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情緒不安定でどんよりしている、6月18日-6月24日

2024/06/18
もう記憶がない。


2024/06/19
どうして、わたしは、元気のない日にわざと「元気があるように」振る舞わなければいけないのだろう。
どうして、わたしの「つらい」「苦しい」という本音は、誰かを悲しませるのだろう。
どうして、辛くても苦しくても、「それでも自分は恵まれてる」って言わなきゃいけないのだろう。
どうして、好き放題努力できてちゃんとそれが報われていく世界で生きる人たちに「頑張れ」って言われなきゃいけないのだろう。
どうして、応援して欲しいけどわたしの気持ちを理解せずに向けられる「頑張れ」にイラついてしまうのだろう。

どうしようもなく心が荒んでしまう、そのとき明確な理由があったわけではないのに涙があふれる、優しい人々にあたってしまう、やらなければいけないことに集中することが難しくなる。

心がどこか遠くへ行く、見ているようで見えなくなる。

救いがあるのなら、わたしはただ待つことだけをしたい。

7時に友達が家に来てくれて、朝の4時までずーーっと編み物をした。
ストレスいっぱいでゴワゴワぐるぐるしているわたしの心が、スッと軽くなって明るくなった気がした。


2024/06/20
怒りや不安や焦りや嫉妬とか、全ての感情が入り混じってかなりのストレス状態。
ただ座っているだけで、涙がこぼれた。
自分と他人とを比べたいわけではないのだけど、どうしてもその境遇の違いが浮き彫りとなってしまって辛くなる。
そしてその「違い」はわたしにしか見えていないようだった。それがまた辛かった。

この記事では、『マジョリティの特権は「見えない自動ドア」のようなもの』と表現されている。

『目的地に向かって歩くとき、マジョリティ性が多い人は透明なドアが自動的に次々と開くので、どんどん前に進むことができます。たまたま権力に近い属性を持っているから「センサーが自動ドアを開けてくれる」という恩恵を受けられているのに、「ここまで到達することができたのは、自分の努力の結果である」と捉えてしまいます。ドアがあることにも気づきません。
一方、マイノリティ性が多い人の場合は自動ドアが開かず、努力してもなかなか前に進めません。ドアを自力でこじ開けなければならないなど、負荷がかかるため、センサーが不公平に働く社会構造に気づくんですね。』

教育現場にも見られる「マジョリティ特権」の弊害 権力に近い人ほど気づきにくい「構造的差別」

ちゃんとわたしのことを言葉にしなくては、と思うけど、今は少し辛くて言葉にするのもしんどい。
いつかこの不平等な現実と、この思いを言葉にできるといいな。


2024/06/21
沼津に行った、初めて、大好きな人と。

朝9時前に出発して、沼津までドライブ。

たくさんお話しして、ずっと気になっていた映画を観て、たくさん食べて、たくさん笑った。


関心領域(2024) を観た。

とにかく、「音」。
「音」の演出が素晴らしい。ここまで「音」が中心の映画は観たことがない。
演者たちがセリフを繰り広げているけれど、どの言葉も全く問題じゃない。誰も何もわかっていない、いや、わかっているのかもしれないけど、わからない、無関心を貫いている。
だけどそこに、無意識の中に、嫌というほど侵食してくる、「音」。

あれで正気でいられる事がすごい。
私だったら辛すぎて耐えられない。


2024/06/22
バイト①


2024/06/23
バイト②
私が住んでいるシェアハウスに、大学の先輩と同期が遊びに来て、みんなで哲学対話をした。
「信じる」「信頼関係」「好き」ってなんだろうね?ってひたすら話した。
夜中の2時まで話した。

わたしがこの大学に進学できてよかったなって思うのは、哲学対話を永遠とできること。
夜中にベッドの中で考え出したら止まらないことを、友達とごちゃごちゃ話せる環境にいる、ていうかわたしの友達みんな、わたし以上にいろんなことをめちゃくちゃ考えているから、刺激ももらえるし、凝り固まった考え方を柔らかくしてくれる。


2024/06/24
1コマしかないのに学校に行かなかった日。
朝起きてたのに、だるくて動けなかった日。

そういう時もある!

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