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家族や、好きなキャラを同性愛者だと思いたくないというバイアス

いま「主人公の女性が、30代で初めて恋愛し、相手が女性」という漫画にはまっているので、ネットで感想を読み漁っていたら、主人公をレズビアンと定義するのか否か、いろんな捉え方があるんだなと知った。恋の相手も初めての恋愛で同年代。
「二人はレズビアンとは言い切れない」という感想があり、二人をレズビアンだと感じた私とは違う意見で面白いと思った。一部でレズビアンと言い切る派と議論にもなっていた。これは、男女の物語に置き換えると発生しがたい感想、議論なので面白いと思った。お互いに初めて恋に落ちた三十代を描いたドラマを見たときに、それが男女だったら、恋心が遅咲きの人もいるもんだなというあたりに焦点が向くことはあっても、「たまたま異性を好きになったこの二人はヘテロとは言い切れない」「いやヘテロだ」と議論になることは考えづらい。なるほど、そういう捉え方もあるのは興味深いと思った。
ただこの議論に対して、「たまたま互いに好きになった。この相手だからこそ好きになった」とコメントしている人がいた。このコメントは面白くないと感じた。男女なら「この二人はこの二人だから恋に落ちた」とわざわざ当たり前のことを持ち出して語る人が出てきづらいだろう。妙に良い話としてまとめられ蓋をされた、見えないものにされた、美化して消費しているとさえ感じる。

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こういうことは、よくある。これは私にバイアスがかかっていて、被害妄想的な見方に偏っていると言えるのかもしれない。上記のようなことを言うみなさんからは、全く悪意は感じないし、間違っていますよ、と非難されるようなことを言ってるとも思っていない。だからこそ、こういう場面ですり減らされている。

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別居している父親とLINEをしていて、全く関係無い話題からの締めの挨拶として「彼氏ができたら連絡ください。」とあった。私は「OK!」という感じでゆるキャラが親指を立てているスタンプを送った。両親には数年前にカミングアウトして、当時の彼女を紹介もしており、それらに対して好意的に接してくれていた。
それでも、こういうことを送ってくる父親にとっては、同性愛者というものがただただピンとこないのだろう。まったく悪意のないこの一文を、私は何度も思い出してしまう。じわじわと生きていく自信みたいなものが揺らぐ。私自身が20年以上抱えながらにしてまっすぐ肯定しきれていない「同性愛」を、70代の彼に理解してもらおうという気力も湧かない。



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