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うたを始める直前までの話

新宿カールモールの50周年コンピレーションアルバムの詳細が出て、もうすぐいろんな人たちの手元にアルバムが届くんだなって感じてから、なんだかふとカールモールに出演することになった日までのことを思い出してしまい、変な時間だけどぱちぱちキーボードを打ってる。

写ルンです使用でさらに昭和にタイムスリップできるカールモールすごい。

新宿カールモールというライブハウスというか、アートスペースのようなカフェのようなバーのような、いろんな役割を果たしてくれる素敵な空間が、なんと50周年を迎えます。駅や建物が新しく近代的になった大都会新宿に、私が生まれる前の雰囲気がまだしっかりと残っている空間があるんだよ。私が音楽活動をうたで始めようって決意したときから、私の成長をずっとずっと見守ってきてくれた、私にとって大切な場所です。

ちょっと長いけど、私が昔やっていたバンドを辞めてからうたをカールモールで歌うことになるまでの話がしたくなったので書きました。


はじめてのバンド

2013年10月、大学3年生のとき。授業に真面目に行かない癖に毎日学校に行き、ドラムの練習と酒を適当に漁って飲む日々を過ごしていた私が、「ジャズとかラテンとかのロック以外の要素を持ってるドラマーと一緒にバンドがやりたい」と言われて誘われたバンドがあります。もうそれは解散してしまったんだけど、私にとってサークル活動外でやるはじめてのバンドでした。

そのとき私は大学のジャズ研究会と軽音サークルに掛け持ちで入っていて、ジャズビッグバンドを2バンド全25曲ぐらいと、軽音サークルでコピーバンドを3つくらい掛け持ちして、ドラムを操ることがどんどんできるようになってすごく面白かった時期だったので、すぐに返事をして初期メンバーとして活動を始めました。ギターボーカルとベースと私のスリーピースバンドです。

ギターボーカルのコネクションがあり一番最初にライブハウスで演奏したのが2013年の12月24日、東高円寺のU.F.O.club。「クリスマスイブにライブがあるなんてめっちゃカッコイイ!」と調子に乗っていて、当時できたばかりの恋人のクリスマスデートの誘いを断った記憶。HAPPY BIRTHDAYの「あの子の彼氏」の歌詞に出てくるライブハウスに自分が出られるなんて!とすごく嬉しかったのも覚えています。

ちなみに「みーやんがHAPPY BIRTHDAY聴くなんて意外!」って言われるかなと思ったんだけど2枚CD持ってました。大好きだった人と別れて友達が付き合いだしてメンタルが青くてクソだった時期にビレバンで即買いした思い出があります。しかも今思い出したけどそのアルバム、何故か自分が聴いた後その友達にあげてるわ。行動が謎めきすぎて何度考えてもバチクソコワイです。でも何度聞いてもあの曲たちは良い。攻めてる。そしてその友達はいま適当に誘ってサシ飲みできるくらいには気を許した仲です。豆知識でした。

バンドの話に戻します。そのバンドのメンバーは全員がバンド活動のようなものをするのが初めてで、ライブハウスでライブをするにはどうしたらいいのか?みたいな手探り状態で始まった。

初ライブはギタボの知り合いの企画で、人数合わせで出て欲しいみたいな感じで、カネコアヤノちゃんと対バンだった(今考えるとあのライブはむちゃくちゃアツかったし、人生初ライブのバンドがそこに居合わせるなんて現象は異常なのではないか)。でもそれ以降はどうにか自分たちで売り込みをして行かなきゃいけない。ギタボが友達のバンドマンに教えてもらってきたことをひたすら実践しようとしていて、デモ音源を作ったりしなきゃとか、それ持ってライブハウスに頭下げに行こうとか色々やっていた。

それから少しずつライブする本数が増えて、対バンしたバンドが企画に呼んでくれたりして、ライブの本数が少しずつ増えて行った。対バンとライブハウスには気に入ってもらえるバンドで、「箱代タダでいいからイベントを組め」って言ってくれるライブハウスが出てきたりもした。


バンドと金

だけどライブの本数が増えても、対バンとライブハウスのスタッフにウケても、お客さんが増えるとは限らなくて。ライブハウスにはノルマというのが存在することが多くて、お金がとてもたくさん必要だということがわかった。ベーシストはバイトでもらったお金をスロットでどうにか増やしていた。バイトをしていなかった私は派遣の、単発夜勤のバイトを始めた。

夜の20時ぐらいに、見知らぬ街に行き見知らぬ人間と不思議な形で合流し、バスに揺られて白衣みたいなのを何重も着て、ひたすらベルトコンベアで転がってくるきゅうりを切り朝を迎える仕事。ドラッグストアに売ってる品物をひたすら段ボール箱に詰める仕事もした。

カバンの中に必ず軍手とカッターナイフを入れるようになった。派遣先で出会う変なおじさんに絡まれないようにできるだけ地味な格好をして向かった。今日しか一緒に働かないのにやたらと仲良くしたがり、短くて貴重な休憩時間にお菓子をくれたりおしゃべりをしてこようとする(そういう人に限って話が死ぬほどつまらない)お姉さんやおばさんから逃げるようにトイレに入ったり、適当にあしらったりするスキルが身についた。窓がある現場から見える朝焼けが、終わりとも始まりとも言えるような絶望感を私に与えてきた。帰りのバス代を節約するために朝焼けを見ながら見知らぬ街を40分ぐらい歩いた。帰りに一人で寄る松屋の朝定食の納豆が家のように感じた。「もうこんな仕事一生やらない」と毎朝決意していた。

日払いのお給料を取りに行く日をライブの前日などに設定して、もらったお給料はそのまま全額ライブハウスに支払う。とにかくお金をライブハウスに取られたくなくて、学校の友達にライブに来てくれるよう頭を下げたり、値引きができるようにしたり、事前に1000円札を渡したりした。もしお客さんが来てくれたら、支払うお金が少なくなるから帰りに牛丼食べられるかな、みたいなことを考える。そんな感じの生活が5ヶ月ぐらい続いた。

この5ヶ月間で私は、今やってるドラムが果たして自分にとってやりたいことなのかと考えるようになった。同時に、大学2年生の時にふざけて作った曲が友達の間で長く口ずさまれていることが日常的に嬉しくて、そもそも私はドラムで活動したいのではなく、うたが歌いたいのでは?と思った。一番頑張ってたジャズ研も3月で無事引退し、自由な時間がすごく増えて将来のことも考え始める大学4年生(とは言えこの時点で留年は確定していた)になり、そろそろちょっと先のことを考えなきゃと。

同じことを繰り返す”簡単な作業”の夜勤バイトをし、その給料を手で受け取り、その金をそのままライブハウスに渡す。ドラムを叩くのはもちろん楽しかった。でも派遣のバイトに行くたびに、ベルトコンベアに乗ってるのがきゅうりなのか私なのかだんだんわからなくなっていた。そんな作業みたいなお金の使い方が今後も続くんだったら、せめて自分が納得いく音楽で悔しい思いをしたいって思うようになった。


勢いの1ヶ月

芸術学科に所属していたので学校でMacBookを借りるのは簡単だった。ピアノの鍵盤を押さえてはコードをググりコード譜を作り、友達にギターを弾いてもらい、ガレージバンドで録音し、自分のうたを重ねる。簡単な操作だったら友達に教わればすぐにできた。ギターを弾ける友達が捕まらなければ自分でピアノを弾いたり、ピアニカを伴奏にして重ねたりした。反響音が気になるときは部室にあった分厚い毛布を被ってその中で汗だくになりながら録音した。

そうやって10日くらいかけて、4曲ほどのデモ音源ができた。「ドーナツ」「帰りの坂道」「もち」「首筋にコーラ」の4曲が収録されたデモCD「階段上」です。ちなみに帰りの坂道はインストです。

2014年8月、バンドのライブの帰り道、下北沢屋根裏(現ろくでもない夜)からビレバンにかけて歩く間の道で私はメンバーに言った。「あのさあ、私バンドやめようと思う」箱代タダのイベントに私が乗れないのは惜しかったけど、それよりもどうしてもうたが歌いたかった。

デザイン系の先輩にCDジャケットを作ってもらい、世界堂で厚い用紙を買い、学校の図書館にあるプリンターでA4のCDジャケットケースを印刷した。できたてのデモCDを持って2014年9月、下北沢Artistと新宿カールモールにアポなしで突撃する。今だったらメールで音源送ればとか、向かうならせめてメールか電話をって思うけど、バンドのギターボーカルが教えてくれたこの泥臭いやりかたしか当時の私は知らなかった。

当時私が渡したデモ音源は、空のCDに焼いた方法を間違えていて、データとして音源を入れてしまったためCDプレーヤーなどで再生ができなかったらしい。それでもパソコンに取り込んで音源を聴いてくれて、ライブやってみませんかって声をかけてくれた。下北沢Artistと新宿カールモールは私のホームです。来年もライブが決まってて嬉しい。


カールモールと私

コンピレーションアルバムに私の曲を入れたいって、カールモールのマダムが言ってくれたときすごく嬉しかったんだけど、何よりも「みーやんは絶対にうたをやめないし、あなたはやめられないと思うから。今後も歌い続ける人のうたを入れたい」って言ったのがとても印象的だった。

童謡のような曲を無感情でうたう「みーやん」時代も、バンド編成のライブも、ストーカーに遭った翌日に震えて泣きながら演ったライブも、そうじゃなくても何故か泣いてうたってた私も、「水野谷みき」になった私も、ずっとカウンターの中から見てきてくれたマダムの言葉は、そのとき考えてる私の脳みそのようでもあり、そうしたほうがきっといいよと指し示す道しるべのようでもある。今回収録させていただいた「終電」も、初めてマダムが聴いてくれたとき、すごく良い曲を書いたと言ってくれた。

感情を歌詞にのせてうたを歌うなんて、すごく照れくさい恥ずかしいって思っていた私が、だんだん自分の曲にそのうたごとの人格を入れるようになって、「みーやん」という活動名が釣り合わなくなってきた頃、「曲が人になった。曲も少しずつ成長してるみたいでみーやんのライブはいつみても面白い」って言ってくれたのも忘れない。


コンピレーションアルバムの宣伝

そんな素敵なマダムがいる新宿カールモールのコンピレーションアルバム、収録されてる人たちがとっても豪華です。知ってる人を書こうっと!

初めてカールモールでライブしたときに対バンした金魚のお二人も一緒。合唱曲として子供達に歌われていたり、子供向けのイベントにたくさん出ていたり、すごく今活動的な二人組。

フライダーズは実は大学の先輩たちのバンド。アコースティックのいいところが引き出されていて、冬のカラッと晴れた外が似合うバンド。

THE PINKEYSはアコーディオンとギターのディオ。キャッチーな日本語のうたをジプシージャズのようなフォークのようなサウンドで演奏するんだよ。ライブみてると楽しい気分になっちゃう。

生活感を脱力してうたう押野健さんもいっしょ!押野さんの曲を聴くと、肩に力を入れて過ごしてる自分がちょっとばかばかしく思えて、もうちょっと適当でいいかってなれます(いい意味で)。

あと「水中、それは苦しい」のジョニー大蔵大臣さんの曲も同じアルバムに収録されます。楽しみだ!

ちなみに、このコンピレーションアルバムのリリース記念ライブが年明けにあります!
2020年1月11日(土)新宿カールモールにて。
アルバムに収録されてるアーティストが出る豪華なイベントです。もちろん私も出るよ
詳細はもうすぐ出るのでTwitterをチェック!年明けも会いに来てー!

新宿カールモール Twitter

新宿カールモール HP

水野谷みき Twitter

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