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世界の漁業でなにが起きているのかー日本漁業再生の条件ー 第1章 魚は食糧

※この記事は平成8年に発行された書籍「世界の漁業でなにが起きているのかー日本漁業再生の条件ー」の内容です。発行されてからかなりの年数が経過している為、現状と乖離している内容もございますが、何卒ご了承の上お読みください。

第1章 魚は食糧

1 中国12億人誰が養うのかーしのびよる食糧危機

 漁業について論ずる前に食糧、人口、環境問題について多少ふれておこう。アメリカにワールド・ウォッチ研究所というのがある。なぜか日本では知名度は高くない。所長はレスター・ブラウン。世界の世論を動かす男ともいわれてきている。そのワールド・ウォッチ研究所が年次報告を出版している。英名『STATE OF THE WORLD』日本名では『地球白書1995ー96』となっている。このレポートは世界28ヶ国語に翻訳され、アメリカでは1000以上の大学が、生物学から政治学までの多岐にわたる学科で、教科書として使用している。ホワイトハウス必読の書ともいわれている。
 その内容は、第1章 自然の限界が世界を襲う、第2章 海洋漁業と雇用、第3章 山に住む人々と環境、第4章 太陽と風のエネルギー、第5章 持続可能なマテリアル経済、第6章 ビルと住宅の効率向上、第7章 中国の経済発展と地球環境、第8章 難民と移民であふれる世界、第9章 世界平和の資金調達、第10章 新しいグローバル・パートナーシップ。となっている。その「はしがき」にこう記述されている。
 「『地球白書』」は問題をいつも世界レベルで論じているが、時には特定の地球上の地域に焦点を当てることがある。1985年版でのアフリカ、1991年版での東ヨーロッパおよびソ連がそうであった。今年は中国である。12億の国民の需要が高騰すれば、穀物や石油、鉱物、木材、繊維などの世界的な需要と供給のバランスが壊れ、二酸化炭素をはじめとする汚染物質のコントロールが困難になるかもしれない。かつて今日の中国ほど多数の人々の所得が急速に上昇したことはない。この巨大な消費大国の出現による経済的影響は、これから数十年のうちに世界中で感じられるようになるだろう。」
 本年度のハイライトは、この中国の章である。1995年の農林水産奨励会講演会で、農林漁業金融公庫千野忠男副総裁が「国際経済社会の若干の論点と日本の役割」の中で、アメリカのヘラルド・トリビューン紙の『2030年の問題:だれが中国を養うのかーQuestion for 2030:Who Will Feed China ?』の記事を引用して講演した。
 その内容の一部を『地球白書1995ー96 第7章 中国の経済発展と地球環境』から抜粋して紹介する。
 「中国のジレンマは、人口の巨大さに比して保有する資源が少ないことである。国土面積は米国とだいたい同じなのに人工は4.5倍にものぼる。世界人口の22パーセントが住んでいるが、世界資源におけるシェアーは淡水がわずか7パーセント、耕地も7パーセント、石油は2パーセントにすぎない。もし一人当たり穀物消費量が1990年代半ばの300キログラム弱から2030年の400キログラムーだいたい現在の台湾の水準ーに増えるなら穀物総需要はおよそ70パーセント以上増加するだろう。しかし、たとえ収穫量が向上しても、耕地の減少により生産量は少なくとも20パーセント現象すると見られ、輸入で埋めるべき約4億トンの不足が生ずるだろう。これを誰が供給するのか想像もつかない。1980年以降、世界の年間穀物輸出は平均して2億トンにすぎないのである。

表1-1

 これは至難の課題であるが、中国はそれにたち向かう能力をもっているはずである。中国は科学と産業の発展において世界をリードし、独自の生き方をつくり上げてきた。紙と火薬を発明したこの国はいま、西側世界を飛び越えて持続可能な経済への道を示す機会をもっているかもしれない。もしそれに成功すれば、中国は全世界が賞讃し模倣すべき輝かしい手本になることができる。もし失敗すれば全人類がその代償を払うことになる。」
 この衝撃的なレポートは中国当局としても、看過するわけにはいかずレスター・ブラッシとの間で論争があったと記憶している。未来予測については、いずれの時代にも楽観論と悲観論が入り乱れる。このレポートの精度がどうか、限りのある情報の幅からでも検証してみることは価値のあることである。
 1995年に入ってから、日本の各紙誌も「中国食糧確保に苦悩」「中国殺物不足で価格急騰」など中国の食糧問題をとりあげはじめた。
 隣国のベトナムはどうか。1995年5月のサイゴン・タイムズは、1994年度の穀物価格の前年比56.5パーセント上昇と報道。一方ベトナム・ニューズはベトナムから中国へ穀物の密輸出が行われていることを報じている。
 ちなみに中国の人口は12億人といわれているが「中国経済が危ない」の著者中嶋嶺雄は、ひとりっ子政策は完全に実施されておらず、隠し子がおり13億人が実態であろうと述べている。1995年5月Newsweekは『The Bad Earthー中国穀物危機』で特集を組み、鄧小平の言葉「農業がなければ安定はない。穀物がなければカオス(混沌)となる。・・・」と中国の穀物の不足状況などをつたえている。
 1995年6月のThe Economistは『Will the world starve?(世界は飢餓に直面するか)』というタイトルでレスター・ブラウンのレポートを報告しながらも今後100年間120億人を完全に養うことができるという別の研究機関の記事も紹介している。しかし同誌は漁業問題については、『Fish war』という言葉を使って世界の漁業環境の厳しい状況を表現している。
 レスター・ブラウンのことを第2のマルサスと評する人もいる。そのマルサスについて『地球の掟』の著者アル・ゴア(現アメリカ副大統領)は「マルサスが陥った誤りは、農業生産の科学における一連の技術革新を計算に入れなかったことにあるとしながらも、現代農法の多くが将来の生産性を犠牲にしている。すなわち高収穫農法が土壌を粉々にし、表土のぼう大な部分を雨のたびに流失している。さらには、ぼう大な量の肥料と殺虫剤が地下に浸透し、地下水を汚染し続ける。」と述べている。
 アル・ゴアはマルサスの悲観論の一部を一度は否定しながらも、現代の食糧生産システムは将来を犠牲にしていると述べ後段ではむしろ肯定に変ってきている。
 地下水汚染などを意識してのうえか、食糧の主要生産国のなかでは、アメリカは化学肥料使用の伸びが頭打ちになってしまった最初の国でもある。
 ポール・ケネディも『二一世紀の難問に備えて』のなかで、中国・インドについて「残念なことに、環境保護につながる飛躍的な技術の進歩が起こり、しかもその技術が中国とインドにまとめて移転されないかぎり、生活水準の向上は環境におそろしい影響をおよぼしてしまう。人口増加がもたらした環境破壊の証拠は、すでにあちこちにあらわれている。1950年から、中国は大気や水や田園地帯のことなどをまったく考慮せず、わき日もふらずに工業化を進めてきた。その結果、工業地域の空気は汚染が進んで、衛星から探査しても(雲のないときでさえ)数ヶ月にわたって一度も見えないことさえある。毎年失われる表上は50億トンにのぼり、都市の拡大によって110万エーカーの農地が消えている。数千マイルにおよぶ河川の流域は工業廃棄物によって汚染され、沿岸漁場の3分の1は、まったく漁ができなくなってしまった。そして北京の大気はニューヨークの16倍、ロンドンのじつに35倍も汚染されているという。おりにふれて大洪水が発生するたびに森林伐採が原因で大量の表土が流出している。中国の政府当局も遅ればせながら、こうした問題を認識しはじめ、自然保護区域を指定したり、公害防止の措置を講じたり、植樹計画を立てたりしてはいるが、全体の状況は悪化するばかりである。インドでも事情は同じである。」として同一の見解を示している。東西冷戦中の旧ソ連でも、工業を優先するあまり農産物については輸入国に転じている。このことについて、『第三の波』の著者であり、どちらかといえば楽観派であるアルヴィン・ヘイディ・トフラーは中国については、その著『Creating A New Civilization(新しい文明の創造)』で、「社会主義の第三の崩壊の柱は、ハードウェアを過度に強調するところにある。農業と頭脳労働を減じ煙突産業に集中化する。中国が今日求めているとおり、工業偏重の結果として、あらゆる社会主義経済のなかで、農業は実際上、惨たんたる状況となっている。社会主義は第一の波の人々を犠牲にして第二の波の戦略を追求していく。」として社会主義経済である中国が農業を軽視していくことになることを、端的に述べている。そしてレスター・ブラウンは、「世界の科学者たちが危機を認識しはじめた。」として『飢餓の世紀(Full House)』で「最近まで、人口増加と地球の食糧供給能力の問題に注意を向けていたのは、環境、人口分野で活動する人々と少数の科学者だけであったが、1990年代に入り科学界の中心的関心事になった。」と述べ、全米科学アカデミーと英国王立協会の報告と憂慮する科学者同盟の警告文を記述している。それによるとノーベル賞受賞者102名をふくむ世界の第一線の科学者約1600名が署名した警告文の内容は「破壊的な人間活動をこのまま続ければ、今日のようなかたちで生命を支えることがもはやできないほどに自然界を著しく変容させてしまうおそれがある。膨大な数の人間が悲惨な境遇に追いやられるのを避け、この惑星上の全人類のすみかが取り返しのつかないほど破壊されてしまうのを避けるためには、地球とそこに住む生命に対する人間の管理責任を根本的に改革する必要がある。」というものだ。
 ここまで述べれば楽観論者も認めざるをえまい。なにしろ世界の第一線の科学者が食糧の危機を認識し、警告を発しているのだから、レスター・ブラウンを第2のマルサスだとか悲観論者だとかで、その論を一笑にふすわけにはいくまい。この論に対峙していくには、それなりの論拠を示さなければならない。レスター・ブラウンはその著『Who will feed China(誰が中国を養うのか)』で次のように述べている。
 「私と中国の長期食糧見通しとの関わりが、最初に生じたのは、1988年にアメリカ農務省の世界穀物データ・ベースを読んだ時だった。この貴重で有益な資料には、1950年以降の各国の穀物の生産地域、生産高および生産物が含まれているものだった。」そして、彼が駆使している資料のかなりの部分がアメリカ農務省の未発行のデータであることは、末尾の参考文献でわかる。彼との論争はアメリカ農務省と論争しているようなものだ。楽観論を述べる人達は、いつの場合もそうであるが具体性にとぼしい。ちなみに、世界の人口(1995年)は57億人、年間9000万人近くが増加している。楽観論をとるか悲観論をとるかは読者におまかせすることとするが、佐々淳行は『新危機管理のノウハウ』のなかで、日本人の思考様式について、昔からきびしい事実認識と希望的観測(Wishful Thinking)を混同する悪い癖がある。また責任の概念に関して、狩猟民族である欧米諸国と農耕民族である日本との間に、大きなパーセプション・ギャップがあるとも述べている。危機管理意識の薄い日本では、食糧問題、その中で重要な危機に直面している漁業問題についても、顕著な徴候がでてこなければ、認識されないだろう。ここでわざわざ念をおさなければならないことは、「魚は食糧」だということ。・・・このことは、EUの漁業政策のところで改めてふれることとしたい。

表1-2


 最近の穀物相場の上昇についても、アメリカの天候不順や異常気象によるものといわれているが、天候不順でみるか、異常気象でみるかによって、長期的な対応が大きく変わってくる。気象を大きく左右する海洋をふくめた地球環境の研究が急がれる。
 日本国内でも農業の自由化に際して、各界の見識者が、声高に農業の生産性の向上をさけんでいた。その中でひとり冷静な人がいた。橋本龍太郎首相だ。テレビ討論会のなかで、自由化を主張する国は、今後とも輸出を保証することだとすれば、やむをえないだろうというような趣旨の発言をしていた。見識のある印象深い発言だった。
 レスター・ブラウンも講演会の参加者の質問に対して、しのびよる食糧危機の対応策の一例として・各国の食糧の自給率の向上・食糧に対する特別課税・食物連鎖を下げよう。(イワシなどを食べよう。その方が健康的だ。というような意味。)をあげていた。
 ウォータ・シェッド(分水嶺)は通りすぎているのだ。自然を相手する「つくり、育てる産業」の生産性向上を主張する人達は、科学の力をしても所詮限界があることに気づいていないのだろう。私達のサイエンス・技術力の前に、絶対真理といわれている「エントロピーの法則」が、大きく立ちだかっていることを。「エントロピーはすべての科学にとって、第一の法則である。」といったのは、アルバート・アインシュタインだ。エントロピーとは利用不可能なエネルギーのことだ。このことについては、後述することになる。

2 戦略なき日本漁業

 「ソ連の崩壊以来、世界は国際的なイデオロギーの緊張によって支配された時代から、地球の温暖化、環境汚染、資源減少、人口増加が国家の安全保障の問題として再定義される時代にむけて動き出してきた。パーゴの航海は、ほう大な軍事費支出の時代から海洋の理解と人間の健康、海洋生物資源の監視への挑戦にむけての時代を示唆している。この移行をなしとげなければ、生態系と人類に高い犠牲をもたらすことになろう。」
 この文章は『The Wealth of Oceans(豊かな海)』の一節である。「パーゴ」とは、アメリカ海軍原子力潜水艦の艦名だ。この艦に科学者グループが乗艦し、1993年8月1日北極海にむけて出港。一世紀前にナンセンが調査した時と同様の海流の動き、海洋汚染の調査などを行ったと記されている。あとで気がついたことであるが、この北極海の調査については、少し気にかかる。『海の熱ポンプ』の故障のことと深く関わっているのだろうか。この『海の熱ポンプ』については、次章で詳しく説明することになるが、調査の結果はどうなったのだろう。

表1-3

 食糧大国アメリカでさえ、食糧問題を国家の安全保障問題としてとらえ、北極海の調査まで行っている。食糧輸入大国日本にその戦略があるのだろうか。平成6年度漁業自書は、「現下の我が国漁業を取り巻く情勢は非常に厳しいものがある。平成6年は漁業における国勢調査ともいうべき『漁業センサス』が公表された年であり、苦境に直面する我が国漁業の姿が改めて浮き彫りになったが、これによれば、漁業就業者の減少、高齢化は一段と進行するとともに、経営体数、漁船隻数等漁業生産の基本的指標において、国際規制の強化に伴い中小漁業、大規模漁業層のシェアーが低下し、沿岸漁業層のシェアーが一段と高まった。さらに経営状況をみても、中小漁業経営体の漁業利益が平成4年に8年ぶりにマイナスになったのに続き5年も引き続き赤字幅が拡大し、また沿岸漁船漁家も平成5年は漁業所得が前年にくらべ、減少したこと等により漁家所得も前年を下回るなど極めて厳しい状況になっている。」と述べ、基本的課題は次のとおりとしている。

(1)我が国周辺水域の高度利用
(2)消費者、実需者ニーズに対応した供給体制の確立
(3)環境にも配慮した資源の適切な管理
(4)足腰の強い漁業経営の確立
(5)漁業を核とした魅力ある定住圏づくり

 そして、「以上の課題に対しては、漁業者をはじめとする関係者の英知を結集して対処していかなければならないが、その際技術開発の果たす役割も大きいものがある。これまで、水産技術は、時には漁業の方向を規定するほどの影響力を与えながら、開発されてきたといえるが、今後ともこれら課題解決に向けた水産技術の新たな展開が望まれるところである。幸いにして、我が国には、水準の高い技術と質の高い熟練した漁業従事者が存在するほか、巨大な水産物マーケットと周辺水域に世界屈指の好漁場があり、漁業をめぐる人的・物的条件に恵まれている。」で結んでいる。しかし、この白書を読んでいる限りでは、漁業のかかえている深刻さはあまり伝わってこない。見方を変えてみてみることとする。

(1)イワシの減少を別にしても、漁船漁業の生産量は、昭和60年以降減少が続いている。
(2)沿岸漁業についても、種苗放流をしているにもかかわらず、昭和60年の227万トンが、平成5年186万トンと40万トンの減少がみられる。
(3)漁業就業者数も平成5年男子合計は、267,863名であるが、そのうち60才以上は、90,769名で34パーセントを占めている。5年も経てば17万人程度となる。一方15才から24才の就業者数は、10,050名でわずか4パーセント程度。
(4)魚介類の自給率は、昭和60年の86パーセントが平成5年で64パーセントと大幅に低下している。
(5)漁業就業者の死亡、行方不明者数についても昭和60年の173名が減少はしているものの、平成5年も100名の大台を超え117名となっている。

 大雑把にこれらの数字をみても、日本の漁業は決して足腰の強い産業とはいえまい。赤字の経営体質と事故率の高さは、人的な点もふくめた総合的な技術力の低さを表わすもので、白書が指摘しているような水準の高い技術と質の高い熟練した漁業従事者が存在するとはいい難い。なによりもまして、食糧の不足が予想される時代に入っているのに、そのことについてはほとんどふれられていない。魚介類が食糧であることを忘れてしまっているのではなかろうか。

表1-4

 ヨーロッパの漁業政策について詳しく調査研究したわけではないが、Holden著『The Common Fisheries Policy(共通漁業政策)』によれば、その基本的な考え方が次のように記されている。
 「ヨーロッパの自給自足のコンセプトの背後にあるものは、ヨーロッパ大陸の人々が、1939年から1945年までの戦争終結のあと飢餓が発生したという事実にある。CAP(ヨーロッパ共通農業政策)はどこでなにが起ころうとも、共同体の住民を決して再び飢えさせてはならないということである。共同体自体が消費のために多くの食糧を生産してもなんら問題はない。世界の残りの人々が、その余剰分を熱心に買い求めるからである。」として、ヨーロッパ大陸に2度と再び飢餓を発生させないことを第一義としている。
 また、漁業については、「ヨーロッパ共同市場は、農業と農産物の貿易を拡大しなければならない。農産物とは、土壌、家畜および漁業の産物ならびにこれらの産物と直接に関連する第一段階の加工の産品を意味する。」として、同列に置いている。
 そして、EUの保護政策については、ポール・ケネディの『二一世紀の難問に備えて』によると次のとおりだ。

・共通農業政策(CAP)では、EU域内の農業を域外の低コストの農業との競争から守るために共通関税を設定。主要な食料品は最低限の支持価格を定め、市場価格がそのレベルを下回ったときには買い上げることをしている。
・余剰農産物を輸出できるように輸出補助金を出している。EUの支出の70パーセントは農業および漁業関連で占められている。
・1990年に支払われた農民への補助金は、1,334億米ドル。ちなみにアメリカは741億ドル、日本は590億ドルで『The Common Fisheries Policy』と一致してくる。しかし、漁業に対する補助金については、「EUの支出の70パーセントは、農業および漁業関連で占められている。」にとどめられており、詳細は不明である。

 そこで、ワールド・ウォッチ研究所の『地球白書1995—96』の「何が乱獲を引き起こしたのか」という項から推測してみることとする。
 「どの国も自国の漁業を丹念に調べれば、必ずといってよいほど操業能力が過剰となっているのがわかる。経済的破綻に瀕する漁業者が増えていくと、政治家には補助金交付の圧力がかかる。補助金は、過大な数の漁業者を引きとめて、操業能力の過剰が続くことになる。乱獲がひどすぎると漁業は崩壊し、雇用危機がもたらされる。FAO(国連食糧農業機関)は、年間540億ドルほどが補助金として水産業界に与えられ、ここ数十年の業界の肥大を招いていると推定している。たとえば、EU加盟国は、自国の漁業船団に少なくとも年間5億ドルもの補助金を与えている。これには燃料補助や保護関税、地方自治体からの補助金は含まれていない。操業経費のなかでも重要な燃料への補助金は、70年代および80年代のオイルショックによってますます一般的になった。たとえば、台湾の漁業会社のなかには燃料が操業経費の60パーセントから70パーセントを占めるところがあり、1991年に政府は、およそ1億3,000万ドルを燃料補助金として分配した。崩壊前のソ連は、燃料補助金に年間数十億ドルを支出していた。米国の漁業者は、20〜22セントのディーゼル燃料税が免除されているが、それは年額約2億5,000万ドルの補助金に相当する。」と補助金の増大が乱獲の要因のひとつと述べている。
 この文章を日本の漁業者が読んでみても理解に苦しむところが多いのではなかろうか。わが日本漁業にとっては、縁の薄い言葉が次から次に出てくる。FAOの全世界の補助金総額540億ドルは、1ドル100円で換算すると、5兆4,000億円になる。日本の漁業生産量は、世界のおよそ10パーセントに当るから、単純に計算すると補助金は5,400億円に相当する。これに国力を勘案すると1兆円近くになる数字だ。EU加盟国の方からみても、一国平均500億円の補助金が支払われている。正確な数字を別にしても、日本の漁業規模は、その10倍くらいはあるだろう。とした場合、その補助金は5,000億円くらいになる。しかも燃料補助は別だ。縁の薄いという表現を使ったが、縁がないという表現の方が適切なのかもしれない。日本は、まさにFAOの考え方に沿っている唯一の国かもしれない。
 この補助金ひとつとってみても、国際競争に勝てるはずがない。むしろ、これまで日本漁業がよく存続してきたなと感概を新たにするところだ。戦略なき産業が崩壊するのは、自明の理だが、それだけですめばよいがそうはいくまい。食糧大国アメリカにしても、ヨーロッパの漁業先進国にしても、戦略があってのうえだ。そのことについては、次章以下で述べていく。
 これまで参考文献としてきた『地球白書』『二一世紀の難問に備えて』『地球の掟』『The Wealth of Oceans』にしても、次章からでてくる『The Sea around Us』『エントロピーの法則』にしても、すべて一般書だ。いずれもベストセラーまたは、そのレベルといわれている。しかも、これらの書は、数百冊以上の文献を駆使しているのだからその水準の高さがわかる。私の不明のせいか、残念ながら日本ではこの種の一般書は見当らない。欧米の海洋、海洋生物資源、海洋汚染、海洋の生態系などの知識技術水準は高いと認めざるをえない。ある会合で私は日本の漁船漁業の技術は、すでに国際的な水準からみて、二流化したと述べたことがある。一瞬ではあるが、その会合の出席者から白い眼でみられその根拠を求められた。したがって、その理由を平たく述べることとした。
 「なぜ、大衆魚のサバがノルウェーから20万トン近くも輸入されてくるのか。しかも高い輸送費をかけてだ。それは少なくとも国際競争力があるからだ。」とこたえ、さらにつけ加えることにした。「漁船漁業の技術を考える場合、日本では狭義に解釈されている。私のいう技術とは、海象、気象、魚の生態、魚の行動、漁具、漁法、加工処理、漁船(船橋、船体、機関、補機・・・)船内積付、積おろし、船体および人間の安全性などすべてを指している。しかもこれらが一体化されていなければならない。」と説明し、出席者から理解を得た。学問的に区分すると、海洋学、気象学、魚類学、生態学、船舶工学、漁具、漁法学、安全工学などの知識、技術が必要になってくる。
 日本では、安易に一流だ、二流だという言葉が使われる。一時マスコミで使われていたのが「経済は一流、政治は二流ーー」。どうも日本人は、この『流』という言葉が好きな人種のようである。一流であるか、二流であるかは、諸外国と客観基準で比較して、はじめてわかるものである。
 1990年『メイド イン アメリカ』という本が出版された。その目的は、マサチューセッツ工科大学(MIT)のボール・グレイ総長の問題提起、すなわち「アメリカ産業の業績に生じた異変は何か」「事態の打開と改変のためにアメリカにできることは何か」という点を起点とし、各分野にわたる第一線級の専門家30数名からなる特別委員会を設置。2年という時間をかけ、アメリカ、日本、ヨーロッパにおよぶ200社の企業を訪問し、8つの産業別の詳細な分析、さらに、十数項目にわたる具体的な政策提言を加えた報告である。まさに、どの分野が一流か、二流かの国際比較である。余分なことかもしれないが、日本の水産系大学で、MITの実施した方法などを研究のうえ、漁業の技術・知識の国際比較を行ってみてはいかがなものか。脇道にそれた。『メイド イン アメリカ』にもどす。そのなかに傾聴すべき一節がある。
 「現在もアメリカが、基礎研究分野のリーダーであることは異論の余地はない。アメリカは科学における活動規模では、卓越しており、新発見の数で右に出る国はない。にもかかわらず、アメリカ企業は、こうした発見、発明を基礎として、事業展開を図る点で海外競合企業に遅れをとっていることに、しだいに気づきはじめたのである。トランジスターラジオ、カラーテレビ、ビデオカセット・レコーダー、数値制御の工作機械などは、すでに海外メーカーに占拠されてしまった製品のほんの数例にすぎない。残念なことに、これらを可能にした主要科学技術の革新が最初に行われたのは、アメリカなのである。ーアメリカが、生産性において最前線の地位に復帰したいと考えるのであれば、まず、生産技術の重視、人材の育成、協調性の奨励が必要である。だが、それだけでは不十分である。国際化と競争がさらに進みつつある世界で、競争にうち勝つためにアメリカ人は、自国の外にも視野を広げていかねばならない。」として産業界、労働界および政府のとるべき具体的戦略を提言している。
 日本の漁船漁業の技術が過去において一流と、また、現在も一流と思っている方々には、この書の一読をおすすめする。また別の書で、MITの教授が「日本の技術が一流かどうか?ノーベル賞でみれば、わが校一校にも及ばないのではないか。」とも述べていた。最近の日米欧のそれぞれの国の技術者による技術比較(20数種)では、日本が優れているというのは、ひとつもなかったと記憶している。アメリカ海軍士官学校読本『アメリカ ネイバル リーダーシップ』の一節に『人間は概して物事を知らないでいるということに気づかれるのを嫌がるものである。しかし、真の技術者は「知らない」ことを強さのしるしとし、多くの問いをする。』とある。知らないことが、たくさんあるから進歩もあり、また発明・発見がある。Newsweek誌は、1995年1月30日号で、阪神大地震について、特集を組んだ。そのなかで、第二次世界大戦の東京の被災状況の写真をのせ、その下に自信過剰時代の終焉と、そして今回の大震災については、経済的・技術的なごう慢の終りという表現を使っていた、自信過剰とごう慢は、日本人の意識構造のなかに常に潜んでいるのかもしれない。百害あって一利なしだ。心ある忠告として受けとめるべきだ。日本漁業についても当てはまるだろう。
 日本の漁船漁業もしのびよる食糧危機をひかえ、諸制度、技術など全面的な見直しが迫られている。漁業先進国、漁業立国との比較においてどのようになっているのか。この検証は、私にとってもぼう大な作業である。海外情報も限られている。筆者の英語力では間違った解釈もあるかもしれない。そのことをおそれずに挑戦してみることとする。
 漁業資源の問題を考えた場合、日本漁業にとっても大きな技術革新が必要な時代に入ってきている。たとえば漁獲高を20パーセント程度削減する構造を築く必要がある。その場合、コストを40パーセント近く削減しなければならない。漁業従事者の自然減少からしても、生産性向上をはからなければならない。日本の漁業を広義の技術的側面からみた場合、どちらかといえば、大手の水産会社が支えてきた。その大手の水産会社が漁業からほぼ撤退した今日、技術の発信地をどのようにするのかということだ。大幅なコスト削減は、容易なことではなく、関係する技術陣が総動員して当らなければならない技術革新以外のなにものでもない。漁業者のみではできるものではない。漁業関連業界は、不採算部門のリストラを行っている。収益の薄い部門からは撤退している。なかには漁業者とのおつきあいはこわいともいっている者もある。
 技術革新については、産官学が知恵を出し合って取り組まなければならない国家的課題である。それも急がないと漁業者の自然減少だけではなく、関連する技術者も底をついてくる。漁業先進国は、その技術革新をほぼ完了している。

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