見出し画像

【イチ×ココ#10】"気持ちのつらさ"を理由に、緩和的鎮静を行っても良いのか?

【緩和的鎮静について】

緩和ケアにおいて、患者さんが耐えがたい苦痛に苛まれ、他に苦痛緩和の手段がない場合、”緩和的鎮静 palliative sedation therapy”という手段が選択肢に挙がります。

緩和的鎮静は「苦痛緩和のために患者の意識を意図的に低下させること」と定義され、具体的には主にミダゾラムというベンゾジアゼピン系鎮静薬を用いて眠らせる、あるいはボンヤリとした状態やウトウトした状態にすることを意味します。

緩和的鎮静をめぐっては世界各国でも様々な議論がなされガイドラインが作られており、国内でも2018年に「がん患者の治療抵抗性の苦痛と鎮静に関する基本的な考え方の手引き」が作成され、今後も随時改訂予定です。
その内容はPCOPのサイトでスライドにまとめたものを公開していますので、よかったらご参照ください。

さて、前振りが長くなりましたが、ここから少し一緒に考えてみてほしいと思います。

例えば、Aさんという患者がいたとして、何をしても十分に緩和されない呼吸困難感や全身倦怠感などの身体的苦痛があり、予後も数日だろうと予測される状況で、「耐えられない、眠らせてほしい」と言っているとします。
この場合、緩和的鎮静を行うことは妥当と言えるでしょうか?

一方、Bさんという患者は、予後は少なくとも数週はありそうで、身体的苦痛はそこまで強くないと自分でも言っているけれど「このまま生きていても辛いだけだから、どうか眠らせてほしい」と希望しているとします。
この場合、緩和的鎮静を行うことは妥当と言えるでしょうか?

私が現在勤めている職場の多職種カンファレンスで先日このような議論を行ったところ、Bさんのような精神的苦痛(あるいはスピリチュアルな苦痛)に対して緩和的鎮静を行うかどうか、という点においては様々な意見が出ました。

「精神的苦痛であっても身体的苦痛と同じように患者は苦しんでいるのだから、緩和的鎮静は行っても良いのではないか」
「全人的なケアによって改善の可能性がないかをとことん行ってみた方が良いのではないか」
「精神的につらいからずっと眠らせるというのは、自殺を手伝うようなものなのではないか」

様々な意見があるかと思いますが、皆さんはどう考えるでしょうか?


【精神的苦痛に緩和的鎮静を行っても良いか?】

まず事実として、過去の系統的レビューにおいて、どんな苦痛があって緩和的鎮静を行ったのかを調べたところ、精神的苦痛は19%の患者に認められていました。(Maltoni M, et al. J Clin Oncol. 2012;30:1378-83. )
他の苦痛と重複しているものもカウントされていることや、1980~2010年とガイドラインが整備される前の時代も入っていることに注意が必要ですが、実際、精神的苦痛に対しても緩和的鎮静は行われているということが分かります。

私個人の意見としても、他の苦痛同様、精神的苦痛を理由に緩和的鎮静を行っても良いと考えていますが、その場合には鎮静の適応検討や、本人・家族とのコミュニケーションをとことん慎重かつ丁寧に行う必要があると考えています。


【精神的苦痛に緩和的鎮静を行う場合に、どのような配慮が必要か?】

精神的苦痛以外の理由で緩和的鎮静を行う場合も同様ですが、鎮静をはじめる前に、以下のような点を検討する必要があります。

 ①苦痛は耐えがたいもので、緩和する手段が鎮静以外にない

 ②患者にもたらすメリットがデメリットを上回ると予想される

 ③生命予後が日~週単位と予想される

 ④患者・家族の希望がある

これらを検討する際、精神的苦痛の場合、まずは①が悩ましいと思います。
例えば鎮静の原因症状としてトップクラスに多い呼吸困難感であれば、ガイドラインに沿って、原因治療・酸素投与・モルヒネ・ベンゾジアゼピン・ステロイドなどの対応を行っても改善しなければ「他に緩和する手段がない」と判断することはできると思います。

しかし精神的苦痛の場合、どこまで・どのように精神的ケアを行っていれば「他に緩和する手段がない」と言えるかが曖昧です。
なので、鎮静を行った後になって「十分に精神的ケアができていなかったのではないか」「もっと良い関わり方があったのではないか」と医療者が後悔の念を抱いてしまう可能性は十分あると思われます。
対策としては、やはり精神科医や心療内科医、心理師が関わることを検討してみるのが良いかもしれません。
もちろん(こう言うと失礼かもしれませんが)専門の精神・心理職であっても、深い信頼関係で結ばれた主治医や担当看護師より、質の高い精神的ケアができるとは限りません。
ただ「もっとやれたかもしれない」という後悔の念を減らすことはできるでしょうから、相談してみると良いのではないかと思います。

②に関しては、患者や家族とよく話し合う必要のある点です。今そこにある”つらさ”で頭がいっぱいになってしまって、論理的思考ができないという可能性もありますので、まずは出来る限りの症状緩和や、気持ちを落ち着けられるようなケア、一度で決めようとせず(クールダウンする時間を挟んで)繰り返し話し合うことなどを検討すると良いでしょう。

③の予後予測もまた難しいところなのですが、これに関しては様々な予後予測ツールを駆使してみるしかないとは思われます。
それでも判断が難しければ、まずは夜間だけ間欠的鎮静を行いつつ全身状態の観察を続けるか、持続的鎮静を始めたとしても、たとえば一週間経過した時点で改めて多職種や家族らと「このまま鎮静を続けて良いか」と再検討の機会を設けるなど、配慮が必要かと思います。

④も悩ましいですね。もちろん鎮静を始める時点で、患者だけでなく家族の納得を得ることが望ましいのですが、最初は家族も鎮静に同意していたとしても、その期間が長引いてくると「ずっとこのままなんですか?」「鎮静を一度切ったりすることはできますか?」と気持ちが揺れ動くということが良くあります。
口に出して言ってくれたらまだ良いのですが、悶々と心に溜め込んで、後になって「鎮静によって、最期に本人と話す機会を奪われた」と思ってしまう人もいるかもしれません。
なので、精神的苦痛に対して鎮静を行う場合は、鎮静を始める前に丁寧に家族の心情について話を聴くこと、鎮静を始めた後も家族に声かけを行い、気持ちの揺らぎに配慮し受け止めることが大事になってくるだろうと思います。


【倫理的問題について】

例えばフランスでは、難治性疾患の患者が最期まで持続的鎮静を受けたまま過ごすことを”権利”として保証するClaeys-Leonetti法というものがあるそうです。
日本にはそのような法律はありませんが、上記の「手引き」で示されたような手順をしっかり踏めば、緩和的鎮静は医学的・倫理的・法的にも妥当な手段であると事実上認められます。

ただし、精神的苦痛やスピリチュアルな苦痛に対しての緩和的鎮静が倫理的に妥当かどうかは、今でも議論が分かれる部分です。
基本的には、上記のような点に配慮して緩和的鎮静を実施すれば問題ないと思われますが、悩ましい場合は院内の倫理コンサルテーションチームや倫理委員会を利用するなど、複数の視点から検討することをお勧めします

他の苦痛もそうですが、精神的苦痛やスピリチュアルな苦痛に対しても、安易に緩和的鎮静を行うのではなく慎重なプロセスを踏むことが求められます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?