見出し画像

No.962フォーカシング指向心理療法とゲシュタルト療法について、著書フォーカシングを読み直しながら私なりの違いを書いてみる、、

2024年6月22,23日、久ぶりに池見陽氏のフォーカシングワークショップに参加した。

実に2019年以来、5年ぶりである。

池見陽氏のフォーカシングは時は経っても色褪せない、ユージン.T.ジェンドリン博士から受け継いだ確固たるフォーカシング理論に基づいたベースがある。

池見陽氏がユージン.T.ジェンドリン博士の後継者であると言われる所以であろう。

残念ながら、ゲシュタルト療法には世界的に認められたゲシュタルト療法家はいない。

私は今、1980年代にフォーカシングの創始者 ユージン.T.ジェンドリンの著書、フォーカシング を見直している。

著書フォーカシングの第1章 内的行為の出だしは、

なぜセラピストが効果をあげる例が少ないのだろうか?なぜ人々は生の営みに真の変化を起こさせることによく失敗するのか?多くの人がやり損なうのは何が理由なのか?

そして、このように続く。
セラピーが成功した患者とそうでなかった患者の決定的差異はなんだったのだろうか?私たちはそれがセラピストの技術ではないことを見つけた。違いは、患者がいかに話すかという点にある。しかもそれは、本質的な差異、成功する患者が内的にしていることの外面に現れた兆候にすぎない。

この患者が内的にしていることに焦点を当てる技術をフォーカシングと呼ぶ。

そして、
この方法を活用すれば、自分の人生がどこで行き詰まり、窮屈になり、閉じ込められ、低調になっているかを見つけることができ、そして帰ることができるようになる。それは自分を変化させ、これまで思ったり、感じたりしていたよりももっと深いところから生きるようにする。

と続く。

また、感情へのアプローチについて、
フォーカシングでは、ある種の新しい治療法でするように、患者に同じ文句を何度も叫ばせたり、同じことを輪になって順番に繰り返しやらせたりはしない。そうした方法の結果が示すように、彼らは「腹の底から何かを感ずる」だろうが、だからと言って、肝心の感情は変わらない。
フォーカシングとは、感情に触れたあとに引き続く、次の展開である。

この実際の変化の過程においても、次のようにジェンドリン博士は述べる。
実際に変化していく過程は気持ちよく感じられる。
自分の問題に効果的に取組むことは、自分を責め苛むことではない。私たちが発見した変化の過程はカラダにとって自然であり、実際にもカラダでそう感じられるものだ。
この重要な動きは、通常私たちが苦痛として経験する場所の下で、はじめは不明瞭なあるカラダの感覚へと至る。そこから生じてくる何かの体験は、一つの救いのようにも感じられ、生き生きさを取り戻すことでもある。

そして、第1章のまとめとして、
この新しい観点に立つと、自分自身と取組む従来からの伝統的な方法は、概して苦痛中心型と見なすことができる。人々は、カラダ自体に備わる生命中心的で、本来的に積極的な志向と力を用いるすべを知らず、自らの苦痛の情動に入り込んでしまい繰り返し反復するしかない。
それでは変わることはできず、何度も繰り返し、自分自身を痛めつけるだけだ。
新しく出てきた主要な原則のひとつは、変化の過程は気持ちよく感じるということであり、長いこと息苦しい部屋にいた後で、新鮮な空気を吸うような感じだ。
私たちはセラピーを変えなければならない。
内的行為は教えられるものであり、セラピーの患者だけでなく、誰にでも教えることができる。
学校、教会、コミュニティ、センター、その他多くの場で教えられる。
「自分の感情に触れる」ことではなく、内的行為を行う方法を覚えることが必要である、と。

そして、先日の池見陽氏のフォーカシングワークショップを振り返る。

私たちは、2日間、苦痛を感じながら過ごしたことはない。また、情動と闘ったり、自分を責め苛む体験もない。
参加者全員が、変化の過程において、気持ち良い感覚を体験していた。
それは、私たちに備わっている自然な感覚が私たちに生き生きとした方向を指し示しているからに他ならない。

その上で、フォーカシングとゲシュタルト療法の違いの一つを書いてみたい。

ゲシュタルト療法においては、
図と地の理論において、セラピストは図へとアプローチする。この図が何であれ、図が完了することで地へと流れ、新たな図が浮かび上がり、地へと流れる。この図と地の転換によって、気づきが推進し、患者の気づきが促進される。

フォーカシングとの違いは、苦しい情動が図にある場合、その情動へと触れながら、セラピーを進めることであろう。

そして、上手く行ったゲシュタルト療法では、その気づきの推進により、感情に触れたあとに引き続く、次の展開が図へと浮かび上がる。

これがフォーカシングで言う、フェルトセンス(意味ある感覚)である。

ゲシュタルト療法においては、この深い感覚へと至るまでに、情動やカラダの感覚や物語と言った表層にある図からアプローチすることで、深層部分にある感覚へと触れていく。

フォーカシングでは、表層にある情動には触れず、「感情に触れたあとに引き続く、次の展開」へとダイレクトに触れる試みを行う。
それが、フェルトセンスを探す試みである。

フォーカシングとゲシュタルト療法を同時期から学び続けている私は、この2つの心理療法の過程における違いを理解していた。
そして、著書フォーカシングを読み直し、そのことが間違いなかったことを再認識できた。
新しい発見である。

また、フォーカシングとは、誰かにしてもらうものではない。フォーカシングとは、私がするものである。

そのためのやり方を学ぶ必要があるだろう。

これにより、ジェンドリン博士が述べたように、誰でも、どんなコミュニティでも、自分の内的行為へと触れる方法を手に入れることができる。

フォーカシング指向心理療法、ゲシュタルト療法ともに私の信頼できる療法である。

そして、今はフォーカシング指向心理療法の方が深い感覚へと近づける、そんな感覚がある。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?