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言靈

日本という国はとても豊かな言語を持った国。

英語は、this is one pen.が this is a pen.のように

省略化されていきますが

日本は“雨”という言葉ひとつでも

梅雨、小雨、五月雨、霧雨、春雨、時雨

雷雨、涙雨、暴雨、白雨、地雨……

かなり多くの表現が存在する。

これらは、日本が培ってきた心の豊かさが

そのまま言葉として表現されたもので

色もまた、

山吹色、群青色、鶯色、黄土色

苔色、琥珀色、柘榴色、朱色……

日本の四季折々の自然や動物たちを

八百万の神々として感じてきた日本人の感性

そのものの表れのように思います。


言葉とは何でしょうか?

声帯を振るわせて発するバイブレーション。

音ひとつ取っても意味がある。

言葉の響き、同じ言葉でも優しい波長、荒い波長…

ノリが良いアップテンポの曲を聴くと

気分が上がり、暗い曲は悲しくなったりする。

人は無意識に音(周波数)に左右されている。


色々と考えてみよう。

普段住んでいる環境は自分にとって良い音か?

(鳥の声、川のせせらぎ、虫のさえずり、やさしい人の挨拶)?

(車の渋滞の機械音、罵り合っている人々の会話、いつも怒っている親)?



見えなくても周波数は存在する。

(電波、紫外線、放射線…)

自然的でない波を受け過ぎていないか?

IH器具、WiFi、電子レンジ…


スマホは頭の近くに置いて寝ていないか?

高圧電線の近くに住んでいないか?

紫外線に当たり過ぎていないか?



無意識に発している言葉。

いつも痛い痛いと言っていないか?

○○になりたい、と言っていないか?


言葉は時にとてつもない力を持つ。

玉置浩二さんや中島みゆきさんの歌は魂を振るわせるほどの

感動を覚えることがある。

一般のかたが、ただメロディーに乗せて歌詞を読んで歌うのとは訳が違い

彼らの歌には想いが乗り、本当に深層レベルの心の底から

願っていることが歌に転写されているのだろう。


表面世界で痛い痛いとばかり言って

その痛みの原因から目を背けて自分を誤魔化していませんか?

痛い痛いと言って痛みが表れているその裏には

痛いからもう身体を酷使したくない、

痛いと言えば構ってもらえるというような

※鏡面世界の望み である深層心理はありませんか?

※痛いという現象をつくって得ている裏のメリットもあるという事

例…①痛いから動けなくて会社が休めた

②痛くて動けなくて誰かが助けてくれた など


健康になりたい。は、「健康になりたい自分≒健康にならない自分」が実現するので

言葉的には「健康になる」と断言すると意味が全く変わる。

ややこしいけど、ようするに脳は「健康になりたい自分」=「ずっと健康になっていない自分」

という相反する現象を願っている自分を実現しているという事。


なので、できれば具体的に「いついつまでに、健康になって、○○になる!」と

言った方がよいでしょう。


人間には顕在意識と潜在意識が存在し

その言霊は潜在意識まで影響する力を持つと思う。


つまり日々無意識に発している言葉(周波数)、聞いている言葉(周波数)が

鏡面世界の自分に暗示をかけているようなイメージだ。


だからせめて言葉からでもプラスの言葉にしてみるとよい。

しかし目標が高すぎるとリアリティがなくなるので手の届きそうな

現実性のある目的を毎日ノートに書き綴っても良いと思う。


こんなことやって意味あるの?と思うかもしれませんが

潜在意識から書き換えてしまう様なイメージなので

顕在意識ではそう感じてもとりあえず続ける価値はあるのかと思います。

人々は神社に参り、願いを念じ絵馬を書きますよね。

七夕には願いを念じ短冊を書く。


この行程を家バージョンでやるってこと。

当然叶うペースが加速すると考えられる。


どんな悪人にも善心があり、どんなに善人でも喜怒哀楽はあるから闇もあると思う。

DVをする人はその反面すごく優しかったりする。


各々、闘争的な人、優しい人、閉鎖的な人、心配性な人など個性がある。

大切なのはコントロールすることで、個性は変えられない部分もあると思う。


ここがとても難しい所ではあるんですが、極端な思考になり過ぎてしまうと

自分は明るくあるべきとか、やさしくあるべきと

怒りや悲しみなど自分の闇の部分に蓋をしてしまい、明るさだけを演じてしまうと闇は深くなってしまうのだ。

太陽(明るさ)が光を増すと、影(闇)は濃くなるのと同じ。

明るい自分も暗い自分も

どちらの自分も自分であると肯定するのは大事かと思います。

蓋をしてしまうとキャパオーバーした時に一気に溢れ出る。


コントロールすること。

例えば霊能者が、幼い頃見えないはずの霊体が見えてしまい

気が病んでしまうのもコントロールする術をまだ学んでいないからとする。


しかし大変ながらも試行錯誤、紆余曲折しながら

どうやってコントロールするか学んだ末、その特殊能力を人々を助けるために活かしたりする。


これと同じで、闘争本能が強い人は対峙する人を敵として見ずに、その力を

熱血教師みたいにその熱意を人に伝える事や、スポーツへの闘志へと変換すればそれは大きな力となる。

ひとたびそれがマイナスに働き、受け入れたくない人、受け入れたくない現象を敵対視して抗う(闘争武装する)と、その行き場を失ったエネルギーはアレルギーとして様々な物質や事象にアレルギー反応を起こしやすい精神性をつくるとさえ思える。

大切なのはコントロールする術を学ぶことなのだ。

逃げても人のせいにしても解決しない。

自分の目に映る現象は、自分の中にある心象の投射。


言葉の信仰。

僕は無宗教者だが信仰心はある。

意識の力や祈りは、現実(現象)の世界へも及ぶと考えている。


古代から言葉に意味を持たせるようなことが風習として残っている。

“冬至”の日にゆず湯に入り“湯治”したり、様々なゲン担ぎ的なことは多々存在する。

栃木県や関東には人丸(ひとまる)神社という神社が分布している。

柿本人麻呂が祀られている所が多いですが

なぜ飛鳥時代の歌人が関東にたくさん?


この辺はココでは控えますが

人麻呂≒人丸≒火止まる という意味を持たせ火防の神として信仰されている。


実際に柿本人麻呂が祀られている

栃木県の人丸神社や湧釜(わっかま)神社には池があり火を防ぐ水もある。


和歌(わか)の歌人であった人麻呂の和歌にかけて湧釜(わっかま)???

までは勘ぐり過ぎかな(笑)


つまりは、そういった意味を持たせ信仰をすること

(信じて疑わない事)の信仰心が力を持ち

現実世界においても火事を防ぐ、火事が起きないなどの現象を呼び寄せいているのかもしれない。


時として運命をも動かす言霊の力

そして信じる力。

でも、だって、無理…

そんな否定形の言葉ばかりを使うより

前向きな言葉を使った方が得だと思いませんか?

まとまりの無い内容になってしまいましたがご容赦下さいませ。


追記

ネガティブ思考、性格、トラウマ……

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