広島湾岸トレイルラン完走
3年ぶりにトレランの大会に出場した。前回は2019年9月、ウェールズの10PEAKSという大会だった。
今年サハラマラソンを完走した友人の藤本さんに誘われたとき、「大会なんて出ないよ」と一瞬は思ったのだが、妻の実家の近くの山々を巡る大会だと知り、また、大会出場条件に数年以内のトレラン完走経験というのがあったので、出てみようかなという気になった。
次に何か出ようと思った時に、またゼロから出場資格を得るのは面倒だからねという気軽な気持ちだった。108kmの山道を走ったことはないし、累積標高6900mというのは想像すらできなかったけど、同じ人間が何百人もエントリーするのだから、頑張ればなんとかなるだろうという気持ちで。
広島の15山を堪能
地図で確認した限り、以下の15山を通過した模様。標高は各種サイトで調べたのでやや不正確なところもあるかも。今回のコース付近は、山が連なっているというよりも、登っては町に降りるという繰り返しだったので、累積標高がかなり大きくなっていた。
松笠山(374m)
二ヶ城山(483m)
呉娑々宇山(682m)
木ノ宗山(413m)
鬼が城山(282m)
白木山(889m)
備前防山(789m:山頂手前まで)
中倉峠(633m)
福王寺山(496m)
螺山(474m)
茶臼山(272m)
阿武山(586m)
権現山(397m)
武田山(410m)
火山(487m)
丸山(457m)
身体を目一杯使って「堪能」したのは間違いないはずなのだが、ルートを辿るだけで精一杯で、それぞれの山にはもう一度行きたいなと思っている。帰省の度に、チャレンジしてみるか・・・。
同じ人間といっても・・・
サハラマラソン完走、北極マラソン アジアチャンピオンとか、東日本大震災の被災地を合計890km走った「ウルトラシャルソン」主催者で、最近も「頼朝の道」230kmを走ったばかりなので、結構タフな人だと思われているし、自分でもそれなりと思ってはいた。が、今回この大会に出て、同じ人間なのにこんなに違うものなのかと驚いてしまった。
トップランナーは天賦の才能を持ち合わせているのだろうが、鍛錬・努力・装備の選定なども相当に重要な要素だと感じた。「登りは疲れるから走らない」僕は、「下りは怖くて走れない」のである。ロードや林道で歩くスピードは速い方みたいで、山道以外で人を追い越し、山の中では道を譲るの繰り返しだった。
不摂生ランナー
僕は普段、準備運動をしないし、大会のためにカーボローディングなどもしたことがない。サハラマラソンのときは願掛けで2週間ほど禁酒したけれど、出国2日前の壮行会で痛飲した挙句、集合場所のパリ到着後は「サハラマラソン直前のイメージ」とは真逆の行動をしていた(悪友のせいだwww)。
でも、禁酒とか断酒とかをネタにしたい年頃みたいで、1週間ちょっと前に試みたが、あえなく1日で潰えた。
ネタであるから、完走宣言とともに自らの不摂生を晒した。
いつもと同じ不摂生が極限状態の身体にどういう影響を及ぼすか、分かっていなかったのだ。大変だとは思うけど、完走はできるだろうし、記録は狙っていないから大丈夫と。
攣りまくり
最初のエイド(10km地点)を過ぎてすぐの登りで、ふくらはぎが攣った。鋸山縦走チャレンジを真剣にやりすぎると15kmぐらいでそうなることはある。でも、この日はそこまでほとんどスピードを出していない。
胸の前につけたボトルのうち1本はパク塩ドリンク。もう片方もスポーツドリンクを入れていた。塩分が足りないということはないはず。攣るふくらはぎをかばっていたら、もう片方も攣る羽目に。脚を上げるためにどこかの筋肉が悲鳴を上げているのが分かった。
硬直した筋肉を足が着地する前に足首の角度でごまかし、次の一歩を踏み出す。妻の実家から一度だけ訪ねたことがある呉娑々宇山は、見覚えのある場所で、そこで元気を取り戻せればと思っていた。しかし、この山頂で、生まれて初めて「リタイア」する人の気持ちがよく分かった。
這々の体で2つ目のエイド「緑化センター」まで下りた。予告通り、お義父さんが迎えてくれた。「めちゃきつい」という言葉しか出て来なかった。前日のビールと焼肉とカレー、前日受付と当日の送迎もしてもらったのに! その時撮ってくれた動画を今見たら、相当しんどそうだった。そんなだったか!(笑)
第3エイドまでは下り基調だったようだ。よく覚えていない。ふくらはぎの攣りだけで治らず、腿の裏側、横側、そして表側まで攣るようになったときは「身体が動かない」という状態になりうることも意識した。そして、足裏も攣る始末。上述の通り、けっこう塩分を摂っているつもりだったのだが、「足りていない」ことも意識し始めた。そして、第3エイド手前で転倒しかけて身体をひねったとき、脇腹も攣った。ジ・エンドか・・・!
なんとか第3エイドに到着する直前、エイドから出発する藤本さんに出会った。スタートして初めて知っている顔に会ったので、とても安堵した。10分のウェーブスタートなので追いつかれた藤本さんは「佐谷さん、速いわ」と言ってくれたのだが、僕としてはリタイアしないことがありうるのだろうかと考えていた。
災い転じて福となす
休憩するとそこで終わりそうだったので、トイレとエイド食の補給、給水を済ませ、さっさと旅立った。新たに入れた水にパク塩を入れる時間すら惜しい気がして、川の横を歩きながら、ボトルにパク塩を入れた。数秒後「ザバァァァァァァァァー」。大量のパク塩がボトルに入ってしまった。
飲めないのでは・・・と思ったが、超塩辛いスープだと思って摂取することにした。もう片方にはスポーツドリンクがあるからそちらでなんとかなるだろうし。それから今回の最高峰である白木山まで一気に登るのだが、僕はもちろん、だましだまし進んだ。そして、白木山の山頂で開けた眺望を見ている時に、あることに気づいた。第3エイドから、脚が攣っていない。
なんども攣った後遺症というか、足全体の筋肉に疲労感とちょっとした痛みは残っていたが、攣る感覚は消えた。それから、とにかく摂れる塩分を摂取して、ゴールを目指すことにした。もう脚はあんまり動かなかった。
脚を酷使
突然舗装路に出たので、結構急な下りを一気に駆け下りた。周りの皆さんより圧倒的なスピードだった。ほどなくして、藤本さんを発見。声をかけると、「脚を温存している」のでゆっくり進むという。
その意味を知ったのは、3キロほど下ったあたりだったか。山を走るのはすでにできなくなっていたけれど、歩きもしんどくなっていてしまった。よくトレイルランナーのみなさんが言う「脚が終わる」ってこういうことかー。
第4エイドに着いたら、サハラ仲間の岡田さんが笑顔で立っていた。僕より1時間半も早くここに着いたという。さすが・・・。でも、心肺機能に不調があり、ここで退くことにしたと。「帰ろうよ」とか「ビール飲もうよ」と言われたら即座に右手を挙げるところだった。顔と眼鏡を洗って逃げるようにエイドを去った。
その後、交差点で立哨していた青年が、次の交差点にまたいたので、双子か幻覚かと思ったら、交代のタイミングで移動したという。いや、もうそれぐらい疲れていたのね。
ハイカーになりきる
そこから先はほぼ歩きながらゴールまで向かった感じ。ただ、周囲の人はロードに限り、登りも下りも歩くのは僕より遅めの方が多かったので、7〜8人とずっと近くにいた感じだった。山に入ると、僕が全員に道を譲るwww
56kmの中倉峠で約半分との情報だった。距離も累積標高も、という意味だろう。疲労感の計算はないのかな??? そこから先はもう道を進むだけで、正直なところよく覚えていない。「半分」の中倉峠までは電気をつけなくていい時間に行きたいなと思っていて、結果、日没30分前ぐらいに着いたので、だいぶ暗くなってはいたが、第6エイドまではライト無しで進んだ。
ドロップバッグってなにそれ?
74kmの第7エイドで、コーヒーミルと豆、ドリッパーをピックアップした。ドロップバッグを使える経験が初めてなので、何を入れてよいか分からず、ネタを入れた。着替えや替えの靴を入れる人も入れるみたい。トレランシューズを一つしか持っていない僕には関係ないけど。
阿武山へ行く道、本当にエグかった。真っ暗の中、岩を登ったが、おそらく明るい時とかトレランの大会でなければ道に迷ったと決めつけて帰ったと思う。後ろに2人ぐらい登って来ているし、間違っているわけではない。時々、そっちじゃなくて左側が登れそうですよなどと言ってもらえたりもして、なんとかクリアできた。
次の第7エイド、勝手に70kmだと思い込んでいて、阿武山をクリアして自分のスマホが69kmと言い出したときに「あと1キロですねー」と吹聴してしまった。5人目ぐらいに、いや、まだまだだと思いますよと突っ込まれ、正確な位置が74kmという事実を知り、愕然とした。他の方にも申し訳なかった・・・。
集中力が完全に切れた
第8エイド手前でコースをロストした。標識を見逃した訳ではない。大きな矢印があったのに、逆に見えたのだった。得意な下りのロード。ここ以外走れる場所はないかもしれないと思い、力を振り絞って駆け下りた。
80km過ぎてまだこんなに走れるとは、僕も大したものだ。自画自賛。分かりにくい道にはマーキングがしっかりしてある。しかし、この道にはそういえば、マークが無くないか? 500メートルほど駆け下りて、スマホをカバンから出し、確認した。完全に外れていた。
300メートルぐらいで悪い予感がしたのだ。でも、ポケットのないズボンだったし、イギリスのトレランと違ってマーキングがしっかりしているから大丈夫だろう(そして、つい数分前にちゃんと見たし!)と思い、立ち止まってスマホを見るよりも風を切って走ることを優先してしまった。
なんとなく、エイドは下の方に、と思い込んでしまったのだ。せめて、エイド名だけでも記憶、または前のエイドで確認すれば。だって、第8エイドは「権現山山頂広場」なんだから。山頂かよ・・・。
慌てず(慌てられない)戻ってさっき確認した矢印を見たら、反対を向いていた。オーマイブッダ。第8エイドにつき、休憩。そこで、何度も声をかけてくれた愛知県の同い年のトレイルランナーにまた出会った。彼はだいぶ速そうだが、その日は調子が悪くて途中で1時間寝たりもしたという(それでも僕と同じ)。「先に行ったと思ったのに」と言われ、「先にいたと思うんだけど」と返したが、違う最先端をトップで駆け抜けてしまったようだ。
その彼が、もう少し休むというので、僕は先に旅立った。
エイドを出て百メートルもいかないうちに、僕は再び違う道に行った。狭い場所に何度もマーキングがしてあり、その先に階段があったので駆け下りた。周囲も見たつもりだったが、完全に見逃した。
まだ間違うポイントまで行ってないと思った。時刻は夜中の0時半。階段の下の方から声がする。時折山の中でもすれ違う、スタッフだろうと思った。「こんばんは〜」と声をかけたら「あれ、誰?」と言われた。なんだ一般客かと思いつつ、階段を駆け下りる。そこには、10人ほどの若者グループが待機していた。
「おーキタキタ。どうだった?」と聞かれたので、めっちゃきついよと答える。その返事を受けて「あれ、あなた誰ですか?」「トレイルランナーだけど」「へぇ、頑張ってくださいね」とやりとりがあった。
その後「あいつらじゃないじゃねぇかよ」と。先にすれ違った2人が偵察に行って報告を待っていたようだ。「2人組なら途中ですれちがったよ」と伝えて階段を駆け下りた。
待てよ。あの若者たち、トレランの大会のこと知らない様子だったなと気づいた。ということは、ランナーたちにすれ違っていない可能性が高い。もしかして・・・。ロストだった。階段をゆっくり登ったら、エイドのすぐ近くで、また同い年のランナーに会った。
極限状態でいつもと同じことをする
89kmの第9エイド「鹿谷ふれあい広場」に到着したとき、僕的には完走ほどの喜びだった。残り19kmぐらいなんとかなるでしょうと。とりあえずパクチーの種とコーヒー豆を惹き、お湯をもらってコーヒーを淹れた。ミルを回す動作が、あんなに大変なものだとは思わなかった。パクチー銀行では、手挽きでコーヒーを淹れてるが、今後もそれは続けようと誓った。世の中に流されず、それができる程度で、物事を発展させていこう。
「まさかのコーヒーを豆からですか」とエイドの人が声をかけてくれた。ここまでエイドの方々について全く触れていなかったけれど、みなさんとてもフレンドリーで参加者として気分がよかった。栃木シティのパクチーハウスコラボマッチのTシャツを着ていたので小さく「No paxi, no life」と書かれていたのだが、「生産者なんですか?」「パクチー好きなんですか?」と何度も聞かれた。
そこから先は感情を捨てることにした。「次のエイド以降は河川敷ですから」「もうすぐゴールですから」と声をかけてくれたが、冷静に、距離はあと19kmあるし、山もどうせいくつかあるだろうと思って淡々と進んだ。
誰かについて行きたかったが、みんな次々に行ってしまうので山の中はどうしても一人になってしまう。そして、またロストした。ギャグかよ! このときはもう笑いながら戻るしかなかった。そして、崖だと思っていたところにライトつきのマーキングがあった。下から見ると煌々と輝いていた。
最終エイドは98km地点。歩けば帰れる場所に来た。危険もそれほどないはず。出発時間からちょうど24時間で、陽が出てきた。エイドに置いてあるものを片っ端から食べていたら、「元気ですね」と。元気がないから食べてるんですと思ったが、よく聞く「胃腸の不調」にならなかったのはラッキーだった。
同じような位置にいたランナーたちが、そこからさらに走る走る。僕はもう走れなかった。コース沿いをひたすらウォーキング。一度は見えなかったランナーたちが、残り3キロを切るとまた見えてきた。やっぱり歩くのは速いらしい。最終エイドとゴールの順位が同じだったことに、それが現れている。
ゴールしたのは午前8時39分。すぐにタイムの書かれた結果表をいただいた。第2ウェーブは6時10分スタートだった。またやってしまった。24時間で走れるかなぁと漠然と思っていたが、結果は24時間と89分。
また出迎えてくれたお義父さんと、妻の実家に戻った。とりあえず朝食をいただき、眠いはずなので布団に入ったが、一睡もできなかった。身体中が炎症を起こして興奮状態だったのだと思う。昼過ぎに起きて、また焼肉とビールを堪能したら眠ることができた。もしかすると単なる気絶だったかもしれないが。
午後5時に、広島市の中心部の打ち上げ会場に行った。歩くのもしんどかったが、会場に着くとゆっくり楽しめた。サハラマラソン関係者を中心とするトレイルランナーたち。話を聞くと、それぞれが目標を決め練習しチャレンジしている。周囲にそういう人はそれなりにいるはずなのだけど、これまで以上に自分の極限に近いところまで力を出してから話を聞いたからか、とても刺激になった。
集合時間ちょうどぐらいに僕は店に到着した。サハラ完走者たちが早めに集合しており、その友人たちが後から合流する感じだった。僕が着くなり、口々に言われたことは「トレイルランナーじゃないのに完走してすごいじゃないですか」。いや、トレイルランナーの端くれかなと思っていたのだけど。
まぁ、上述の通り、仲間たちの話を聞いて、僕はトレイルランナー未満だなぁと理解した。まず装備がなっていない。「どうして長ズボンなんですか」と十数人から問われた。僕はトゲとか刺さったらいやだなと思たのと、レインウェアが必須装備だったので、それと兼用できるものを着用しただけなのだが。バックライトは自転車用のものだったし、準備しているときに「靴の買い方」を尋ねたので、ど素人丸出しだったらしい。ついでに言うと、持って行ったライトが壊れたみたいで手で押さないと暗い状態だったので、夜間の35kmぐらいはヘッドライトを手持ちしていた。明るいライトだと周囲はよく見えるのだけど、暗いライトだと常に山がぼんやり見えるので暗いライトはよいなと気に入っていっていたのだ(3度ロストしたけど)。
次にトレランに出ることがあるのかないのか、それがいつなのか、全く未定だけど、疲れても下れるトレイルランナーには憧れを抱いたし、道具の機能にもちょっと利点を感じたので、とりあえず鋸山でいろいろ挑戦してみようと思う。
他の参加者の記録
たまたま発見した分のみ。
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パクチー(P)コワーキング(C)ランニング(R)を愛する、PCR+ な旅人です。 鋸南(千葉県安房郡)と東京(主に世田谷と有楽町)を行き来しています。