【仮面ライダーリバイス考察】第45話:ブレる悪魔のコンセプト
本日第45話が放送された仮面ライダーリバイス。
ギフを封印したにも関わらず一輝の表情は晴れない。
「これで良かったんだよな」と自問し、どうやら彼の中には何か引っかかりがあるようだ。
大二がようやく戻ったのに、五十嵐家は常に誰か一人ウジウジしていなければならない決まりでもあるのかと多少ウンザリする気持ちもあるが、ひとまず今週も明かされた情報をもとにリバイスの今後について考えていきたいと思う。
ギフ復活とバイスの裏切り
先週退場したかに思われたギフだったが、まさか1話も待たずして復活するとは驚きだった。
そしてどうやらその復活に一役買ったのは洗脳(?)されたバイスであるらしい。
45話にしてようやくバイスが悪魔らしい行動をした事にはなるが、あくまで"操られている"だけのようであり闇堕ちと言う事はできない。
今まで五十嵐家=ギフの末裔と言われてはきたが、ギフ目線で言えばその悪魔であるバイス、カゲロウ、ラブコフこそが真の意味で末裔となり、自らの力を高める為にバイスを利用する事はごく自然な流れであるとも言える。
最終フォームであるアルティメットリバイ+エビリティライブの同時攻撃が無効であった事を考えると、バイスの裏切りはギフの強化に寄与していると見てまず間違いないだろう。
反対にバイスが正気を取り戻せばギフの力が弱まり、倒す事は可能になりそうだが、敵の弱体化よりはライダー側の強化で締めくくってほしいというのが本音だ。
ブレる悪魔のコンセプト
では、その「ライダー側の強化」要素として来週のラブコフ/ジャンヌ強化があるという事だろうか。
正直このタイミングでのジャンヌ強化は明らかに蛇足な気がしてならない上に、ラブコフが強くなる事は悪魔としてのコンセプトにも反しているように思えるがどうだろうか。
ラブコフはそもそもさくらが抱える「弱さ」や「臆病さ」の象徴だったはずだが、その彼女が今回戦闘への参加を望み、脱皮しようとしている。
では、さくらの弱さは一体どこへ行ってしまうのか。
弱さを無くす事は果たして成長と呼べるのか。
本作に「弱さ(主に戦闘力という意味で)」を否定する傾向がある事は放送当初から感じてきた。
変身できるようになるまで精神が不安定だった大二・さくらもそうだが、実害が無くなってからのフリオ(玉置)の扱いなどからも、まるで「力の無い者には発言力がない」とも取れる危険な作劇スタンスは本考察でも度々指摘してきたところだ。
悪魔のコンセプトのブレはカゲロウ等にも当てはまり、もともと「一輝への嫉妬心」から生まれたはずが今では単なる「大二の理解者」にすり替わっているし、バイスに関しても元は幸実を食べようとしていたりもっと悪魔らしかったはずだが今では誰より優しいマスコット的キャラクターだ。
彼らは結局、「ご主人様を守りたい」という一心で行動しており、悪魔というよりももはや天使に近い存在であると言える。
とは言え、私だって悪魔の強化を頭ごなしに否定しているわけではなく、意味さえ通っていれば別に文句はない。確かにラブコフのアイデンティティは弱さではあるが、そんなラブコフが成長したって良いし、必要ならば強くなってもいい。
ただ、そうなればさくらの弱さを認めてあげる別の存在は絶対に必要となってくる。
それが花であり、さくらが自分の弱さを見せられる唯一の相手を見つけられた事でラブコフが強化されるという理屈であれば充分納得はできる。
悪魔=ただの友達として表現のバリエーションが乏しくなっている今だからこそ、せめてジャンヌ強化の過程ぐらいは丁寧に描ききってほしいものだ。
唯一の希望はヒロミと玉置
前述した「力なき者」への軽視。
このパワーゲームに唯一逆らってくれているのがヒロミ、玉置によるエピソードだ。
力を持ちたい、闘って皆の役に立ちたいと早る玉置に対しヒロミは別の道を示す。
闘う事だけがヒーローの仕事ではないと諭すヒロミは、デモンズとして最前線にいた時よりもヒロイックに見えた。
「誰だって本当は"守る側"でいたいんだ」
これはリバイスの中でも屈指の名台詞ではないだろうか。その言葉を受け玉置がどう変化していくのか、それこそが今後一番の関心事かもしれない。
新ライダーも発表され、もうリバイスに残された話数も残り僅かだが、現状まだ明確なゴールは見えない。
今後彼らの物語にはどんな結末が待っているのか、期待と不安を抱えつつ、ひとまずは来週の放送を待ちたいと思う。
(仮面ライダーリバイス公式サイト リンク)
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