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総合診療x海外のキャリア 大学院編vol.3

専攻医のみなさん、こんにちは!
専攻医部会キャリア支援部門が全3回にわたってお送りする
「総合診療x海外のキャリア 大学院編」
第1, 2回の投稿は見ていただけましたか?いよいよ最終回、第3回はこちらの先生です。インタビューの動画はこちら!
https://www.youtube.com/watch?v=XQPl9mN8j60

高村昭輝(たかむらあきてる)先生
Flinders University (オーストラリア) 教育学修士課程 現地
https://www.flinders.edu.au/
 


Q. 大学院進学を考えている人にMessage

医療に全く関係なくても、一度日本を外から見ることはいい経験になると思う。医療でなくても、臨床でも、大学院でも。経済的、物理的に可能なら行ってみるといいと思う。日本にいる限り、医師は食いっぱぐれない職業だが、直感とワクワクする方向を信じて進んで欲しいと思う。
 
 〈略歴〉
1998年富山医科薬科大学(現富山大学)卒。小児科医になりたかったが、小児以外が診れないのも嫌だと感じていた。当初は初期研修医がなく、直接入局のシステムだったので大学を出て市中病院に行った。内科外科をローテーションしながら最初の2年を過ごし、3年目から小児科に移って小児科の後期研修を5年間行った。その後城北病院で仕事をして、2007年〜2008年にオーストラリアのFlinders University教育学の修士課程に進学し、現地で大学院生活をした。
2009年同大学Rural Clinical Schoolの教員としてオーストラリアに1年間勤務して日本に帰国した。再度城北病院に勤めながら発展途上国(ベトナム、タジキスタンなど)の医療者教育プロジェクトに参加しつつ、地域医療に貢献し、総合診療科を立ち上げるプロジェクトを行った。
金沢に戻り、金沢医科大学の医学教育学講座に2021年まで勤務し、出身地の富山に戻って富山大学医学教育部門教授・総合診療科長に就職した。

Q. 大学院進学に興味を持ったきっかけと時期について、どうして海外にしたか

小児科医にはなりたかったが小児科以外も、と考えた時点で、臓器別専門分野に進むキャラではなかった。小児の専門分野を決めて研修に出よと言われたが、そこに興味がもてず、燻っていた。そこで藤沼先生に出会った。民医連の病院の関係で講演にきていた時に話を聞いた。医学教育って知っている?と話をされた。日本では今はできないが、海外では医療者を育てる教育の大学院やコースがあると言われた。海外に行って学んで日本の田舎で教えるってかっこいいじゃん!と言われて。そのころは候補は10個くらい。それぞれの大学院は特色があった。地域に育ててもらっていたと考えていたので、地域を教育資源として活用したかった。オーストラリアはCommunity based Medical Educationであって、すごくしっくりきた。英語が本当に苦手で喋れなかった。TOEFLとIELTSのスコアは必要だと言われて必死で勉強した。月1回の完全にオフの日を英語の資格試験に費やす生活を3年続けた。近くに受験会場もなかったので何度もそれでやっと入学できることになったが、遠隔大学院だと気づいた。どうしても遠隔は嫌だとごねたら、教育学の修士課程に入学して、コア科目はそこからとって、選択を医学教育の科目にして、現地で多く学べる特例措置をとってもらって念願かなって大学院に。

Q. 大学院時代の働き方について

フルタイムの大学院生とはいえ、授業だけだとそこまで忙しくない。週3日くらい授業。半日あるかないかくらい。それ以外は暇だった。英語が苦手だったので最初の半年は予習復習にかなり時間を取られた。慣れると時間を持て余すようになって、医学部のシミュレーションセンターに勝手に出入りし始めて、担当の教員に見学に行って、3ヶ月〜半年くらい立って、変わった日本人だと学生を教えるのを手伝うようになった。そこからさらに半年経過したところで、アルバイト代を出してくれるようになった。大学院が終わって帰る時に、Rural Clinical schoolのポジションが空いているということになり、推薦を受けて、教員としてもう1年働くことになった。ちゃんと調べて奨学金とかを申請していけばよかったなと思うが、貯めていた貯金を食いつぶしながら過ごした。自由な時間も休みもあったので、日本よりも家族の時間、旅行を楽しむことができた。

Q. 大学院進学がいまの臨床に活きていると感じる瞬間は?

まだ医師で海外の大学院をでた先生は少ないと思う。岐阜大学にやっと医学教育の大学院ができて、少しずつ増えてきた。当時は10人もいなかったと思う。世の中の流れで医学教育が大事だという追い風が吹いてきていて、色々な人に声をかけられて、自分の経験を話す機会が出てきた。母校に医学教育ができたのも、留学で学んだことが生かされていると思う。

Q. 計画性を持って大学院進学した人より、何かにふっと背中を押された人が以外と多いとインタビューをしていて感じるが

先人が少なかったので、ある人が世界を広げてくれて、わぁってなる感じはわかる。専攻医世代はまわりにすこし大学院進学を検討している人たちがいて、こんな世界もあるんだなってなった。

Q. 進学にあたって検討した他の選択肢は?

医学教育といえばダンディー大学(イギリス)、マーストリヒト大学(オランダ)、ハーバード大学(アメリカ)。妻の協力なくしては成し得ないので、どこで家族で暮らすのがよいかと思って、オーストラリアにした。あとは他の人が行っているところにはいきたくなかったので。

Q. その国で臨床をしたいと思ったら?

自分は結局人脈で仕事を得ることができた。その国にいる大学院生としての2年間の間に、臨床するために仲良くなっておいた方がいい人と繋がっておく必要がある。「人を選ぶのは人」なので、この人はこの場所に必要な人間だと認めてもらう、ひととなりを知ってもらうのは大事。戦略として大学院を使うのはあり。Rural GPとの交換留学プロジェクトをしようとしているが、シミュレーションセンター長とは今も繋がりがある。

Q. 家族はどんな反応だった?

妻は引越し好きなので喜んでいた。子供は当時小2、年中、年少で現地には日本人学校がなく、現地学校に通ったので最初の1.2ヶ月は英語がわからなくて毎日泣いていたけど、結局は楽しんでいた。

Q. 現地でかかった学費はどのくらい?

円高が酷くて、当時は1AUS$70円くらいだった。学費は120〜130万円/年くらいだったが、物価が高かったので生活費が大変だった。小学生も留学生扱いだったので学費を払わないといけなくて、年70万円くらいかかった。働いてワーキングビザが降りると全部タダになった。年収800万円くらいもらえた。貯金を切り崩していたので、貯金は一時なくなった。

Q. 現地に残りたい気持ちはあったか?

仕事のオファーがあったので、残ったらいいかなという気持ちもあったが、子供が高校受験以降を日本でするなら、戻った方がいいのではというところになった。このまま残って、高校とか大学までそのままオーストラリアにいて、年をとってから日本に帰るかどうか。日本の受験制度が足枷になった。

Q. 先生はどこにワクワクしていたか?

子どもの教育を見ていてワクワクした。娘に何習っているの?ってきいたら、太陽系の勉強していると言われた。朝から夕方まで、2週間後も太陽系を勉強していた。そのうち模型を持って帰ってきて、太陽系がおわった。みたいな、ゆるい、けど人として知っておかなきゃいけないことを習う。小学1年の娘は、日本の頃の癖で勉強してたら「非常に優秀です」って評価された。小学校中学校でも留年する仕組みだが、留年はネガティブな感じではなくて、「うちの子はなかなかたいへんだったからもう1年やるのよ」ぐらいの軽さ。かといって、別にオーストラリアの医師のレベルが低いわけじゃないから、日本の教育って間違ってのるかもと思った。
働き方がゆるい。夕方3時からみんなそわそわしはじめる。4:30にはスーパーが閉まり始める。夜は休むのが当たり前。人間らしく生きられそうだと思った。

Q. 大学院に通っていた頃の1週間のスケジュールは?

半年での履修科目は3科目。2年間で12科目。週に半日ずつ科目があって、その前後はその予習復習に時間を使う。課題が多いので、ひたすら論文を読んで課題を書くというのをひたすらやる。グループディスカッションもやっていくので、授業形式とは全く違う。Flip Classroomだったので復習がとても大変だった。臨床から離れて、学びを深めることの幸せ感があった。

Q. 現地で大学院に進学することのメリット

時間がたっぷりあるので、没頭できる。日本にかえってきて10年経つけどまだ大学院の経験の貯金が残っている感覚だった。帰ってきたあとの英語論文は最初から英語で書くことができた。借金してでもいく価値があると思う。人との繋がりとか経験を含めると、本当にお金に変えられない価値というのはあると思う。

Q. 海外にいくタイミングは?

純粋にいうと、行きたい、と思った時。医学教育については、ちょっとは臨床現場のことわかってからの方がいいかな。迷ってるなら行くべき。迷っていかないって思ったら、もう行くことはないかもしれない。子育てについては、3-4歳こえてるなら、迷わず海外行く方がいいだろうと思う。TOEFLの試験を7月に受けて、11月にはもう現地にいた。勢いは大事。向こうに行ってくじけることもあるけど、行ったらやるしかない。

Q. 日本の医学教育の課題は?

国家試験の弊害が与える影響が大きい。出題基準があって、まんべんなく出題されるせいで、すべての医者が知っとかなきゃいけない以上のことが要求される。臨床実習を全部まわらなきゃいけない。オーストラリアは耳鼻科や眼科はローテーションしない。選択科目になっている。日本は「全部をやらなきゃいけない」という強迫観念にかられていると感じる。
オーストラリアは、へき地で主要産業の石炭・小麦などが生産されるから、国としてはへき地に労働力をさく必要があり、医療者を派遣する必要がある。IMG(海外の医学部卒業生)はへき地で8年過ごしたらfull licenseを与えることになっている。オーストラリア原産の医学生や看護学生を増やしたいなら、地域の楽しさとか面白さ、地域の人の期待を受け止めるのが重要だと思う。オーストラリアは4-6年制の医学部で最後の1年間(44週間)をRural GPと過ごす。それの実習をみたいと思って現地に行くことにこだわった。
日本に帰国後、三重大学で4ヶ月学生を地域に送る実習をはじめた。当時は選択する学生がすくなくて、2年に1人ぐらいだった。2021年に富山に赴任して、学生を12週間連続の実習に派遣しはじめた。

Q. ノンテクスキル(リーダーシップやカイゼン、コミュニケーション)はどんなふうに教えるの?

科目として教えるのがいいのか、すべてのものに横断的に関わってくるので、それを頭においた上ですべての科目に散りばめるのか。教員がノンテクスキルをすべての科目に入れるってのが本来だと思う。

いかがでしたでしょうか?
海外の大学院シリーズはこれにて終了です。次回以降は臨床留学編(全2回)をご紹介する予定です。どうぞお楽しみに!


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