選択が出来ない僕のような人間には、Kindle Paperwhiteは心安らぐ不自由の牢獄
今は選択が多すぎる。刹那的に快楽を得るのにも、たわいもなく怠惰に時を過ごすにも、暴力的投げ出された多くのものを延々と選ばなくてはいけない。
あれでもない、これでもないと散々散らかしながら取捨選択していると、何のためにやっていたのか忘れてしまう。心底疲れてしまう。
こうして、自宅で過ごす必要があるとには、その病が特に酷くなる。
Netflixで映画を観るか?それとも、ドラマ。いや、アニメ。Amazonプライムなんてものある。
いや、手っ取り早く楽しめ、ものによってはためになるYouTubeがあるではないか。それが良い。
決まりかと、iPadを手に取りホーム画面を見ると、そこにあるアイコンに目がとまる。
途端に、意識の流れが乱れ始め、あれやこれや記憶の中に溜め込んだ、やりたい、やるべき行動が溢れ出す。
混乱したなけなしの知性は、沈黙し、産まれるはずだった創造の賜物は消え失せる。
残るのは、途方にくれて掴んだ刹那だ。
この間、Kindle Paperwhiteを手にした。生活の中に読書が蘇る。
Kindle Paperwhiteは、溢れ出す、やるべきと想う事柄すべてに、遮断の機会を与える機械。
僕の周りを取り囲む、楽しさや喜び、少しの学びを、綺麗に冷淡に拒絶してくれる。
読むことしかできない、貧相な機能が、多情で優柔不断な心から、"選択"を取り除く。
Kindle Paperwhiteのスイッチを入れ、少し待たされ、(かなりイライラする)画面に本が並ぶ。読むべき本をタップする。
滑らかな文字が目の前に現れ、読み始めた瞬間、隔離された安心感、安堵感に満たされる。
自分の周りを取り囲む雑音が消えて、何も必要無いと、耳元でやさしく呟やかれた気がした。
物語に深く深く沈んでいく、心地よい孤独が、なによりも僕を安らかにする。
多情で、多感で、意志のない僕にとって、Kindle Paperwhiteでの読書は、心の感覚を捕まえる牢獄。
心をがんじがらめに縛り、やれる事を理不尽に抑制されたまま、目の前に本を突き出され、読むことしかできない状況になって初めて、人生に満足を得ている。不自由さを楽しんでいる。
自由な世界で生きることを強いられている日々。こんな事を吐露してしまうと、置かれた立場の幸福を無駄にしている愚者だと、避難され、避けられて、追いやられるやも知れない。
でも、だからこそ、僕のような多くのことに煩わされ、結果、白痴のような風体で、何も選べず、何も為せないまま、立ちつくしてしまう人間にとっては、必要なことに違いない。
だだ、だだ、文字を追うのみで、音も色も香りもしない読書という快楽は。
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