしたら急に不安になってきてん。なんか事件があったんちゃうかなぁ…あんた巻き込まれてへんかなぁって思っててん。こわいでほんま。
でもなんがあっんやろな。めっちゃパトカー来てたで。絶対殺人事件やで、あれ」

ぼくはワラーチを脱ぎ終わり、女房に向き直り、告げる。

「それ、おれなんよ」

「は?…どういうこと?」










現在、ホッキョクグマは地球温暖化の影響で減り続けているのだという。
氷が溶け、アザラシが呼吸のために出てくる穴がなくなり、それを待ち伏せるアザラシ狩りができなくなり、栄養不足の母ぐまの母乳が出ない。
雪ではなく、雨がふるようになり、氷の巣が溶けて住処がなくなり、こぐまは、うえとさむさで死んでゆく。
みんなが知っているあのしろくまは、現在では26000頭ほどになってしまったそうだ。

けれども、地球の裏側の宇宙よりも遠い場所で起こっている、他の種の危機は僕にとって実感がない。
実感がないことは、自分の身には関わりのないことと同じだ。



経験するまで、人はいろんなものに実感がないのかもしれない。わかっているようでわからないことだらけなのだ。
今回は、男の髪の毛が雑草のように毟り取られた実害があっただけだったけれど、もし女性が刃物で、男性をころそうとしていたら、ぼくはどうしてたんだろう。
もし夫婦喧嘩じゃなくて、通り魔が女性を刃物で襲っていたら、ぼくはどうしたんだろう。
どちらにせよ、挫いた足の療養のための散歩なのだ。逃げることはできなかっただろう。
もしかしたら、そういことも、おきていたのかもしれない。



外国人労働者の3人にひとりが差別を受けていると感じているらしいけと、今日の警察官の態度は外国人差別ととられても仕方のないような対応だった。
国の機関である警察が、外国人にとる態度は、国が外国人に対する態度と同等であると思う。

外国人労働者を家賃や制服代などを差し引いて、実質時給300円ほどで働かせているところもあるらしく、そしてなおかつ、日本経済はそのような働き手によって支えられているような現状があるという。

外国人がいないともはや経済を支えられないというのに、まだまだぼくたちは、外国人たちを本当の意味で迎え入れる準備ができていないように感じる。
警察しかり、一人も出てこなかった近所の人しかり。

と、布団のなかで考えてみる。
いろんな、関わりのない、実感のないことを、一気に実感として感じてしまう秋の夜長の湯上がり散歩の一席でございました。







p.s. ワラーチとタイパンツはいてたら、そりゃ東南アジア風の服装になるから、あの男女の知り合いと間違われてもおかしくないし、通訳と思われても仕方ないなぁ、と思うあんこなのであった。



もしサポートして頂けた暁には、 幸せな酒を買ってあなたの幸せを願って幸せに酒を飲みます。