見出し画像

パクチー銀行 そのインスピレーションから竣工まで(前編)

パクチー銀行(リアル店舗)は2022年1月1日に正式オープン。15年前(2007年)の同日、僕はパクチー銀行の設立を宣言した。世界初のパクチー料理専門店の構想を思いつく、89日ほど前のことだ。

12月2日に保健所の営業許可が取れたので、衝動的に営業を開始してみた。営業開始の告知は突然、毎日始まる時間は不定。時間が取れるときに、保田駅前の人流を確認しがてら開けてみた。12月の営業日数は12日間。客数は125人。売上は約8万9千円。

鋸南エアルポルトに面白い人たちが来るように徐々になっているけど、まだ見たことのなかった地元の人が来てくれた。そして、観光客。おそらく鋸山なり水仙ロードに、一度来たらそれが最後かもしれない人たちだが、内房線に乗る前に「誤って」来パクした。10分から50分ぐらいの間に、鋸南の魅力とこれからの変化について語った。彼らの心になにがしかの影響を与えられたと思う。鋸南への訪問は最初で最後ではなく、また来ることを誓ってもらえるように。

プレオープンを少しやったに過ぎないが、鋸南に変化を起こせるたしかな手応えを得た。大げさな言い方かもしれないが、2018年3月にパクチーハウス東京を閉じたのは、鋸南でパクチー銀行を開くためだったのかと、強く感じたぐらいだ。

今年の正月には、構想すらなかったパクチー銀行のリアル店舗化。そこに至る約1年を、振り返ってみよう。


2020年

11月: このがれきはまだ金谷港にありますか?

グリッドフレームの田中稔郎さんから、約3年ぶりに連絡をもらった。

急に体が鋸南に引き寄せられる、ということが起こっており、思いついてご連絡いたしました

台風でコンクリートと鉄の岸壁が壊れ、陸に放置されていて、それがあまりに魅力的だという連絡だった。スタッフの一人で、今回パクチー銀行の内外装の現場監督をしてくれている佐治さんが、釣りをしているときにみつけたとか。

「このがれきはまだ金谷港にありますか」?
メッセージと一緒に送られてきたのがこの写真だった。

「これで何するんだろう・・・」というのが僕の正直な感想だったが、パクチーハウス東京を立ち上げる前に他社とは全く異なる、圧倒的に迫力のスケッチを描いてくれた人の感性を知りたいと思った。

2021年前半

1月: 銀行跡地が空いた・・・

とある日、JR内房線保田駅前の銀行跡地の敷地内にシュレッダー業者がいた。そこは十年ほど前に支店としての役割は終わったらしい。その後、賃貸契約の関係で解約はされておらず、借主の館山信用金庫が書類の倉庫として使っていた。「駅前」が「一等地」だとすると、地域を担う金融機関がそこをそんな状態で放置していたということ。しかし、それが、少なくとも過去十年の鋸南町の状態だったのだろう。

片付けているシーンを見て、次は誰が何をやるのだろうと思った。東京に比べると動きがほとんどないので、町で新しいことが始まるのは、新参者の僕でさえ気になるのだ。

保田駅前の不動産屋の友人に調べてもらったところ、これから借主を探すとのこと。まだ条件も決まっていないとのことだった。

銀行跡地か。

そんなところに、パクチー銀行の看板をつけたらめっちゃ面白いなと思った。そんなことするわけないけど。その13年前にパクチー料理専門店を作ろうと思ったときよりも「ありえない」ことだ。

銀行跡地に「パクチー銀行」のリアル店舗をつくるなんて、「ありえない」。

3月:  突然の再会

スーツで鋸山縦走チャレンジをした直後、田中さんから数カ月ぶりに連絡があった。「明日、鋸南にいますか」と。
翌日、田中さんが来た。SOTOCHIKUの話を直接聞いた。なかなか面白い話だなと納得をした。何年経っても面白い人は面白いんだなと感じた。

その日、東京に帰る予定だったので、車で来た田中さんに乗せてもらって移動した。そこで、いろいろ話をした。「不要な鉄のドアがほしい」という話をしていた。その後、金属製のドアを見るたびに、田中さんに写真を送ったり、持ち主にドアを交換する可能性について聞いたりした。

4月: 重ね塗りしていますか

送ったドアの写真について、「重ね塗りしていますか」と質問が来た。古いタイプなのに綺麗に写っていたのでそう聞いたらしい。田中さんは錆も好きだが、重ね塗りも好きらしい。重ね塗りは、剥がすと歴史が出てくるというのがその理由だ。綺麗に塗ってごまかすのではなく、ランダムに剥がして歴史を見せる・・・?

表面が風化している方が使いやすいことは確かですが、引き算で手を加えてよくなるものは、立派なSOTOCHIKU素材と考えています

ほぉ・・・。

4月: 焙煎から始める珈琲道

鋸山縦走チャレンジのチラシを置いてもらった金谷の香豆珈琲に、月イチぐらいで通うようになっていた。理由の第一は、マスターのコウさんの魅力。もう一つは、マズいとずっと思っていたコーヒーが、そこではマズくなかったからだ。

5回目の訪問の際、失礼を承知で聞いてみた。「なぜこの店のコーヒーは、マズくないんでしょうか」と。

コウさんは、約1時間、コーヒーの話をしてくれた。コーヒーには生産・流通・提供の間に、マズくなる要素がたくさんある。どこでも手に入るけど、信頼できるところから調達することの大切さを学んだ。また、カフェ店主としての彼の視点から、焙煎をしてみるだけでも、コーヒーをマズくする理由を感じ取れると理解した。コウさんの個別レクチャーの後、僕はこう言った。

「明日から焙煎してみます」

「いきなり焙煎ですか? 面白いなぁ」

まずはコーヒーをいろいろ飲んでみればいいじゃないか。それからたどり着くのが焙煎でしょ。まぁ、普通はそうみたい。でも僕は、焙煎だと思った。そして、その瞬間から今に至るまで、そして今後も密かに師匠と崇めていくであろうコウさんから「面白い」と言われたから、僕の道は決まった。

帰り道、焙煎に必要な器具と生豆をネットで買って、翌日から焙煎ライフの始まりだった。

5月: 不思議な提案

また連絡をいただき、SOTOCHIKUのYouTubeチャンネルに出てほしいという打診。3月に来てもらった時から毎度視聴していたので、もちろん喜んで取材を受けることにした。

インタビューもいいけど、SOTOCHIKU素材を探して歩く「SOTOCHIKU散歩」というコーナーを、鋸南でやってほしいと思い、打診。「もちろんそのつもりです」と快諾してくれた。鋸南エアルポルトを一緒にやっているまさやん含め3人で、鋸南の風景をともに歩いた。

この時田中さんは、1泊2日で来ポルし、エクストリーム流しそうめん→インタビュー→SOTOCHIKU散歩→宴会→(就寝)→鋸山縦走チャレンジ というフルコースだった。

そしてこの間、田中さんから不思議な提案があった。グリッドフレームがかつてつくった店舗を改装するのだが、それに伴い、デザインの一つであったオブジェを撤去しなければならない。それを、エアルポルトに置いたらどうだろうと。

なんの話か全然わからなかった(笑)。

全長7メートルあるオブジェらしい。そりゃ、エアルポルトは広大な空間なんだけど。どんなものなのだろう。

吉祥寺のカフェにそれはあるという。もう、気になっちゃって、その店を訪ねてしまった(笑)。そして、見たこともない造形を目の前にして、「とりあえず運んでおくか」と思ってしまった。自分の理解を超える提案だったので、理性をどんなに働かせても否定の答えしか出ない。グリッドフレームで運んでくれるというし、エアルポルトにはスペースがあるし。まぁ、いいかと。

その時は、気づかなかったけど、それを運んだことにより、グリッドフレームの魂が鋸南に入り込んだのだと思う。

6月: 巨大なオブジェが鋸南に

「あのオブジェ、エアルポルトに置いてもいいと思います」

そう告げると、田中さんは嬉しそうな顔をした。自分たちの作品をさらに活かすことができるから。そして、次の一言。

「工期が迫ってて。来週運んでいいですか?」

「来週?」

心の準備はまだできていなかった。でも、いつやっても一緒である。スケジュールを見て、OKした。翌週、その巨大オブジェは、鋸南エアルポルトに収まった(実は2021年末の段階で、まだ設置せず最初に置いたところに放置してある)。

鋸山縦走チャレンジの感想を送ってほしいと伝えておいたのだが、オブジェを運んだ後ぐらいに書いてくれた。さすがの感性なので、ぜひSOTOCHIKUチャンネル(YouTube)で見て欲しいが、僕はその中で「小さなサイフォンを運んで石切場の穴の中でゆっくりコーヒーを飲みたい。 佐谷さんたちなら、付き合ってくれるだろう」という一言が特に気になった。

6月: 物件どうする?

1月に見た金融機関跡地。「パクチー銀行を作ったら面白い」とは思ったものの、パクチーの種の無料配布をするだけで、家賃をまかなうことはできない。不動産屋の友人から、そろそろ動かさないとと言われ、「物件どうする?」と問われた。

どうするもこうするも、借りたってどうにもならない。だけど、僕以外の誰かがあそこを僕以上に面白く使えるわけがない。「もうすぐで考えがまとまりそうなんだよ」と嘘をついた。そこからマジで考え始めた。

6月: ペンキのキセキ

有楽町マルイの空き店舗で、期間限定コワーキング「PAX abc」を知人の紹介で開いた。そこに田中さんが遊びに来てくれた。

3月以降、それまでにない頻度で会うようになって、こんなに面白い人が、しょっちゅう鋸南に出入りすればいいなぁと思うようになった。田中さんも、田舎に通って感性を磨くことと、自身が育てようとしているSOTOCHIKUの素材が眠っている地に行くことに魅力を感じているようだった。

その日、田中さんが『ペンキのキセキ』という本を紹介してくれた。30年近く前から敬愛してる方の、最新の出版物だという。世界中の、ペンキの塗った跡は、風雨にあたって変化していく。塗った瞬間はきれいである。時間が経つと、劣化していく。その本を読むまでは、そう思っていた。

その本を読んだ後、田中さんが言うSOTOCHIKUの話や、鋸南を一緒に歩いて見たボロボロの物体を「カッコいい」と言い続ける感性とあいまって、価値観がガラリと変わった感じがした。ペンキが剥がれた跡って、見ようによってはとても芸術的なんだ。

SOTOCHIKUシャルソンで僕が撮ったペンキのキセキ

6月: 鋸山のインスピレーション

5月に鋸山縦走チャレンジのルートを一緒に歩いた直後、田中さんは渋谷区の写真スタジオ予定地に、内装の提案をした。

写真スタジオは、主に白基調だ。いろいろな衣装やシーンに対応できるのが前提となっている。グリッドフレームがつくったそのスタジオも、背景は白が大勢を占めている。しかし、そのスタジオのアクセントとして、田中さんは、鋸山の壁をそこに作ることにしたそうだ。

提案から1カ月後ぐらいにそのことを聞いて、工事中の物件を見学させてもらった。石切場のイメージで、天井にオブジェを取り付け、一部の壁面に鋸山の石切場で見た風景を再現した。

壁紙をランダムに剥がして、過去の内装を露わにし、僕がもらってきた鋸南の土を塗料に混ぜ込んだ。

既存の古い壁紙をランダムに剥がし、ペイントや左官を重ね、鋸南で採取した土で仕上げた壁


つづく


パクチー(P)コワーキング(C)ランニング(R)を愛する、PCR+ な旅人です。 鋸南(千葉県安房郡)と東京(主に世田谷と有楽町)を行き来しています。