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自分のことは他人と比較するけど、旦那のことは他人と比較したことがない20220725

自分と誰かをいつの間にか比較して落ち込んでしまう。
誰かにふと言われた言葉、良かれと思ったアドバイス、SNSや雑誌で発信される誰かのあり様。

それは確かに理想ですね。

と賛同してしまうからこそ、自分がそれができないから落ち込んでしまう。完璧主義というか、あるべき姿を思い描いてしまって、自分の最適解は、とても程度が低いのではないかと思ってしまう。

常々、デブだとか、怠惰だとか、家族や周りから言われ続けてたことで、自己肯定感がちょっとおかしいのかもしれない。だいぶ回復した自覚はあるけれども、まだ呪縛から逃れられない。親ともちゃんと話し合って、喧嘩もして、軋轢はないものの、亡霊の様に自分の奥底に擦り付いてしまっている。

重曹をかけたのに、ざらつきは取れたのに、焦げた色が剥がれなかった買ったばかりの電子レンジの焦げの様な。
せっかく、乗り越えた、新生・私だ、と思ったのに、滲み出てくる様な自信のなさ。

でもふと、旦那のことは誰かと比べてるかな、と考えたら、そういえば旦那のことは誰とも比べていない。旦那については、
「最初はこの家事苦手そうだったのに、すっかり手際良くなったね」とか、
「この前はこういうことで悩んでいたけど、何だか吹っ切れた顔してるね」とか、
「前は休日も昼まで寝て調子悪そうだったけど、今日は早起きできて調子良さそうだね」とか、
旦那自身の過去と、今と比較して、旦那にとってより良くなったね、ということはいうことがあるけれど、

「あの旦那さんはこんなに家事が手際良くできるらしいよ」とか、
「あの人はこんなことで悩まないらしいよ」とか、
「昼まで寝てると体に悪いって、あの雑誌が言っていたよ」とか、
誰かや何かと比べて、旦那にどうこうしてもらおう、ということは絶対にしていない。

だってそんな言い方はとても酷いと思うし、そんな風に言って旦那を傷つけたくないし、ちっとも建設的な発言ではないと思うからだ。

わかってるんだ。でも私は私にそれを平気でやるんだよな。

私は旦那の価値を確信している、というか、彼の素晴らしさや頑張りを知っているから、今の彼で完璧だと思っている。
だから、例えば彼にとってより良い習慣や選択ができるなら、それは更に素晴らしいことだし、一方で、何かをやめたり諦めたりすることがあっても、それは怠惰ではなくて、彼が、それらと決別したり、離れたりするタイミングが来たんだな、としか思わない。

私は他人に対して、それはできるのに、自分に対してできないのは、認識がなんか歪んでるんだろうか。

今日も図書館にこもって、でも何も進まない自分を責めて、ますます落ち込んでしまった。何が何だかわからないから、もう、一度全部やめてしまいたい。人との付き合いを全部無くして、旦那との暮らしに集中して、一度整理したい。でも今年が終われば、いやでもそんな時が来るから、

わかることの喜びを感じている自分は信じて、少しずつ進むしかない。
それと何よりも、今日もご飯をいただけたこと、怪我や事故なく日々が送れていることに感謝しよう。

以上

もし気が向かれたら、サポートをお願いします。彼とのおやつ代に使わせていただきます。