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しあわせな家

この店でいいのかな。うん、店の名前はあってる。木の扉を開ける。

からっ 軽快なドアベル。

あのぅ、すみません、19時で予約していた者なんですけど。

いらっしゃいませ、お待ちしておりました。奥の席お取りしておりますので、どうぞ。今日は冷えますねぇ。足元ヒーターお点けしときますね。

奥の席まで歩く。無垢の板張りの床と、靴の底がぶつかる木の柔らかい音。

こむ こむ こむ こむ

木の優しい色合いの店内。なんだか落ち着く。

そしてこの店員の女性。昔から知っている友人に接するように接客してくれる。マスクをしているけれど、目だけで笑っているのがわかる。

カウンターの内側の厨房。中ではテディベア、というか素朴な熊みたいなシェフがパプリカを刻んでいる。私に、いらっしゃいませ、と挨拶する。この人も、私を古い友人のように見る。心地よい店だなあ、とわたしは思う。

席に座ると、お冷と、湯呑みにお茶が出された。え?イタリアンなのにお茶?わたしは二度見した。たぶん怪訝な顔をしていたからだと思う。さっきの店員の女性が、

寒そうにしてはったから。よかったらどうぞ、ほうじ茶です。ちょっと温まってください。まだ19時までお時間ありますし。

と説明し、目で笑って厨房へ消えた。え、優しい。

白い卵のような質感の湯呑み。かわいい。センスがいい。その湯呑みを両手で包み込む。おじいちゃんが使っていた大きな湯呑みに入れてくれた、おばあちゃんが作る生姜湯。私の小さな手で湯呑みをもって、炬燵でふうふうして飲む。

そんな空間ごとの温かさが一杯のほうじ茶にあった。

ふうふうして、一口飲む。

焙じた茶葉の香ばしい香り。苦味。甘味。

東京でのちょっと忙しい毎日や寒さで、強張っていた肩が、解れていく。おいしいっ。な、なにこれっ。え、これほんとに、美味しい。

「すみません、あのぅ」

「はいっ!」

「あのぅ、このお茶、ありがとうございます。とっても美味しいです。びっくりしました!」

「ほんまですか?よかったです。私たちが休憩中に飲んでるお茶なんですよ。暖まりますよね。ほうじ茶。」

「はい、いや、ほんとびっくりしました。どこのお茶なんですか?」

「京都の小山園さんのほうじ茶ですよ。」

「へぇ、メモしときます!いや、ほんとに、びっこりしました。ありがとうございます。あ、あの、、びっくりとほっこりが混ざっちゃって、なんか、言い間違いです。はい。」

恥ずかしい・・・。店員の女性はにっこり笑って、また下がった。


12月24日も、25日も、彼とはお互い仕事で会えなかった。今日26日でお互い仕事納め。だから、12月26日に、お互いの中間地点で会おうよ、ということになった。

彼が指定したのは大阪。店も予約してくれた。

私は東京から。
彼は広島から。


からっ

軽快なドアベル。コートを来た男性。

いらっしゃいませ。シェフが厨房から、ずかずか出てきて、

「なんやお前高そうな革靴穿いて、時計もなんやええもんつけて、めっちゃ大人やん。ひっさしぶりやなぁ、ほんまに!」と言って、その男性にハグをした。嬉しそうな顔。さっきの女性も、彼に近寄って行き、「ほんまに、なんか、立派な営業マンって感じやなぁ、あ、奥で待ってはるよ、女の子。」と、優しそうに彼を見つめ、伝えた。

コートの彼も照れた笑いを浮かべながらも、とっても嬉しそうだ。シェフと奥さんが、私が座っている席に彼を促す。彼と目が合う。彼は私に笑いかける。

「佳那、ごめん、待ったよね。」

「いや、ぜんぜん。さっき来てめちゃくちゃおいしいほうじ茶飲んでたの。」

「あ、小山園の。おいしいよね。それ。」

シュウはコートを脱いでハンガーに掛けながら言う。なぜだか私は照れて、シュウを見れない。二ヶ月ぶりだから?それとも、なんかまた大人っぽくなったから?髪切って印象変わったから?え、でもなんで小山園って知ってるんだろ?常連だったのかな。ここ。


厨房に戻ったシェフが、シュウに話しかける。

「シュウ、飲み物、ドンペリでええ?」

「いや、僕がホストに見えます?令和のしがないサラリーマンっすよ。コロナっすよ。不況っすよ。飲めるわけないでしょ。」

シュウはシェフに軽快につっこむ。楽しそう。え、シュウってこんな一面もあるんだ。なんか、意外。

「シュウってここ常連だったの?」

「いや、常連っていうか大学の時働いてた。だから今日も賄い価格で800円払えば食べ放題。ですよね堀さん??」

シュウは言葉の最後の方を大きく言って厨房のシェフに言葉を投げ掛けた。

「うん。そうやで。白米食べ放題。」

「いや、イタリアンで白米食べ放題なんて誰が来るんすか。僕ら大学ラグビー部に見えます?とんかつ屋すかっ。」

厨房のシェフと、女性の方と、シュウが笑う。家族みたい。シュウ、楽しそう。

コートを掛けたシュウが、カナ、こっち来て、とカウンターの方へ私の手をひく。冬の空気に冷やされた、彼の冷たい手。でも私は突然手をひかれて、顔が熱くなる。ちょちょちょっっと。なになになに。

「堀さん、佑子さん、会社の先輩で、東京で働いてる、佳那です。」ちょっと、紹介するなら先に、紹介するから来てとか言ってよ、もう。

「はじめまして。あの、彼が働いてたお店ってさっき知らされて。すみません。お世話になります。佐伯佳那といいます。」

カウンターの内側から、シェフが出てきて、佑子さんと並ぶ。

「堀です。妻の佑子です。シュウは、ここのオープニングスタッフだったんですよ。」

私はお辞儀をする。なんだか堀さんは照れてるように見える。

「いや、無理して東京のことば話さなくていいすよ、うさんくさいイタリアンシェフに見えますから。ほらなんか、いたでしょ、スピリチュアルカウンセラーのおっさん。あんな感じに見えますよ。」シュウが茶化す。やかましーわと堀さんが言う。

「こんなこと聞いちゃってもええんかなぁ?シュウ君とカナさんは、先輩後輩以上なの???さっき、佳那って紹介してたから。先輩のこと、呼び捨てにはせえへんやんなぁ?」ユウコさんがシュウと私を見ながら、ニヤニヤしてシュウに訊く。おっとりしてて上品で気が利いててきぱきしてて、綺麗で、そしておちゃめな女性。ずるい。女の私が惚れそう。

「まぁ、そうすね。遠距離すけど、2年くらい、付き合ってます。」

「えー!遠距離で先輩後輩で、めっちゃ素敵やん!なんか聞いてるこっちがどきどきしてまうわ。またあとで話聞かせてや。メニュー持ってくね。」

「ユウコ、メニューええわ。シュウ、コースで出そか?今日黒門市場でめっちゃええのん仕入れてきてん。」

「黒門市場なつかしいー!コースでいいですよ、お願いします。佳那なんか食べれんのある?」私は首を横に振る。

「よっしゃ、じゃあ、めっちゃええのん作るから待っとってな。食前酒サービスするわ。」

あざーすと、シュウが言って、シュウと私は席につく。ナイフやフォーク、グラスが並べられる。そしてしばらくすると、佑子さんがボトルをもって現れる。コルクをぎゅぽんっと外し、ふたつの細いシャンパングラスにその液体を注ぐ。ピンク色の炭酸の液体。きれい。注ぎ終わって、ボトルを置く。ピンクのラベル。モエ・シャンドン・ロゼ。

「え、佑子さん堀さん、食前酒サービスって、シャンパンやないすか。え、モエ、え、いいんすか?」

シュウがそう訊くと、堀さんはこっちを見ずに犬を追い払うような仕草をする。しっしっって。飲め飲めって意味なんだろうな。照れ屋なんだな、堀さんは。私もシュウも、二人にお礼を言う。

ここで、シュウは、育ったんだな。どんな大学生だったんだろ。あとで聞いてみよう。なんかとっても居心地がいい。はじめて来た場所なのに。

次々と料理が運ばれてくる。蒸し野菜のバーニャカウダ。

茄子とズッキーニとトマトのはさみ焼き、バルサミコチョコソースかけ。これは野菜そのものの甘み、そこにバルサミコの酸味とチョコレートの甘味が足されて、デザートみたいな美味しさだった。でも、塩味がきちんとあるので、あまじょっぱくて私の好み。

これな、黒門市場で買うた時な、生きててん。今貝殻開いたとこやねん。寿司でも食べれんで、これ。と堀さんが言って、ホタテと辛子菜のサラダを持って来た。ガラスの器に、ホタテと草原みたいな色の辛子菜。エメラルドのような綺麗な濃いオリーブオイルと、塩、レモンの皮、ほんの少しピンクペッパー。おいしそう。。薄くスライスされたホタテにフォークを通すと、すごい弾力。ゆっくり噛むと、辛子菜と合わさり、上品な味わい。そしてホタテのねっとりとした甘味が広がる。シャンパンを飲む。やばいっ。シュウに目で美味しさを訴える。シュウは、堀さん、これやべえっす。大問題っす。これやべえっすよ、ってずっと言ってる。堀さんはにやにやしながらまな板の上でなにかやってる。にやにやしたどや顔。にやにやどや顔熊さん。

肉料理には、ミラノカツレツ、レモンソース添え。みずみずしいクレソン、薄切りのトマトが添えてあり、少し大きめの粒の岩塩がかかっている。なんか、スタートから全体的に野菜を多くいれてくれてる。健康的なイタリアンだなぁ。

サクッと、カツレツにフォークが通る。ポークの中にチーズが挟んである。ゆっくりと頬張る。レモンソースの爽やかな酸味。これは、バターとレモン汁とレモンの皮かな?バターの濃厚さとレモンの爽やかさが、付かず離れずの距離を取りながら、チーズとカツをうまく取り持つ。なんかこう、子供の買い物を遠くから見守る両親みたいな感じ。

クレソンもトマトも、岩塩の食感が残っていて、歯応えが面白い。一口食べたら口の中すっきりして、次のカツが進む。そしてここで白ワイン。チリのシャルドネ?なんだろよくわかんないけど、フルーティーでまったりしてて、カツレツに

「佳那、食ってばっかで全然話さないじゃん。」

目を瞑って味わっていると、男性の声が聞こえた。シュウだ。いや、忘れてた。美味しすぎて。

「ごめんごめん!途方もなく美味しすぎてここがどこか一瞬忘れてた。」

「課長になってなんか、天然っぽくなってない?佳那。」

「そうかなぁ、まぁ、でも、なんか、そうかもしれない。今までは力んでたかもしれないけど、肩の力は抜くようにした。人は助けてくれるし、私も出来ないことたくさんあるし。出来ないことで落ち込むより、出来ることもっと磨いていく方がなんか楽しいでしょ。」私は次のカツレツを頬張った。

「うん、それはいいんだけどさ、二ヶ月ぶりの彼氏と合うのに、肩の力抜きすぎるのもどうかと思うよー」

シュウは私が口のなかに頬張っていたカツレツを、頬の上からつまみ、いたずらっぽく笑う。カツレツが噛めない。頬張ってる自分が恥ずかしくなって少し暴れた。

途中で堀さんや佑子さんが仕事の合間にこちらにきて一緒に会話を楽しんだ。堀さんも佑子さんもいい人たちだ。なんだか、ここに座ってると、私も二人の子供なんじゃないか、もしくは親戚なんじゃないかと思えてくる。不思議なお店だ。


アクアパッツァ風のスープ。これでもかというくらいの魚介の旨味。体を、内蔵を優しく温めるスープ。五臓六腑に染み渡ると言いそうになったけどシュウにバカにされるからやめた。

シュウが賄いで好きだったという、ボンゴレビアンコ。ほんのりガーリックと、ほんの少し青唐辛子がいれてあった。なんだか、貝たちが胸を張ってるように思えるほど、おいしいパスタだった。

デザートには、佑子さんが作ったカラメルたっぷりの濃厚なプリンと、佑子さんの親戚の酒蔵から送られてくる純米大吟醸の酒粕で作ったジェラートが出た。食後の飲み物なににする?って聞かれて、シュウはエスプレッソ。私はさっきのほうじ茶を注文した。

カラメルの苦味と、プリンのまろやかさにノックアウトされ、酒粕ジェラートは、飲み込みたくないおいしさだった。そこに、ほうじ茶。まだ二時間しかたってないのに、4日分の食事をしたような、濃厚な時間。贅沢な時間。なんていいシェフなんだろう、なんていい奥さんなんだろう。なんていい店なんだろう。あ、、また、意識が飛んでた、シュウを恐る恐る見る。やっぱりばれてた。にやにやしながら私をみてる。くそうこいつ。年下の癖に。後輩の癖に。部下の癖に。生意気だぜ。私はまた少し暴れた。


店を出るとき、お二人とも見送りに来てくれた。堀さんはシュウと電柱の影に二人で隠れてこそこそ話をしてる。佑子さんはそれを見ながら、なに話してるんやろなぁ、あの二人。中学生みたいやなぁ、と私に笑いかけた。

「佳那ちゃん、なんか初対面なんやけど、最初に店に入って来たときから他人やと思われへんかってん。なんかええ子やなぁ、いいご両親なんやろなぁ、いいおじいちゃんおばあちゃんに育てられたんやろなぁ、って思ってん。なんかなぁ、ごめんなぁ、私も年なんかしらんけど、なんか、ほんと娘みたいに思えるわ。佳那ちゃんのこと。」

そう言って佑子さんは私を優しく抱き締めた。しばらく地元にも帰ってなかった私は、優しさに触れてなんだか泣きそうになった。

あ、これ、めちゃめちゃ気に入ってくれたみたいやから、また飲んでな。と、佑子さんは小さな紙袋を手渡してくれた。

「え?私にですか?」

「そう、さっきのほうじ茶」

「え、ほんとにですか!嬉しいです!ありがとうございます!」

堀さんとシュウが戻ってくる。なに話してたんだろう。

「君たち一体影でこそこそ、なに話してたん?」佑子さんが言う。

「いや、まぁ、なんか、あれやで、ほら、セサミストリートのほら、なんや、な?シュウ。」

「いや、西日本にセサミストリートから嘘を繋げられるやついますかね?!逆にようそこでセサミストリート出てきましたね。まったく嘘に使えなさそうなフレーズを。」

「それじゃ、佳那さん、シュウを頼みますよ。こいつ、人がめちゃめちゃ真剣な話してるときにパズドラとかするクズやけど、だいたい45%はいいやつなんでね。」

「いや半分以下やないすか、いい人率。」

温かい二人に見送られ、ほろりとしたり、たくさん笑ったりして、そして何よりおいしいものをたくさん食べて、あっという間の時間だった。私は、シュウと腕を組んで歩き出す。

店を出て、大阪天満の町を歩く。年末だから、どこも忙しそう。昔ながらの古い立ち飲み屋さんや、今流行りの立ち飲みバルや、チェーンの居酒屋。さまざまな店が立ち並ぶ。大きな声がそこかしこで聞こえてくる。

それなのに、シュウは何もしゃべらない。ん?何か怒ってる?寒いからかな?駅までの道、お店とお店の明かりの隙間。ほんの少しの暗闇。

私もシュウもほんのり闇。そこでシュウは立ち止まる。どうしたのって訊こうとすると、シュウは私を抱き締め、そして私の唇を吸う。十秒ぐらいそうやって私は体の自由を奪われた。でも、シュウが唇を離しても、抱き締めるのを解いてまた歩き出しても、まだ体の自由は効かなかった。

「ふぅ、ずっとこうしたかった。今日。朝から。いや、二ヶ月前からか。店でもずっと我慢するの大変やってん。ふぅ、なんか少し落ち着いた。行こ。」清々しそうな顔をするシュウ。いや、こっちは落ち着かないし。ふらふらするし。

二人で電車に乗る。シュウがここで降りる、と言った駅で降り、しばらく歩いて、大きなホテルの前についた。

「え?ホテルってここ?」

「うん。予約しといた。」

「え、高そう。」

大きなビルの、大きなガラス張りの、綺麗で上品な明かりが漏れるホテル。清潔な制服を着た従業員たちがゆっくり歩き、優しい笑顔をたたえるホテル。

ビルのてっぺんを見上げると、半月が少し顔を覗かせた。 



続く

不確かな約束

スピンオフ作品です





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