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バリバラ SHOW1グランプリを楽しむことでいろいろ気づいた

 昨年末、NHKバリバラはSHOW1グランプリという企画を放送した。
まずは、この企画に対して「非常に楽しい番組で、この企画を開いたことについて感謝の念を表明する」

 私がカミングアウトしていることは、広汎性発達障害「自閉スペクトラム症アスペルガー症候群タイプ」と先天性自律神経機能不全であり、特に前者は表現活動に正負とも大きな影響をもたらした特性であった。

SHOW1グランプリを観ることができた「冗談嫌いという病の克服」

 実をぶち明けると、小さい頃私は「ネタや冗談が嫌い」な性格でありお笑いも苦手、嫌いなタイプであった。極端な時は風刺作品に対する攻撃が酷かった。自閉スペクトラム症にはこういうタイプの当事者もいるそうで、冗談が通じなく自己嫌悪や他人嫌悪に陥ってしまう特徴はまさにここから出たものであった思われる。

 冗談嫌いというのは、小さい頃「ドリフターズ」のコメディ番組を観たこと、アニメや漫画を鑑賞したことにより克服したものであり、現在はこれを「正の方向」に利用していけている生業に就けるようになった。改めて「冗談や表現・ネタの嫌い」を克服したことは、生きづらさを脱することにつながったことだと感じて本当にすっきりした。親からは「冗談がわからないと大人になってから苦労することが多い」と戒められていたが、それは今のネット社会で主にSNSに可視化されていて改めてそれがわかった。

そういえば、小さい頃お笑いに対して自分の劣等感や嫌悪を盾にマジ切れしてしまった時期があったなぁと回顧、あれは本当に厄介なガキだったな、狭量な人だったなぁと幼少期の罪を咎めている。
もし、これがなかったら、バリバラのSHOW1グランプリなんて微塵にも楽しめなかったのかもしれない… そう考えると克服してよかったし、克服できるものが克服できてよかった。

コンプレックスの解消

 今度は、SHOW1グランプリがあることによる生きづらさの解消をもたらしたことに気づいた。私の自閉スペクトラム症は、以前は正確に診断を受けるまでの「疑い」の時期はその性格はコンプレックスにで、外野からの抑圧的な空気に耐えることができず鬱ぎ込んでしまう事もあった。今は「正確に自閉スペクトラム症・アスペルガー症候群タイプ」と診断されたことによる「障害コンプレックス」や「診断コンプレックス」を抱える形態に変わり、障害や病気に対して馬鹿にされていたり、被害を受けているという妄想がつきまとった。SHOW1グランプリはこういう劣等感や「負とされるような特徴」をネタや笑い、表現活動に変えて自然と劣等であるものと感じなくさせることによる「生きやすさ」を生む効果があったことに気づいた。

 このバラエティは、コンプレックスの解消による表現や活躍の場、芸術の場、そして啓発の場といった居場所を与えてくれたことがわかり、改めて感謝している。同じ形式であるのは何か考えたらイギリスの障碍者ダーツ選手権、パラリンピック、ミゼットプロレス(ミゼット;低身長症候群)、そしてeスポーツである。

私と同じ特性をカミングアウトしている出演者へ思う

  「自閉スペクトラム症」「広汎性発達障害」に関係する出演者は3組、とうがらぴさん・鈴木凛子さん・フリップフロップさん。とうがらぴさんはマンネリ化してしまったお笑いバラエティから逸脱した漫才、鈴木凛子さんは内面的な想像力を生かしたライブと創作話、フリップフロップさんは真面目すぎた「強盗撃退」コント。「想像力に偏りがある性質同士」であったからなのか私はどれも面白かった。審査員の評価はこの特性があった出演者に対して、非常に個人個人で波があったことが共通していた。それでも、特性をプラスに生かして悪いことは考えずに気楽で生きやすいライフを送れるように願っている。

バリバラは生きやすさを自然と作り上げた斬新な切り口のバラエティだった

 SHOW1グランプリでわかった効果は、番組によって障害や自分の特性を自分がネタにする・されるのに慣れてくると、不思議と自然に「障害、普通、健常さ、少数 など」の劣等感や嫌悪感や被害妄想がなくなって生きやすくなることであった。この番組がずっと「みんなちがって、みんないい」という金子みすゞさんの詩の一説を引用しているのは、井の中の蛙のような狭い心の中に閉じこもっていないで、もっと広い心と創造・受容力を持つことが人間の生きやすさにつながるということにある啓発なのかもしれない。

リンク先:NHK バリバラ SHOW-1 GP


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