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小説「レッド・アイズ〜色彩師の憂鬱〜」(その3)


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 その日の夜、私はひとりで飲みに出掛けた。飲まずにはいられない気分だった。最初に三杯、一気に飲み干した。最初の一杯目はジンだったが、二杯目から何を飲んだのかは覚えていない。そんなことは、私にとってどうでもいいことだった。
 私はカウンターの端に座り、目の前の水槽で泳ぐ熱帯魚を見ていた。真っ白い珊瑚の砂の上を色とりどりの熱帯魚が泳ぐ。魚の名前はわからなかいが、魚の色はわかる。ターコイズブルー、シグナルレッド、プルシャンブルー、シャトルーズイエロー、様々な色彩が水槽の中で泳いでいた。
 今日はいつもよりも酔いが早い気がした。いや、早く酔いたい気分だったのかもしれない。
 何杯目かのグラスを空けた後、私は近くのバーテンを捕まえて「同じものを」と言った。何を飲んでいるのかはよくわからなかった。
 目の前の水槽には五、六センチの小さな魚が群れで泳いでいた。コバルトブルーからラピスラズリの冴えた青い色をしている。魚たちは珊瑚の周りをゆっくりと泳いでいた。
 私の前に新しいグラスが置かれた。
「綺麗ですよね。ルリスズメダイって言うんです」
 バーテンが私に話しかけていた。
 私はうなずいた。瑠璃色か、ラピスラズリの別名。ヨーロッパでは聖母マリアの色としても使われた色だ。鮮やかで美しい瑠璃だった。
「テリトリー意識が強いので、最初は喧嘩をするんですが、一度仲良くなるともう喧嘩しなくなります。人もそうだといいですね」
 たしかにそうだ。人は一度仲良くなった相手とも喧嘩をする。私は微笑んでバーテンに答えた。バーテンはすっとどこかに行ってしまった。バーはこの距離感が好きだった。たまにひとりでいると話しかけてくるが、こちらが話を続けない限り、余計な会話をしない。ひとりで飲みたいときには、こうしてほしかった。
「5PB、4、13」  
 私はルリスズメダイの色を記憶した。

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