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パクチー銀行 そのインスピレーションから竣工まで(後編)

2021年後半

7月: SOTOCHIKUシャルソンを提案

グリッドフレームの「SOTOCHIKUチャンネル」の中にはたくさんの「発見」がある。自分のインタビューもあったので、毎回欠かさず見るようになっていた。鋸南じゅうに散らばっている古いものが、ちょっと前まではゴミにしかならないと思っていたけれど、それを宝に変えられるかもしれない。そう思い始めていた。

鋸南のSOTOCHIKU素材が、都内のカッコいい内装に使われたら・・・。それをいくつもまとめて表現したら、鋸南の名が都内に轟くと思った。

しかし一方で、一つの問題点に気づいた。SOTOCHIKU素材が出るタイミング(家の解体、リフォームなど)と、それを使って新しく内装を作りたい人が出てくるタイミングの、マッチングがとても難しい。というかほとんど不可能に近いのではないかとまで思った。

それを可能にするには、SOTOCHIKUというコンセプトの知名度を飛躍的に高める必要がある。そして、できればSOTOCHIKU素材をストックできる場所もある方がよいだろう。

そう思い、SOTOCHIKUを一人でも多くの人に知ってもらうためのイベントを企画した。その名は「SOTOCHIKUシャルソン」。新型コロナウイルスの影響で、2020年はほとんどのシャルソンが中止を余儀なくされた。2021年後半に少しずつ復活してきたが、その時点ではまだどうなるか分からなかったため、オンラインによるシャルソンの実験を何度かしていた。

シャルソンはまちの魅力を発掘・発見するためのイベントだ。SOTOCHIKU素材の探索は、それまで一般人にはゴミとしか思えなかったものに命を吹き込むことになると考えた。8月にSOTOCHIKUシャルソンを実行すると、約100人が参加して、全国からSOTOCHIKU素材の可能性が示された。

7月: コーヒー歴89日で「カフェつくろう」

コーヒーの焙煎を始めてから約89日が経ち、同時に書物その他でコーヒーの勉強もしていた。コーヒーに注目すると面白いもので、カフェを経営する友人たちの動向や考え方に注目するようになった。また、人生で始めてコーヒーや焙煎の話を他人にもするようになり、実は知人友人で10名ほど「焙煎をしている」人がいることも知った。

毎日コーヒーを飲み続けている人はごまんといる。対して僕は、コーヒーに関しては超新人である。しかし、話をしてみると、コーヒーを飲んでいても、それがどうやってできるのか、どうすれば美味しいままテーブルに届けられ、どうしてほとんどのコーヒーがマズいのかに関しては考えていない人が多いことが分かった。

コーヒーは搾取産業でもある。味を平準化し価格を下げるためには、人を酷使する必要がある。でも、そのやり方では美味しい状態を保てない。フェアトレードという言葉がよく使われるようになった。大手コーヒーメーカーのフェアトレード担当者に話を聞く機会がたまたまあった。理念は崇高だったが、相手を信頼していなかった。「放っておくとちゃんとやらないので、抜き打ちで監視もしています」。品質を担保するための手段と言いたかったのだろうが、どこがフェアトレードなんだと驚いた。

コーヒーの研究の一環で、YouTubeも利用した。ある日、聞き覚えのある店名が出てきた。店主の顔も、見たことがあった。世田谷の「カフェテナンゴ」というコーヒー屋さんだった。記憶を辿ると・・・遡ること8年前、高校の同級生の結婚式で広島に行った。新郎から幼馴染を紹介された。「栢沼も佐谷も、世田谷で飲食店やっている同士だから」と。振り返ると申し訳ないが、「コーヒー屋さんかぁ」とだけ思った。自分の無関心領域だったからだ。SNSの交換はしたけれど、時間とともに記憶は薄れていた。

コーヒーの解説は、とても分かりやすかった。そして、見ていて楽しかった。カフェテナンゴのウェブサイトを見ると、店主自ら旅をして農園をまわり、彼らと信頼関係を築き、つまりアミーゴ=友達となって直輸入していると書かれていた。その後も、産地訪問をしたり、産地から世田谷のお店にやって来たりしているという。これこそまさに、フェアトレード。

そして取り扱う豆は中米専門。僕が海外を旅したいと考え始めた高校生のときの最初の目的地が中米だ(といいながら、初めて行ったのは2018年のこと。30年近く経ってようやく実現した)。この時は考えてもいなかったが、その後「パクチー銀行では、西経89度線が通る国々のコーヒーを取り扱う」と決めたので、カフェテナンゴの取扱商品は、バッチリそのコンセプトに合うこととなった。

思わぬ再会が、予想もしない縁をもたらした。「搾取産業」が大勢を占めるコーヒー産業の片隅で、「本物のフェアトレード」を実行している人がいる。僕が会社名にもしている「旅と平和」を伝えるのにコーヒーはふさわしいではないか!

「カフェつくろうかな」

えっ? 自分でも驚いてしまった(笑)。

7月: 圧倒的に面白いものを作る

保田駅前の銀行跡地を借りるかどうか。期限は迫っていた。保田地区にはその時点で、カフェがなかった。「ない」のには理由がある。内房線を利用する人の数が極めて少ない。商店街を歩く人の数も。一般的なカフェ業態は成り立たない(はずだ)という結論が出ているからこそ、誰もやらないのだ。

でも、僕はカフェを作りたくなっちゃった。

他の人がやらないことをするのは好きだし。じゃあ、よく考えよう。

鋸南の拠点を構えて(その時点で)もうすぐ2年である。海も山も近く、人も優しく、大好きな場所となった。いるだけで気持ちのいい場所。だから、感度の高い人たちを一人でも多く連れてきたいと頑張っている。台風での被災と新型コロナによる社会心理の変化で思うようにはいっていないけれど、少しずつ前進していると思っている。

道の駅として有名となった「保田小学校」の隣の、「鋸南幼稚園」を新たな施設に改装するという話が行われている。町民が意見を出すワークショップが行われ、僕も2度参加させてもらった。多数の意見として、いま町にないもの(他の都市にはあるもの)を求める声が多かった。

鋸南には、他所にないものがたくさんある。それなのに、他所と同じものを持ってきて、他の場所と同じような状態にすべきなのか? ないものを埋めたい気持ちは分かる。でも、それで本当にいいのだろうか。

新しい施設ができると、人が集まる。しかし、新しいものはやがて古くなる。別の新しい施設に、人が流れる。大都会東京でも田舎でも、それは同じだ。他に作ってもいいものを鋸南に作ることは「誘致の成功」かもしれない。しかし、持続可能性がないとすれば・・・?

僕は鋸南に通う新人として、いますでにあるものを活用すべきだと思うし、他所にはない圧倒的に面白いものを作るべきだと思う。たまたま訪れた人の心を鷲掴みにするような。車があれば半日で観光地をすべて回れるような場所に、一度でなく何度も来てもらうためには、一般的な観光施作では不十分だ。鋸南エアルポルトはコワーキング(働く場)とアーティストインレジデンス(住みながら制作する場)を提供することにより、短期でなく中期的な滞在を促そうとしている。

SOTOCHIKUの発想を知ってから、鋸南は「宝の山」であることを知った。当初は、SOTOCHIKU素材を鋸南から持ち出して、都内などに鋸南の片鱗を置きまくることを夢想した。そのためにSOTOCHIKUというコンセプトを広める必要がある。その第一歩をどう踏み出せばいいのだろう。

そうこうしているうちに、都内に、鋸山を模した内装ができた。

SOTOCHIKUで作られた建物なり内装を誰にでも見える形で示すのが一番だと思った。当然だが、グリッドフレームの運営するウェブサイトで数年、SOTOCHIKUの事例は掲載されている。見るだけでカッコいいけれど、それがどういう意味を持ち、本当はどの程度カッコいいか理解するのはとても難しい。

SOTOCHIKUでできたものを、見せることで事態は大きく変わるだろう。そのコンセプトを説明するだけでなく、実際にできたものを大量に見せる。そして、どんどん変化させる。SOTOCHIKUショールームを作れば、言葉で伝わらない部分も理解してもらえるし、SOTOCHIKUのストックヤードも兼ねられるし、他にはない圧倒的にカッコいいものが、鋸南の入口の一つである保田駅前に出現することになる。

ショールームは素材や内装に興味のある人のための場所となってしまうが、カフェはそれに関心のない人も立ち寄りやすいという点で、補完できると考えた。

こうして、銀行跡地をカフェとSOTOCHIKUのショールームにしようという構想が生まれた。それによって生じる費用と予想できるメリット、社会の変化などを思い描き、グリッドフレームの田中さんに提案した。

僕の提案は了承されただけでなく、会社のメンバー全員が喜びを持って受け入れてくれたと聞いた。

8月: 共同運営者の承諾は不要

お盆期間中にSOTOCHIKUシャルソンを実行。期間中多数の投稿があり、その投稿に田中さんが素材の可能性についてコメントを書くことによって、僕も他の参加者もSOTOCHIKUに対する気持ちがどんどん高まった。

このイベント自体は10日ほどで終了したが、その後もSOTOCHIKU的なものを投稿し続けるグループが誕生。イベントと同名のSOTOCHIKUシャルソンという名前で運営されている。

パクチー銀行を共同運営するにあたって、空間アーティスト集団・グリッドフレームと組むことは、パクチー銀行を単なるジョークで終わらせないために大事な要素となった。

パクチーハウス東京をつくったとき、予算がなかったので、家具は安物の大量生産のものから始めた。「IKEAのショールーム」と揶揄されたこともある。その後、一部よいものを取り入れ、カホンを椅子にするなど工夫をしていったが。

元銀行跡地は、大きな窓が特徴的。中から外が、外から中がよく見える。とりあえず、安物で始めることができなくはない。でも、絶対的に他とは違い、圧倒的に魅力的なものを見せられるかどうかが勝負となる。これは僕の店だからというのではなく、鋸南の玄関口の一つだからだ。

そして、内外装をどんどん変えたいと思っている。来る度に変化していたら、見る人の楽しみが増すと思うからだ。その都度発注していたら、スピード感でも金銭面でも実現できないと思う。というわけで、共同運営パートナーのグリッドフレームには、以下のような条件を提示した。

内外装を、好きなタイミングで、好きなように変えてOK。
共同運営者の僕の承諾は全く不要。

時間が空いた時、SOTOCHIKU素材が手に入った時、創作意欲が湧いた時、空間を作り替えることができる。僕は、パクチー銀行の頭取であり、カフェの運営を今のところ一人でやっているから一般的に言うとカフェオーナーのように見られているが、実のところ、僕が鋸南を離れ、世田谷で数日過ごして戻ってみると、内外装が変化していることがある。

バージョン1.0(プレオープン時の状態)をつくるときも、なんとなくイメージは伝えてくれた。が、その場でインスピレーションが生まれたらそれを優先させるので、見るたびに驚きを感じた。代表の田中さんがそれを仕切るわけではなく、メンバーの一人ひとりが、こうしたいなと思えば、そうする。他の誰もが、「おー、そうしたんだ!」と感嘆する。

実際にそういう自由度が、どのように作用するのかは、こういう形の共同運営を提案したときは分からなかった。が、プレオープン後の2021年末に、エアルポルトとグリッドフレームの合同忘年会をしたときに、主力メンバーの一人が「タブーとされる行為が許されることが、楽しかった」と発言したことで、いい流れができていることを確認した。

これからもどうなるか分からない。この予定不調和がたまらない。

9月:  予定不調和がコワーキング

グリッドフレームとの合意後、物件を借りることを不動産屋さんと大家さんに伝えた。9月になり、いよいよ契約をすることになった。

「内外装が変化していく」ということを伝えた時、ただならぬ雰囲気を感じたようで、大家さんに案を見せた方がいいと不動産屋さんからアドバイスをもらった。しかし、上述の通りで、僕もどうなるか分からなかった。その旨を田中さんに伝え、とりあえず外観のパースを作ってくれることになった。

まだ、最初の案も見せてもらう前に、田中さんから次のようなメッセージが来た。

町の人、嫌がらないかな。。。とほぼできた絵を不安げに見返してますw

おーい(笑)。
どうなってるんですか?(笑)
何するんですか?(笑)

不動産屋さんと大家さんにどう伝えればいいのかというのは全く分からなかったが、期待以上の展開にワクワクした。そして、「見せる用」のパースが送られてきた。

町の人が嫌がらない、という確信が持てたので、パースをお送りします。

細部まで分からなかったが、「圧倒的」な風景を作る気概はよくわかった。そして、この絵を見ながらやり取りをしたことにより、パクチー・オーナー制の発想を得たりもした。

完成予想図をパースとして提示して、それに近づくように工事を進めていくのが一般的だ。グリッドフレームはしかし、今回に限らず、予定通り進めるよりも常にもっといいものを求めて仕事をしたいというマインドを持っている。

10年ほど前から、写真系SNSの隆盛で「海外のカッコいい内装」を見て、同じように作りたいという依頼が増えたそうだ。それをできるだけ安く作ろうとして見積もりを取ってくるので仕事としてもシビアになるし、何よりももっといいものを作ろうという気持ちが阻害されるので、そういう依頼は断るようにしているそうだ。

とりあえず案を出して、その後にコミュニケーションを取ることで、双方にアイデアが生まれる。そのアイデアをその場で実現してもいいし、なにか別のところで生かしてもいい。未完成のものを提示し、余白を持ってそれを迎えることで、予想外のことが次々に起こる。

ずっとコワーキングで、会うとも思っていなかった人と会話する機会から突然何かが生まれるという体験をしてきている。共同運営の中においても、決まり事や予定調和をできるだけ廃することで、いろいろなものが生み出されるといいな。

9月中旬から、現地調査や鋸南の工務店への依頼などが少しずつ始まった。

10月: 手を加えれば、大抵のモノはかっこよくなる

それ以降、頻繁にやり取りが始まった。ちょうどそのタイミングで、僕が7年間通っている親友の居酒屋のタイムリミットが迫っていた。

その店の名前は「マルショウ アリク」松陰神社の商店街にあった牡蠣の専門店だ。オープンしたばかりの頃、独自にマルシェを開き野菜を売っていた店主よっしーに話しかけたのがきっかけで親しくなった。

シャルソンの話を数秒で理解し、随分協力してもらった。周年パーティではコラボイベントもしたし、パクチーハウス松陰神社もアリクで2度開催した。建物取り壊しの話が以前からあり、一度か二度延期されたものの、10月で周辺の全店舗が立ち退きとなった。

8月頃からできるだけ寄るようにしていて、ふと、アリクの何かをSOTOCHIKU素材として鋸南に運ぼうと思った。店主もお客さんもこだわりが強く、思い出がたくさんある。そんな店の一部を鋸南に置いておきたいと思ったのだ。9月中旬に、田中さんをアリクに連れて行った。

アリクはSOTOCHIKU素材の塊みたいな店だった。どこを切り取ってもいいなと思っていたが、よっしーの提案でカウンターをいただくことになった。アリクを開く前、よっしーは築地の牡蠣の卸問屋で働いていた。築地を離れるとき、不要になったパレットを持ち帰り、それでカウンターを作ったそうだ。何度も店に行ったのに、気づかなかった。

すでにSOTOCHIKUとして、アリクはパレットのカウンターを作っていた。それをさらに鋸南に移設することになった。パレットの木材にカラフルな塗装が施してあるので、アリクに通った人なら、それが鋸南に移設されたことに自然に気づくかもしれない、一部ではあるが、アリクの歴史をパクチー銀行に取り込めて嬉しかった。

その他、田中さんと行ったいろいろな場所で、廃棄されるかもしれない素材に出会った。発想はいつも、それを何に使おうかというところから始まる。手を加えれば、大抵のモノはかっこよくなる。グリッドフレームの信条だ。

10月: 鋸山でサイフォン


10月: 初めてのSOTOCHIKU寄付

SOTOCHIKUシャルソンの際にまさやんが見つけた土壁の倉庫が、縁あってSOTOCHIKU素材として寄付されることになった。数年前からその家を借りている家主は、ボロボロになった倉庫を再生するためにDIYしようとしているところだった。土壁は、壊して捨てるしかないと考えていた。

その土壁を「欲しい人がいる」と連絡があったとき、怪訝な思いだったそうだ。田中さんと一緒に訪問した時も、了承したものの意味が分からないという顔をしていた。「初めまして」からいきなりゴミだと思っていたものを持ち帰りたいという話だから分からなくもない。

SOTOCHIKUは、単に不要なものを回収するだけではない。不要なものに値段をつける。そして、その額の60%を認定NPO法人に寄付する。寄付の領収証は、SOTOCHIKU素材提供者に届く。寄付控除を受けると、キャッシュバックとなる。

つまり、提供者に直接お金を支払うわけではないが、素材を提供することによって税金の一部が返ってくる。説明してもなかなか理解が難しいが、土壁の提供者は、最初は「勝手に持って行ってくれればいいですよ」と言っていたが、手続き(契約書にサインなど)が終わる頃には、合点がいったらしい。古い素材が生かされることは大事だと言い、親戚や知人の家にもこういうものがある・・・と語り始めた。

これが、SOTOCHIKUのコンセプトをつくって初めての、ドナー契約だった。10月30日を、SOTOCHIKUの日に決めた。

11月: バージョン1.0の完成

内装工事というのは、素人には進捗が分からない。

銀行跡地の壁と天井は剥がされた。完成イメージを知らされていた訳ではないので、それからどのようなプロセスを経るのかは全く不明だった。いつできるのかなー。

田中さんから11月のある日、「20日に間に合わないとまずいですか?」と連絡が入った。素人の僕から見ると、まだまだ相当時間がかかると思っていた。早くても、年明けぐらいになるのかなと。

鋸南エアルポルト(およびパクチーハウス東京)が11月20日をオープン日としているので、それぐらいのスケジュールですかねと夏に伝えたことがあった。契約も何もしていないときの話だ。それを覚えていてくれたらしい。

僕としても心の準備すらできていないので、「工事が遅れている」というのを気にもしなかったが、エアルポルトの周年に関連施設を回るのが良いだろうと考え、最低限必要な部分を完成してもらうことにした。結局、鋸南エアルポルト2周年の日には、まさやんの竪穴式住居と縄文バー予定地、パクチー銀行予定地を案内することができた。

12月: 突然、営業スタート!

完成に向けて、カウンターが取り付けられると、いきなり店っぽくなった。喜び勇んで、保健所に許可申請をしにいった。12月2日、許可があっさり降りた。「もう明日から営業できるんでしょうか」と保健所の担当者に尋ねると、「今から営業しても大丈夫ですよ」との返事があった。

今から・・・。

その一言に触発され、翌日最低限、本当に最低限必要なものだけ用意して、4日にプレオープンしてみた。開けたら開けたで観光客や近所の人が飛び込んできた。釣り銭すらない状態で、コーヒーを淹れたり淹れなかったり。でも過去2年間、鋸南に通いながらも話す機会のなかったタイプの人たちとたくさん会話をすることになった。

そして、誰かが来ても来なくても、大きなガラスから外の人の流れを見学しつつ、カフェ営業を試みた。12月の営業日は12日間。メニューを注文してくれた人が125人。話だけした人は50人ぐらい??

町の人からかけられた、暖かい言葉の数々が印象的だった。同じスタートとして、世田谷のときとは対照的だった・・・。

12月: 勝手にどんどん変化

僕の知らないところで内外装が変化する、と書いたが、営業を始めて早速、2度変化があった。

お客さんまたは通りすがりの人が入ってきた時、パクチー銀行がどういう意味かに加え、鋸南のSOTOCHIKU素材を使って店舗ができている旨を可能な限り時間をかけて話すことにしている。バージョン1.0の時点で、説明できるポイントは大きく4つある。回数を積み重ねる度に、だんだんパターンができてくる。

ある日、土壁の話をした後、別の箇所にも使われていると案内してみたら、土壁が無くなっていた。「ほら・・・。あれ? ないですね! 勝手にどんどん変化するんですよ!」

それまでの僕の「変化」に対する説明が腑に落ちたようで、その方は大笑いしていた。

クリスマスイブの日、店内に置いてある定点カメラには人影が写っていた。なにやら脚立に登っている・・・。

2日後に鋸南に戻ってみると、外壁がドラスティックに変わっていた。ペンキを塗った鉄板を、保田の海風に当てているそうだ。サビが広がっていくので、毎日その様は変わっていく。そして数ヶ月後、これらの鉄板は、都内某所の内装に利用されるため、運ばれて行くそうだ。

12月: パクチー銀行の看板

12月3日のこと。銀行跡地に、「パクチー銀行」の看板がついた。

メインエントランスの部分が三角屋根になっていて、そこが飛び出している。それをさらに鉄のフレームで飛び出す形で、「パクチー銀行」の文字が浮かび上がっている。

パクチー銀行のカウンターは、大きなガラス窓を飛び越して、外のテラス席につながっている。これは、パクチー銀行が店内から世界へ飛び出しているという表現だ。

看板もそれと同様、パクチー銀行が世界へ飛び出しているという意味合いを持つ。JR内房線の保田駅を降りて、改札を出ると、目の前に「パクチー銀行」の文字が飛び出してくる。

これを設置した瞬間から、世界は変わった。

僕の心はもちろん、大きく変化した。「銀行跡地をパクチー銀行にしたら面白いだろうな」という思いつきが、実現しちゃったのだ。「ありえない」話ではなかった。

そして、外に出なくても、駅前がざわついているのが見て取れる。かなり多くの人がパクチー銀行の看板を写真に撮っている。

鋸南にひとつ、他の町には絶対にないものができた。

看板を見て、気になって入ってくる人がいる。ひとしきり会話をして、鋸南の魅力を伝える。

入ってこない人もいる。心の中に「? ? ?」を抱えたまま、鋸南を去っていったかもしれない。 でも、もしかしたら忘れられない風景となって、戻ってきたり、誰かに伝えるかもしれない。

月の半分は休みである。でも、看板は光り輝いている。SNSを通じて、この1カ月で5人とコミュニケーションが取れた。鋸山や水仙ロードには一度行けばいいと思っていたけど、話をしに、もう一度鋸南に行ってみよう。そう思ってくれるよう、全緑を尽くしている。

2022年

1月1日: パクチー銀行(リアル店舗)グランドオープン

パクチー銀行をつくってちょうど15年の今年元日をグランドオープンの日に設定した。グランドオープンだが、派手なことはやらない。毎年この日は、営業すらしない。定休日だ。僕はのんびりと正月を過ごす。

営業日も、営業時間も、しばらく定めないつもり。「それじゃあ、困るよ」「人に紹介できないよ」と何人にも言われたけれど、気分が乗ったら突然開ける日もあるかもしれない。なぜかたまたま、引き寄せられた人とは仲良くなれそうだ。

誰か友達と会いたいなと思ったら、連絡するじゃない? そんなつもりで、「◯日いる?」と聞いてほしい。予定が空いていたら、営業日のつもりじゃなくても、喜んで開けたいと思う。

前月末までに、翌月の大まかな予定は発表する。でも、それがすべてだと思わないでほしい。だって、銀行跡地が「パクチー銀行」になったんだよ!

パクチー(P)コワーキング(C)ランニング(R)を愛する、PCR+ な旅人です。 鋸南(千葉県安房郡)と東京(主に世田谷と有楽町)を行き来しています。