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洋楽誌の思い出

rockin'onという雑誌をご存じだろうか。かの渋谷陽一氏が、日本の既存のロックメディアに一石を投じようと、1972年に発刊したミニコミ誌を出発点とする日本のロックジャーナリズム(それまで、まともなものが無く、一切の希望を持てるものがなかった…というのが氏の主張)の先駆けである。

はたして、“そのジャーナリズム的視座”が、継続し続けていたのかどうかは議論の余地があろうが、今月ついに50周年ということで久々に購入してみた。かつて自分が買いだしたのは、1989年くらいのことで、その時点で創刊17周年だったわけだが、その後33年も続くとは思いもよらなかった。

ロキノン

【ロッキング・オン創刊50周年記念号】

その50周年記念号だが、本誌でふれた各時代をアーカイブ的に掲載、それぞれの時代に合わせて読者が思い出に浸れるという作りが魅力的であった。そして、それ以上に“自分を語り、そしてロックを語った文章”にこだわり、“音楽批評は普遍的な言葉とともに、自立した価値をもたねばならない”という創刊当初からのコンセプトが、それなりに守られている点も心に残った。当時は、私小説みたいで、あんまり気にして読んでいたわけではないのだけれど…。

だからこそなのだろう、自分語りを含めた大げさな文章は、よく2ちゃんねる等で揶揄されたものである。あたり前だ。毎月毎月、“歴史的名盤”や、“伝説的ライブ”や、“驚異の新人”が連発するものではないからだw 

しかしながら、そういった同人誌的なノリを排除せずに、洋楽誌として最高セールスをあげ続け、今もって健在なのは、ある意味奇跡に近いことだと感服する。無論、昨今の出版情勢を顧みるに、私のような年代の層(40~50代)にアピールしないといけないゆえの“クラシックロック雑誌化”は免れないのではあるのだけれど。ゆえに、かつてなら絶対取り上げられないであろうAC/DCや、ジューダス・プリーストの記事が載るというのも新鮮で、誌面でメタルをバカにされてきた身としては、これはこれで、なかなか乙なものである(これはメタルやAORを解禁したMUSIC MAGAZINEにも言える)。

そもそも、rockin'onを最初に買った理由は、お気に入りの音楽雑誌だったFOOL'S MATEが、路線変更によって邦楽方面に舵を切ったので、替わりに買いだしたのがきっかけであった。その邦楽サイドの中心をなしていたのは俗にいうヴィジュアル系で、これはこれで好きだったので、結局雑誌購読は続いた。なお、洋楽サイドはMIX、そしてremixいう形に移行していったものの、ロックというよりフロアライクなクラブ嗜好に変化していったゆえ、離れ気味なってしまった。

分裂前のFOOL'S MATE編集長・瀧見憲司氏に対し、「全く中身のない文章」とこき下ろしていた渋谷氏にしてみれば、「なぜ最初から買わないんだ」って感じでしょうが、rockin'on自体を、よく書店で見かけていたのに敬遠していたのには理由があって、貧乏くさい表紙センスと、安い紙ゆえにすぐボロボロになる等、中身というより“本“としての魅力に欠けていたのが鼻についたからなのでした。

ちなみに、FOOL'S MATEを買いだしたのは、誌名がピーター・ハミルのソロアルバムのタイトルだったのと、昔はプログレ雑誌だったらしい…と何かで読んだからであった。とはいえ、当時はどちらかといえばニューウェイブ寄りの音楽嗜好であった。それに増して、アングラでサブカルな誌面はいまでいう厨二病的で、なにかと刺さりまくり、すぐにハマったのであった。

紙面では、元ソフトセルのマーク・アーモンドを露骨に推してたのを覚えている。日本では知る人ぞ知る感じでしょうが、その妖しい世界観はまさに厨二病にぴったり。このときの出会いが、一昨年の来日に足を運ぶまで続くわけだから、つくづく因果な雑誌である。彼については、またいつかここでまとめてみたいと思ってる。

この前年1988年には、大手シンコーミュージックもCROSSBEATという80年代を通して台頭していたインディーズなどにも気を利かせた雑誌を発刊。いまでいうところのオルタナティヴな音像を求める層への、啓蒙的な活動をすでに始めていた。

そのCROSSBEAT創刊号、 ザ・スミスの解散をまっさきに伝えていた…これはなにかしらの象徴だったのだろうか。何かが変わろうとしていた気がしたものだ。俗にいうセカンド・サマー・オブ・ラブの流れは、愛知の山奥に住んでいた自分にはピンとこなかったのだけれど、ザ・ストーンロゼスという得体のしれない大型新人を各誌が推していた。とにかく時代がワクワクしていた感触があった。自分は田舎の高校生だったが、音楽雑誌も細分化が進んでいっていった時期で、ジャンル雑食家としては大変だった。

ふつうに洋楽ミーハーならMUSIC LIFEや、POP GEAR手に取るだろう。メタルも好きならBURRN!METAL GEARだろう。パンク好きならDOLLがあったし、プログレ好きならマイナーなれどMARQUEEがあった。AOR好きならADLIBが渋く光ってたし、ジャパメタ好きでインディーズ盤とかに手を出しだすとRockin’fを重宝したものだ。、ポップス中毒ならPOP IND'Sなんてのも。このころはどんな音楽も魅力的だった。何を聴いてもゾクゾクしたものだ(今もか?!)。

そのうえ、表向きはバンドブームの真っただ中だから、邦楽誌だって、ギター誌だって買いまくってた。バンドやるので楽器を買え…なんて話もクラスメイトからあったが、結局少しでもお金が入るとレコード…というより雑誌につぎとんだ学生時代だった。田舎ゆえレンタルショップなどなかったから、いろんな人に音源を借りてテープに落としたものである。顔も知らない先輩や、後輩、クラスメイトの兄弟等、ありとあらゆることを駆使すれば、それなりのネタは手に入ったものだ。

やがて大学生。この頃のことは前の自己紹介でも書いたが、新しいジャンルがどんどん出てきて、ついていくのに精一杯、でもすごく充実かつ楽しい時間/時代であった。グランジ、オルタナティヴ、グラインドコア、アノラック、ローファイ、ブリットポップ、ネオアコ、ポストパンク、パワーポップ、メロコア、4AD、シューゲイザー、ドラムンベース、インダストリアル、渋谷系、音響系、ラウンジ、アシッドジャッズ…などなどなど。そして、時のrockin'on 編集長・増井修氏と、rockin'on JAPAN 編集長・山崎洋一郎氏、音楽と人 編集長・市川哲史氏、ストレンジデイズ 編集長・岩本晃一郎氏らには、まさに人生の師といっていいほどの影響を受けたわけだ。

このころの記憶や知識は財産で、こうして今、文章が書くことができ、同好の士と飲みあかしたりしてこれたんだから、当時の自分を褒めてやりたいものだ。


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