箱根駅伝と私~④魅惑の投げキッス~
みなさんおはようございます、まつです。
私が箱根駅伝にはまって法政大学と中央学院大学を応援するに至るまでの過程を辿る「箱根駅伝と私」シリーズの第4回です。
前回までの投稿はこちら
第1回→箱根駅伝恐怖症
第2回→山下りの神様
第3回→ラスト200mは運命を変える
サブタイトルが陸上の話に思えないですって?
これは、まつ脳内穏健派が、まつ脳内国会に対案を提出したものの、まつ脳内過激派の反対多数により棄却され、まつ脳内過激派による素案が採択された結果でございます。
そんな話しは置いておくとして、今回は中央学院大学の岡本雄大選手の走りが見たくて、全日本大学駅伝関東地区予選会に行くところから始まります(まさかのこの話だけで終わります)。
そこで私は遂に、法政大学との出会いを果たすのです。
気になる声援
2013年6月30日16時半過ぎ。
私は、全日本大学駅伝関東地区予選会の会場である国立競技場に到着しました。
私が見たい中央学院大学の岡本選手は、4組目での出走を予定しています。
この年に現地観戦デビューした私にとって、もちろん全日本予選も初めての現地観戦。
混み具合が想像できず、とりあえず1組目が始まる前に着けばいいかな、くらいの気持ちで行ったのが間違いでした。
既にゴールがよく見えるあたりの席は埋まっていたし、それどころか、メインスタンドの真ん中くらいまでは、ほぼ埋まっています。
100mのスタート付近であれば、まだ手前のほうの席が空いていたので、その辺りに席を取ります。
この位置に席を取ったこともまた、私の運命を変える一因となります。
17時前。
1組目を走る選手たちがトラックに出てきました。
メインスタンドの観客と、バックストレートにずらっと並んだ各大学の出走しない部員たちから、大歓声が沸き起こります。
初めての全日本予選ですが、ルールはしっかり予習してきました。
各大学8名の選手が4組2名ずつに分かれて走り、8名の合計タイム上位7大学(2013年の場合)が本戦の出場権を手にします。
中央学院大学の選手たちについても予習してきました。ただ、名前と実績はなんとなく把握したものの、顔と名前まではまだ一致していません。
1組目がスタートします。
スタートリストと走っている選手を見比べて(「4番が4年生の田中瑞穂選手で、24番が3年生の木部誠人選手だな」)といった風に確認をします。
選手たちが私の見ている第4コーナーを通過するそのときでした。
「田子ー!! 黒山ー!! 頑張れー!!」
怒号のような大声援が近くで見ていた集団から聞こえてきます。
気になってそちらを見ると、おじさんたちの集団でした。その中に「法政大学」と書かれた旗を持っている人が見え、法政大学のOBの集団かな? と推測していました。
その集団は、前を選手たちが通過するたび、凄く大きな声援を送っていました。
持ちタイムがいい選手ほど、後ろの組にエントリーされるのが全日本予選。まだ1組目ということもあり、私がこのとき走っている選手で名前を把握していたのは、中央学院の2名だけ。25周ある10000mを見るには、少し手持ち無沙汰です。
だから中央学院の2選手だけでなく、自然と耳から情報が入ってくる法政大学の2選手のことも、なんとなく目で追い始めたのです。
1組目が終わり、続く2組目、3組目も同様に、近くにいる法政集団は大声援を送っていました。私も、中央学院の選手を追いつつ、法政の選手たちも追いかけていました。
特に3組目では、法政大学の田井慎一郎選手が、最後の最後まで先頭争いを繰り広げての3着。
それを見て、「法政大学の選手が頑張ってる! うれしい!」と思っている自分がいました。
全日本予選4組
いよいよ4組。岡本選手の出番です。
Twitterで情報を探すと、その時点で中央学院大学は通過できるか微妙なラインにいることが分かります。
4組目がスタート。
岡本選手はエノック・オムワンバ選手(山梨学院大学)、ダンカン・モゼ選手(拓殖大学)の2人の留学生ランナーについていきます。
ほかにも2名の日本人選手がついて、レース開始直後は5名の先頭集団が形成されます。しかし、すぐにほか2名の日本人選手が脱落し、先頭集団はオムワンバ選手、モゼ選手、岡本選手の3人で暫くの間レースが進みます。
(「通過できるか微妙な状況のはずなのに、こんな積極的な走りをするなんて…。岡本さんって、やっぱり凄い……!!」)
このレースでも、そんな岡本選手の姿に目が釘付けになります。
一方、その後方にいる日本人選手の大集団の中に、中央学院大学のもう1名、潰滝大記選手や、法政大学の西池和人選手、関口頌悟選手がいました。
4000mを過ぎたあたりで、さすがに留学生2名についていけなくなったのか、岡本選手が離れ始めてしまいます。
それでも、そこからずるずると落ちることはなく、単独走でも粘りの走りを見せます。
8000mに差し掛かったとき、遂にレースが動きます。
後方の日本人集団の中から、1人の選手が抜け出そうとするのです。
法政大学の関口選手でした。
後を追うように、同じく法政大学の西池選手もペースを上げ、余力のある選手たちがそこについていきます。
私の近くの法政集団はまだレース中ですが、もうお祭り状態です。
そして遂に、岡本選手が集団に吸収されてしまいます。集団は岡本選手の前にいたモゼ選手も吸収する勢いでペースを上げていきますが、それでも岡本選手は集団に食らいついていきます。
ラスト1周。先頭はオムワンバ選手。
続く2位、日本人トップ争いは西池選手と井上大仁選手(山梨学院大学)に絞られ、ロングスパートをかけた西池選手が井上選手を振り切り、ゴールへと飛び込みます。
関口選手も7位でゴール。近くの法政集団は歓喜に沸いています。
岡本選手は粘りに粘って、関口選手に続く8位でゴール。潰滝選手も11位と、2年生ながら上位でゴールしました。
このあとは現在は廃止された、エントリーされなかった選手たちによる5組目があり、その後、結果発表が行われました。
法政大学が2位、中央学院大学が4位。
無事、ともに全日本大学駅伝の出場権を獲得したのです。
11年越しの歓喜
家に帰ってからは余韻に浸ろうと、Twitterを漁ります。
そんななか出てきたのが、こんなツイートでした。
私が見ていた位置がゴールから離れていた故によく見えなかったのですが、西池選手はゴールするときに、なんと投げキッスをしていたのです(このツイートのリンクを飛んでも肝心の写真が見れなくなっていました。マニアさん😭😭😭)。
(「こんな強いのに投げキッスしながらゴールするなんて。西池選手って面白いかも」)
西池選手の存在が、急に気になり始めます。
マニアさんはこんなツイートもしていました。
ゴール後の西池選手と関口選手が、満面の笑みでハイタッチを交わしている写真でした(これも見れなくなっています😢)。
(「あんなに熱心に応援されて、選手たちもいい結果を出して、しかもこんなに笑顔。法政っていいチームだなあ。」)
そんなことを思っていました。
そして、もうひとつ。
(「西池選手、めっちゃかっこいい!!」)
中央学院大学の岡本選手が見たくて行った全日本予選でしたが(もちろんそこもしっかり見ていた)、帰ってきたら、すっかり法政大学、そして西池選手に夢中になっていました。
法政のことをもっと知りたくてツイートを検索しているうちに、とある写真にたどり着きます。
それは、予選通過を決めた法政大学の選手たちによる集合写真でした。
手前に8人の出走メンバー、その後ろにほかの部員たちが並んでいます。
溢れんばかりの笑顔で、勢いよく拳を突き上げる選手たちの姿がありました。
(「ああ、凄い。いいなあ。素敵だなあ。」)
このとき法政大学の選手たちの笑顔に、何故こんなにも惹かれていたのか、19歳当時の自分には、よく分かっていませんでした。
しかし、今、改めて振り返ると分かる気がします。
私の箱根駅伝に対する第一印象は、法政大学のエース・徳本選手が走れなくなり途中棄権してしまった「怖い」というイメージ。
そして、そのとき徳本選手が浮かべていた涙は、私にとっての法政大学というチームに対する第一印象でもあったのです。
そのチームが、今はこんなにも歓喜の渦に包まれている。心のどこかで、そのことが嬉しかったのだと思います。
徳本選手の途中棄権は2002年のこと。
この全日本予選で見た法政大学の歓喜の輪は、私にとって、実に11年越しの歓喜だったのです。
こうして、東洋大学の市川選手をきっかけに箱根駅伝に興味をもった私は、現地観戦に行く中で、中央学院大学の岡本選手、法政大学の西池選手という2人の選手を応援するようになるのです。
私が箱根駅伝にはまって、2校を応援するようになった「きっかけ」を話すという意味では、今回が最終回でもいいのかも知れません。
しかし、中央学院と法政の話ばかり書いてきましたが、まだ当時の自分の中での応援の優先順位は、
東洋>>>中央学院≧法政
といった具合です。
応援するチームが中央学院と法政の2校に絞られ、現在の自分のスタイルが確立されるまで語り尽くしたいので、もう暫く続けたいと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!!