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しごおわの流儀


しごおわは終わりではなく始まりである

働き方改革が叫ばれて久しい。僕も以前に比べればかなり残業が減った。ただし仕事の量はどう考えても一定か、実感としては増加しているようにも思われ、仕事が超密度化しただけで仕事に費やすエネルギーの総量に変化はないようにも思う。それゆえ働き方改革の前後に関わらず、僕にとって「しごおわ」の大切さは一定である。
しごおわは一般的に「仕事が終わった」ことを短く言い表した用語であると解されている。しかし僕レベルのしごおわ愛好家は仕事が終わったことであるとは考えない。
1日の始まりであると考える。
仕事とは自分のためではない、他人様や社会へのご奉仕の時間である。いや、報酬が伴うのだから純粋なご奉仕とは違う、という考え方もあるだろう。なかには仕事に自己実現を見出す思想の持ち主もいるかもしれない。しかし企業が「利潤」を得るということは必然的に労働者が報酬を上回る不払労働を提供していることを意味する。であるが故に生産手段を革命的労働者政府の下に国有化して云々、とかいうややこしい思想の持ち主ではないが、基本的に仕事とはご奉仕であるという考え方である。またそれで良いと思っている。ご奉仕によって徳を積んで少ないながらも報酬が貰えるのだからありがたい話である。
とはいえ修行僧じゃあるまいし、人生のすべてをご奉仕に捧げようという気持ちはさらさらない。純粋に自分のための時間というのは絶対に必要である。それが僕にとってはレモンサワーから始まる1日のスタートなのである。

しごおわはレモンサワーから始まる


しごおわとは、レモンサワーを一口飲んだ瞬間に始まる1日のスタートである。なおここで飲むお酒はレモンサワーでなければならない。同じアルコール飲料だからといって日本酒やビールではいけない。なぜなら日本酒やビールは食事を楽しむための非日常的飲酒だからだ。対してレモンサワーは仕事を忘れるための日常的飲酒である。
1日中ハゲの上司に気配りしたり、駄々をこねる客をあやしたりしていると神経は古い木材のように、黒くささくれ立ってしまう。このささくれをキレイにならしてしまう魔法の飲料がレモンサワーである(ささくれが神経から肝臓に移動しているだけという有力説もある)。この役割を日本酒やビールは担うことが出来ない。レモンサワーはアテがなければ成立しづらい日本酒やビールと比べて独立自尊の精神が強いのである。例え一緒に頼んだポテサラの注文が通ってなくも場が成立してしまうレベルで口が飽きない。いわばハゲ上司や駄々こね客の嫌なイメージを、キリッと辛口メガレモンサワーをグイッとあおることで忘却の彼方へ押し流してしまうのである。
この儀式があればこそ、日々感謝とともに眠ることが出来、希望をもって目覚め懸命に働くことが可能なのである。つまりレモンサワーがなければ僕は勤労の義務を果たすことが出来ない。
だからしごおわの儀を執り行う店はだいたいいつも決まっているが、飲料はメガレモンサワー以外注文したことがない。僕が入店しカウンター席へ向かう道中で既に店主は「メガレモン一丁!」と元気よくアルバイト学生ちゃんに指示を出している。おしぼりで顔を拭くころにはもうメガレモンが目の前に届いている状態である。十中八九スタッフさんの間ではメガレモンというあだ名がついているものと思われる。だがそれで良い。僕はどの地域に住もうが、その地域のメガレモンとして生きていく気概がある。

レモンサワーに軽減税率を適用せよ

前述したようにレモンサワーと日本酒やビールとでは同じアルコール飲料とはいえその意味合いがまったく異なるのである。レモンサワーは日々の労働によってささくれ立った神経をならし、感謝とともに眠り希望とともに目覚め、懸命に働くための必需的飲酒であり、日本酒やビールは食事を楽しむための選択的飲酒であると言える。

ビールから始まり熱燗をちびちび頂きながら素敵お料理をいただくという生活はお金がかかりすぎて、なかなか日常的な食生活としては難しい人が大半であろう。そしてお金の問題より厄介なのはそのような贅沢な食事が「日常化」すると、「非日常的」な贅沢のハードルが上がってしまうことである。日ごろの仕事で溜まった澱は安価なレモンサワーで押し流し、旅行などの非日常的飲酒の局面にビールや日本酒などの選択的飲酒は用いられるべきなのである。それこそが庶民の幸福を最大化する飲酒である。

そこで一つの疑問が生じる。現行の消費税制において、税率は10%だが食品には8%の軽減税率が適用されている。富裕層に比べて貧困層は所得に対して食費や光熱費など生存に欠かせない必需的消費の比率が高い上に、貯蓄に対する消費の比率が高くなる。つまり消費税は実質的に逆進税となることから必需品である食品に対する支出は軽減税率が適用される。
ところが必需品であるレモンサワーに対しては他のアルコール飲料同様、10%の通常税率が課される。これはさすがに日本社会におけるレモンサワーに対しての重大な無理解を指摘せざるを得ない。ビールや日本酒は10%で良いがレモンサワーが10%で良いわけがないのである。本件については与野党関係なく、超党派で至急改革に取り組んでほしい。

しごおわに適した料理とは

しごおわにおける主役はレモンサワーであるため、おつまみに求められるのは本来、脇役的な振る舞いである。しかし前述したようにレモンサワーは独立自尊の精神を持っているため、おつまみは肉であろうが魚であろうが豆であろうが野菜であろうが何であっても成立する。以上の条件から導き出されるおつまみの最適解は「安価である」ことだ。何であっても成立するのだからそこには出来るだけお金をかけるべきではない。例えばしごおわ上級(筆者認定)の僕はこのようなおつまみをお供にレモンサワーをいただいている。

レモンサワーに軽減税率の適用を求める市民の会がついでに軽減税率の適用を求めるメニュー一例

いずれもワンコインに届かないお手頃メニューである。これらのメニュー一口に対してメガレモンを「ぐっぐっぐっ」のペースで流し込んでいくとおよそ2品でメガレモン2杯ぐらいとなる。それを飲み干すころには瞼の裏にこびりついたハゲ上司のオイリーなおでこが、まるで初夏の清流に細くたなびく水草のように浄化され、母の胸に抱かれる乳飲み子のようになんの憂いもなく眠りにつくことが可能になるのである。

しごおわとは命の洗濯である

人は社会的動物である。サルや犬も社会的動物であるが比較にならないほど個体間のつながりを重んじる動物である。その結果サルや犬に比べて自然界を生き延びるための、個体としての運動能力や生存能力は圧倒的に劣るものの、社会全体としては圧倒的な優位性を誇る種としてこの地球に存在している。一方で人の「個」としての生命は社会のなかに埋没し伸び伸びと躍動することが出来ない局面が多い。
しごおわとはそんな鬱屈した個としての生命を、束の間解き放つ儀式なのである。

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