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「つくね小隊、応答せよ、」(55)

島内に残る日本兵の敗残兵の調査に出たマシュー分隊は、日本兵のものとおぼしき銃声を聞いた。


銃声がしたのは、島の東部と西部の境目にある滝の辺り。
そのあたりを目指し、海岸沿いを北上してゆくと森のなかに川を発見し、海岸沿いを北上するルートから、川を北上するルートに進路変更した。

川を遡るにつれ、川の流れる柔らかな水音よりも、図書館の本を同時にめくったような騒がしい滝音が、徐々に大きくなってゆき、音の情報が徐々に狭まってきた。
風の音や、海の波の音や彼らの足音は、霧につつまれるように滝の音にかき消されてゆき、そしてやがてマシュー分隊は、騒がしい滝へ到着した。

滝壺は、森に囲まれている。もしマシューたちが聞いた銃声がおとりだとすれば、彼らは簡単に包囲され襲撃されてしまう、全員が銃を構え、円形隊型を取り、ゆっくりと滝壺の広場に侵入する。

その滝壺のすぐそばに、何者かが横たわっているのが見えた。装備の様子からすると、日本兵のようだ。マシューがとっさに手をあげ、身を低くし、隊は森の中へゆっくりと後退した。横たわっている者がよく見えるように、森のなかを静かに進む。
全員が息をひそめ、横たわっている相手を注視しながら、周囲を警戒し、前進する。横たわっている日本兵は完全に眠っているのか、少しも動かない。
マシューは茂みのなかで再度手をあげ、隊を停止させ、周囲を警戒しながら、小石を投げた。
小石は、横たわっている日本兵に当たる。熟睡しているように、相手はびくともしない。
隊はもう少し進み、違う角度からもう一度よく見てみた。すると、横たわった日本兵は血を流している。血液の色からして、鮮血ではなく、出血してから時間が経っているようだった。どうやら死んでいるらしい。
マシューたちはゆっくりと日本兵の死体に近づいてゆく。

「触るなよ、トラップかもしれん」

マシューが小声で小さく言い放つ。
多くの米兵たちには戦利品として戦場の品物を持ち帰る癖がある。国旗や日本刀、時計や銃や、金歯や銀歯などだ。
それを見た日本兵たちは、米兵がほしくなるような品物をわざと残し、それに地雷や手榴弾を仕掛けるようになった。
マシューはその可能性を考え、さわるな、と指示をした。
皆は周囲の森を凝視し、日本兵が潜んでいないか身を固くしながら、死体へと近づいてゆく。

周囲を警戒し、草木の動きや、動物たちの鳴き声や、風の匂いや、地面の様子などから、周囲に異常がないことを確認し、マシューは、手を上げて、
「よし、銃をおろせ」
と、言った。一同は、肩の緊張を解き、銃を下ろす。

死体は横向きの腹這いで横たわり、日本兵の使うライフルを構えている。マシューが死体を自動車の修理をするような目付きで眺めると、アロが一歩踏み出し、マシューに報告する。

「どうやら、彼が発砲したようですね」

「なんでそう思う?」

マシューが理由を尋ねる。すると、アロは日本兵の持つライフルの銃口の先の朽木を、自分の銃口で指し示した。
朽木には、銃痕が残っている。

「そこに、銃痕があります」

マシューは二、三度頷いた。
「たしかにあるな。だがアロ、こいつはいったいどうやって引き金をひいたんだ?」

マシューは銃口を、日本兵に向ける。
腐敗し、皮膚は黒く腫れ、あらゆる虫がたかり、腹部に大きな傷からは内臓が突出してしまっている。死後何日も経っていて、つい数時間前に発砲したとは思えない。

「死後硬直で指が動いたとか?」
と、セルジオがふたりの会話に入ってきた。

「うーん。死後硬直は二十四時間で解けるので、この腐敗状況だと、死後硬直と発砲の関連性は低いです」
と、アロが答える。

「じゃあ、そこのワニたちが偶然引き金を踏んだんだろ」
と、チャーリーも参入した。
ワニ?と、その場にいた全員が首をかしげたが、チャーリーが銃口で指し示した先の、滝壺の付近の草むらのなかに、子ワニたちが潜んでいるのがみてとれた。よく見れば、日本兵の指には、子ワニたちがかじりついた痕もある。アロはそのワニたちを見ながら続ける。

「そっちの方が現実味がありますね。ワニが引き金を踏んだのかもしれません。でも、いったい彼はこんなとこでなにをしようとしてたんでしょう」

「もっと離れたどっかで、攻撃受けて、逃げる途中で力尽きたんじゃないのか?」

セルジオがアロに言うと、アロは頷いてすぐさまそれに返答した。

「でも、これほどの深手を負って、どこかからここまでたどり着いた割には、血痕や足跡がまったくないんですよね…」

一同が周囲を見渡す。
確かに、日本兵の死体の周辺には、足跡も血痕もひとつも残されていない。

「この匂いじゃ、こいつが風呂に入らなくなって10日以上、2週間以内ってとこだ。2週間もたってりゃ、雨も降る。それで足跡も消えたんだろ」

マシューが日本兵の死体のそばにしゃがみながらそう言うと、アロたちは納得した。ほかの兵たちは遠巻きに眺めているだけで近づかないが、チャーリーは日本兵のえぐれた腹のなかを横から覗きこむ。

「砲弾がこいつの立ってた場所から5メートルの位置に着弾。吹き飛ばされた砲弾の破片が、腹をぱっくり割りながら、パジャマパーティーのクラッカーみたいに飛び散った。そしてこいつはこの滝のそばでピニャコラーダがのみたくなって、必死でここまで歩いてきたらしい。
この傷ではそう遠くまでは歩けないはずだから、近くに砲撃跡があるんだろうな」





「なあ、ここで奇襲をかけるのはだめなの?」

仰向けの仲村が、仰向けの渡邉に小声で訊く。
三人は、滝の上の茂みに潜んでいて、下の滝壺では、米軍の分隊の十数名が、日本兵の死体を眺めながらあれこれ話し合っていた。
滝のしぶきや高低差で、滝の方からは三人の姿は見えにくくなっていて、伏せてしまえば完全に姿を隠すことができる。

東側の島との境目にある砲撃された戦車のあたりには、複数の日本兵の遺体があった。
彼らはその名も知れぬ遺体に協力してもらい、発砲した三八式歩兵銃の銃声で彼らをここにおびき寄せ、その銃声が人為的なものではなく、偶発的な暴発であると、米兵たちを欺くことができた。
米兵たちにここを、日本兵が潜伏していない安全な場所だと信じさせ、やりすごすことができれば、次の地点に向かうはずだ、というのが渡邉の読みだった。
米兵たちが発砲した銃声を頼りに米兵たちを探すよりも、あちらからちらを見つけてもらい、そして立ち去ってもらう。
渡邉たちにとってはそれが最も安全な方法だ。

現状、米兵たちは周囲に渡邉たちが潜んでいるとは思っていない。
ゆえに奇襲が有利な状況だが、自分達の存在を消すという思惑がうまく行っている。渡邉はゆっくりと答えた。

「もし仮にここで奴らを殺せたとしても、やつらは位置をその都度報告しているはずだ。奇襲した時点で彼らは無線連絡して立ち去り、いずれここは砲撃される。そして俺たちはふりだしに、」

清水があとを続ける。
「戻っちゃうってわけだな。ここでやつらを殺して、勝ったところで、って話なんだよ」

この米兵たちに勝ったところで、彼ら三人にはこの島を脱出する手段がない。なんとかして生き残り続けなければ、島を抜け出すことも、未来に起こりうる可能性にしがみつくこともできない。彼らは、勝つことよりも、常に負けないことが重要だった。

「そうか。じゃあさ、奴らがここを離れるまで、俺たちはここに隠れてなきゃなんないの?」

「ああ、そうなる。あいつらの様子からすると、今夜ここで夜営するようだから、明日の朝まで俺たちもここに潜んでいることになる」

渡邉たち三人の耳元のすぐそばを、小川の水がころかろろと音をたてて流れ、ずざんざざあと、滝壺へ落ちてゆく。三人は瞑想するように、黙って仰向けになり、木々の隙間から見える空を見上げた。





翌日、マシュー分隊はさらに北上を始めた。全員で横一列になり、日本兵の痕跡を探しながらゆっくりと進む。

そして彼らが出発したのを確認してから、渡邉たちは彼らを尾行開始した。500メートルほどの距離をとり、つかず離れずついてゆく。
このようにマシュー分隊が使用した夜営地で夜営し、彼らが歩いた跡を歩いてゆけば、渡邉たち三人の形跡を消すことができ、米兵たちが近くにいる状況では艦砲射撃を受ける確率は格段に低くなる。
ただし、この方法でいちばん重要なことは、米兵たちに決して気取られてはいけないということだった。


その日の夕方、米兵たちが野営地を決めたのを見計らい、三人はそれぞれ食料調達にでかけた。

渡邉と清水は近場でヤム芋の群生地を見つけたので、それを掘り返し、自分たちの野営地に持ち帰った。

「渡邉!見られちまった!」

仲村が渡邉たちの元へ駆け込んできて、泣きそうな顔で叫んぶ。

「見られたって、完全に見られたのか?目があったのか?」

ヤム芋を切っていた渡邉が手を止めると、仲村は肩を上下させながら慌てて答える。

「うん。完全に、見られた。鉢合わせした。タバコ屋のばあさんぐらいの距離でいきなり出てきやがった!そしたら敵さんびびって、尻尾巻いて逃げてった!どうやら一人だけ後方の哨戒にまわされてたらしい。なあ、どうしよう!」

渡邉は考えた。
見られてしまった以上は、その分隊がこちらへ向かってくるか、無線連絡で増援部隊が送りこまれるか、艦砲射撃が放たれるか、の3つの可能性が考えられる。
それならば、哨戒中の兵をさきに見つけ出して殺し、遺体を隠蔽するほうが三人にとっては都合が良い。

「その哨戒中の兵が本隊に合流するのを阻止せんといかん」

清水がその意見に対して反論した。
「え、でもそうなると、こっちの存在がばれちまうけどいいのか?」

「どっちにせよ、見られたんだ。俺たちの存在はばれた」

「いやでも、俺たちが隠れていさえすれば、哨戒中の米兵の見間違いだったってことにもなるかもしれないだろ?」

清水がそう言うので、渡邉は、仲村を見た。

「どうだ?見間違いで誤魔化せそうか?」

すると仲村は大きく頸を振る。

「いや、むりむり。気のせいとかはむり」

仲村のその言葉を受けて、清水も納得したようだ。渡邉がヤム芋を放り投げ、銃を背負いながら言った。

「とにかく、その米兵が本隊に合流するまえに俺たちが見つける。急ぐぞ」


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