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ゆうれい中華飯店 後編



「はあい!はあい!あらやだっ、ごめんなさぁいね!〇△飯店ですぅ!」

電話に出たのは、高齢の女性の方だった。

なんとなくのイメージでいうと、色白でメガネを掛けていて、白髪で小柄。
そしてなんか、中華料理用の白い割烹着を着ていそうで、喋り方から察するに、80代のあわてんぼうでおっちょこちょいなおばあちゃん、と、そういう感じ。

「…あ、あのう、すみませんが」

誰も電話には出ないと思っていたので、いや、それよりもまず電話はかからないと思っていたので、ぼくは何と言うべきか困惑した。
中華飯店のおばあちゃんはそれに反して朗らかに返事をする。

「はあい!」

「あの、えっと、営業って、その…されてるんでしょうか?」

「ふふ!はあい!もちろんやってますよぉ!」

(…もちろん?いっつも開いてなかったじゃないか)

「…あ、そ、そうなんですね…そっか…じゃ、じゃあ、いまからその、ひとり、行きますけど、いいんですかね…その、行きますけども」

「はぁい!お待ちしておりまs ガチャ 」

電話は唐突に切れ、突然無音の世界が広がる。
実際に電話は繋がったけれど、まだあの廃墟が中華飯店であるという実感は持てない。
そして、行くとは行ったものの、行って廃墟だった場合には、どういう顔つきになればいいか分からない。
不安を抱えながらぼくは、廃墟であり、〇△中華飯店両方の可能性をもつあの場所へと向かった。
まるでシュレディンガーの猫だ。
箱を開けるまでは、猫は生きているか死んでいるか分からない。たどり着くまで、廃墟なのか中華飯店なのか分からない。





点滅信号の田舎道を通り、デイリーヤマザキを越え、売れ残りの中古自動車の群れを右に曲がる。
雑草だらけの駐車場、ん?雑草がない。

ぐずんぞざぞぞぞ

車を砂利の駐車場にすべりこませる。
車を停め、キーを抜く。
ドアを少しだけ開ける。
ぴーぴーぴーというドア開いてますよ警告音が鳴る。
その状態で、店を睨む。
ほんとうに、やってるんだろうか。

カルシウムか砂埃で白く変色したガラス戸。
よく見ると、その取っ手のところに、白い板に青字で「営業中」の文字があった。営業中?
今まで、この場所でこんな札をみたことがない。
もしかしたらほんとに、営業、しているのかもしれない。けれど、中の様子は見えない。それに人の気配もない。

車を降り、ドアを閉める。
ガラス戸の前に立つ。
アルミの取っ手に手をかけ、ガラス戸を、ゆっくりと、開ける。

がちゃらがちゃらららら

あ、開いた。

























「あらいらっしゃいませぇ!おひとり?どうぞぉー!」


小柄で細身で眼鏡をかけた70代半ばくらいの女性。半袖の調理用白衣に、栗色に染めた髪の毛。素朴ながらしっかりとしたお化粧。

店内はカウンターが10席で、4人掛けテーブルが6卓ほど。店の奥ではお昼の何らかの番組が放送されていて、年配の女性タレントがどこかの町で有名らしいスイーツにかぶりついている。

そして、カウンターの向こうでは、白髪の70代くらいの男性が、何やら野菜を切っている。

じゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃ

カウンター沿いの天井の壁には、黄色い札に黒い筆文字でメニューが書かれている。
ぼくは卓につきながら、ふたりを凝視し、椅子や胡椒入れに触る。うん、たしかにふたりも、椅子も胡椒入れも存在している。
廃墟でも、幽霊でもない。



こと



唐突に、ガラスコップの水が卓に置かれる。
少しびっくりする。

「いらっしゃいませ、あ、あのね、うちね、ランチもやってるんだけどね、あらやだ、見えるかしら、ふふっ、あのね、奥の方にね、あるの、ほら、あそこの角の、そうそう、ごめんなさいね、小さい文字でね。ふふ、あ、あとはね、そこの、上の、黄色の、そう、あちらの黄色いメニューもね、お作りできるのでね、決まったらね、お呼びくださいね」

おばあちゃんはなぜだか猛烈に照れ臭そうにしながら接客をする。
ぼくはカウンター上の黄色い札の中に、「みそかつ」というメニューを発見する。
ん?中華料理店のみそかつ。なかなかに興味をそそる。

「あの、みそかつって、できますか?」

「はい!できますよぉ!みそかつ一丁!」

おばあちゃんが厨房の野菜おじいちゃんに声を掛けると、おじいちゃんは肩をすくめ、下唇をつきだし、自分の鼻の前で両手の人差し指を重ね、とてもちいさなバツのマークを作った。ない、ということらしい。
おばあちゃんは、小さく「あらやだ」と言って、こちらに向かって同じような顔をして、それを見たぼくも同じような顔をした。

「じゃ、じゃあ、炒飯と、中華そば、で」

「ゴメンナサイね、炒飯、そば一丁!」

「はいよぉぉお」

おばあちゃんが元気よくオーダーを通すと、おじいちゃんは小さい声で返事をする。 

メニューにもこだわりがあった。
炒飯の下にはふりがながふってあるのだが、普通であればチャーハンのところを、チャーファンと中国語の読みに近い形で表記されている。
そして、壁も、メニューも、卓も椅子も床も時計も、全てが昭和そのものだ。
ここで昭和の映画のロケをしても、なんの違和感もない。なかなかこんなお店は残っていない。隣の卓を拭いていたおばあちゃんに声を掛ける。

「あのう、ここって、何年くらいされてるんですんですか?」

「あらやだ、ここ、古いでしょう。ここはね、もう50年くらいになるわねえ」

「50年??へぇー、すごいですねぇ。あ、あの、ぼく、何年か前から知ってて、何度か来てて、で、前通っても閉まってたんですけど、長らく休業とかされてたんですか?」

すると、おばあちゃんはきょとんとした顔をする。

「休業?いいええ?あさ11時から夜10時まで。日曜日だけお休み頂いてますけどねえ」

ぼくもきょとんとした顔をして、へえ、と曖昧に何度か頷く。毎回日曜日に来てて廃墟だと思ってたということか…。
でも廃墟感すごかったよなぁ。

店の奥の黒電話が鳴る。
おばあちゃんが、あらやだ、と小さく叫んで、てつてつと黒電話へ駆けてゆく。
昭和の空気が、とことんながれている。
とにかく懐かしい。


料理が来る前に、トイレを済ませておこうと席を立つ。店の奥の戸にお手洗いと書かれた白いプレートがある。
厨房の脇を通り、戸に手をかける。

すると、厨房の端の暗がりに、何かが見えた。
厨房の端に段ボールが敷いてあり、そこに何かが置いてある。それは、ゆっくりと膨らんでから、ゆっくりとしぼむ。
なに?

よく見ると、灰色や雲色や茶色で編まれた、古い鞠のようなものが、転がっている。
厨房に、鞠?
いや、っていうか、いま膨らんでなかった?

すると、その鞠がくしゃみをした。
更に目を凝らすと、その鞠と目があう。

にぎー

赤い舌と白い歯を見せて、鞠が鳴く。





暗い廊下を通り、暗い和式便所で用を足す。
手を洗い、暗い廊下を通り、席に戻る。

「おまちどおさまでしたぁ。中華そばと、炒飯ねぇ。どうぞゆっくりしてってねぇ」

ちょうど出来上がったらしく、おばあちゃんが、料理を卓に置く。


 中華そばは、見た目のあっさりした素朴な感じに反して、出汁も味もかなりしっかりしている。
麺は硬めのちぢれ麺で、スープが良く絡み、もやしに負けない歯ごたえで旨い。
今まで食べた中華そばの中で一番好きかもしれない。旨い。

炒飯はパラパラで、具はネギと卵とハムのみ。
こういうのがいい。
これまた素朴な素材と味付けながら、ちゃんと炒飯の大事なところをおさえてくれている。熱々でぱらぱらで、味付けも丁度いい。この甘みは砂糖を隠し味に入れているらしい。うん。いい。ひとくち口に含み、はふはふ。はらりと米と具材と旨味がほどけていく。うん。旨い。

んー。

なんでこんなにいい中華料理屋に、今まで来ることができなかったんだろう。廃墟どころじゃない。
んー。
もったいなかったなぁ。



夢中で中華そばと炒飯を平らげてしまった。
おしぼりで額の汗をぬぐい、水を飲む。
ふぅ。
旨かった。 
かなり旨かった。
50年もこの味を守ってきたなんて、もはや人間国宝だ。

「ご馳走様でした」

レジへ向かう。
おじいちゃんが向こうでありがとうございますと言い、おばあちゃんがつてつたとレジへ走ってくる。
厨房の奥の鞠が、こちらを見る。

「ありがとうございましたぁ、850円ですぅ」

小銭を出しながら、

「奥のあの子、厨房で大人しくしてるんですねぇ」

と、言う。

「あのこ?あら、みーちゃんのこと?」

(あ、そういえばレビューで看板娘のみーちゃんがどうのこうのって書いてあったなぁ。あいつのことか。)

「あ、そうです。あのこです」

「あの子ね、もう後期高齢猫よ、もう20歳になるかなぁ」

「20歳?すごい長生きですねぇ」

「そうなのよ。営業中はね、ずっとあそこにいるんですよ。たまにね、カウンターの椅子に座ったりするんですけどねぇ。あそこが好きみたいでねえ」

おばあちゃんとぼくで鞠のような猫を見つめていると、鞠猫が伸びをして立ち上がり、レジの方まで歩いてきた。
そして、出入り口の前で外を向いて、座る。


「あら、みーちゃん、でてきたの?お外行くの?珍しいわね、あら、一緒に行きたいの?」

「だ、大丈夫ですか?に、逃げないんですか?」

「大丈夫大丈夫。いつもね、外でひなたぼっこしたりするんですよ。入口はね閉めちゃって大丈夫。裏にもね勝手口、ありますからぁ」

「へぇ、なるほど。いいですねぇ。じゃ、じゃあ、ごちそうさまでした。ありがとうございます」

「ありがとうございましたぁ!お気をつけてぇ!」

表に出ると、やはり鞠猫もついてきた。
尻尾を挟まないように、戸をゆっくりと閉める。


にぎー


「あんたいいねえ、中も外も自由に行き来できて」

ぼくはそう声をかける。
鞠猫は両手をコンクリの上に突き出し、お尻を高く上げ、口をこれでもかというほど大きく開いて伸びをする。


ぼくは車に乗ろうとドアハンドルに手をかける。






「あんた、ずっとうちのことかぎまわってただろ」







不機嫌そうな声がした。
声のした方を見ると、丁寧に座り直した鞠猫がこちらを見ている。
思わず、店の方や、あたりを見わたした。
けれど、誰もいない。

…自転車で、誰かが電話をしながら通り過ぎたのかもしれない。

車のドアを開け、乗ろうとする。


「あんた、うちのこと、幽霊中華飯店とでも思ってたんだろ?」


もう一度声のした方を見る。
鞠猫がいる。

「へんなふうに書いたら、ただじゃおかねえ」

ぼくは、眉をひそめ、首を傾げ、鞠猫を凝視する。すると、鞠猫は自分の耳の後ろあたりを後ろ足で掻こうとしながら、やっぱりやめて、こう言った。

「ぐるぐるのやつ、へんなふうに書いたらただじゃおかねえんだ」

そして、ぷいっと、店の裏の方へ歩いてゆく。
お尻の穴を、灯台の明かりのように、こちらに向けながら。








ぼくは車に乗る。 
エンジンをかけ、ギアをバックに入れ、

ずざんぞぞぞ

駐車場を出る。
ウィンカーを出し、左折し、点滅信号を越える。





ぐるぐる?








ああ、Googleのことか。

Googleには書かないけど、noteには書いとこ。

また来よ。
ここ。














おわり

















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