いつもの本屋への懺悔

ショックで意識がもうろうとしている。

何気なく、いつも贔屓にしている書店の前に行くと、扉が閉まっていた。本の棚卸しかなにかの臨時休業だろうと、扉に貼られていた紙を読む、そこにはとんでもない文章が書いていた。

「長らく経営してきましたが、この度・・・・・・」

閉店のお知らせだった。驚いた。

仕事帰り、暇な時、いつも通って贔屓にしていた本屋が閉店した。目の前真っ暗になった。ここが無くなってしまったら、一体どこへ行けばいいのだろう。本屋難民になった僕は立ちすくんだ。

街から本屋が消えているとのニュースがあちらこちらに氾濫している。Amazonなど電子書籍の勃興。スマホなどの使用増大。紙の本を皆読まなくなった。と言われている。

時代の変化にさらされて、本屋というのは風前の灯となっている。

しかし、それが我が身に降りかかってくるとは。なぜだか全く考えもしなかった。

本屋は未来永劫あり続けるものだと、身勝手にも信じていた。空気や水のように無限に存在し、永遠に供給され続けるのだと。

ぼんやりとした頭で考えた。僕は一体いつこの本屋で紙の本を買ったのだろか。振り返ると全く買ってはいなかった。

最近数冊購入した本は、すべて電子書籍。Kindleでポチッとした。それも、特別セールで安く。

雑誌というと、dマガジンを契約しiPadで読んでいる。安い購読料で、何冊も読むことができるのだからやめられない。

僕は、本屋を愛しているといいつつも、実生活は真逆を生きていた。愛人に愛しているといいつつも、優しい妻と子供に囲まれて、心地よく夢中になっている哀れな浮気男みたいな行動をしていた。

街から本屋が消えていくのは、紙の本を買う勇気がなく、Kindleでセール本を嬉々として買う、僕のような矛盾している人間が増えてきたからに違いない。

昔から、本屋というのは僕の憩いの場所だった。あてどもなく入り、決めることなく本を物色し、買うこともなく出ていく。

それが、自分の精神の平安を作り出していた。

平安を得たのに買ってはいない。どれほど心が惹かれた本との出会いがあったとしても、財布から数千円を出すことはなかった。

まやかしの抱擁を楽しんでいただけだった。

あの本屋は、僕が終わらさせてしまった。今、罪悪感で胸がいっぱいになっている。


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