皇后雅子さまの十二単(ひとえ)に見る思い
肌寒い雨、天皇陛下が即位される儀式「即位礼正殿の儀」が皇居で行われました。式典の少し前には晴れ間が出て、お台場からは虹が見えたといいます。神無月にもこの年だけは、神は皇居周辺に集まってこられたのだろうかと思うほど、東京は荘厳な雰囲気に包まれていました。これを神々しいと呼ばずに、何を持って神々しいと言えるのでしょう。
この儀は色彩の視点から見ても、貴重な色がたくさん見られました。日本には「けして使ってはいけない色」というものがあります。天皇、皇太子、親王などが用いる服の色は、一般の人は着てはいけない色として定められていました。これを「禁色(きんじき)」といいます。
黄櫨染(こうろぜん)、青白橡(あおしろつるばみ)、赤白橡(あかしろつるばみ)、黄丹、深紫、支子、深緋、深蘇芳という色は禁色でした。明治時代に規制が緩和され、天皇が使用する黄櫨染と、皇太子が使用する黄丹をのぞく色は使ってもよい色となったのです。しかしこの2色だけば禁色の中でも特別な色で、絶対禁色とも呼ばれるものです。この色を出すのは難解とされ、平安時代以来数百年にわたり、一部の公家によって守られてきたといいます。
黄櫨染は天皇が重要な儀式のときに礼服を覆う上衣(袍)に使う色で特別なものでありました。黄色に赤色を混ぜた少しくすんだ色です。茶色のようにも見えますが真昼の太陽を象徴にしている黄色なのです。
儀では皇太子の黄丹(おうに)も見られました。黄丹は昇る朝日を表しているとも言われます。黄櫨染も黄丹も太陽の色であり、ここからも太陽信仰と天皇の関係が見えてきます。天皇は太陽神である天照大御神の子孫といわれています。
また、この儀では皇后雅子さまは萌黄色の入った十二単(ひとえ)をお召しになりました。評論家や専門家は「珍しい」「新しい」と評価をしています。十二単の重ね(襲)には様々な重ね方があります。平成の即位のときには美智子さまは、薄い萌黄を下にして紫を前面にお出しになっていました。今回の女性皇族も紫の重ねを使っており、紫のその神聖さ高貴さがとても印象深く残ります。
十二単は12枚の服を重ねると思われているもしれませんが原則は5枚です。この重ねは平安時代、宮廷の人々が自然の彩りを重ねて創造した配色です。平安時代末期には5枚が原則で、特別な場合に12枚の色を重ねました。この時代、貴族や王族はあらゆる贅沢を尽くし、服も重ねることがひとつのステータスだったと考えられます。また、京都という土地柄、冬が寒かったのも理由のひとつだと思います。実際12枚も着ると重くて動けなくなるそうです。
重ねの中には白、萌黄、薄紅を重ねたものがあり、特別珍しいものではありません。そもそもこのような重ねに作法はあっても、そうしたものにこだわることはないものだと理解しています。そういう意味では「新しい」形なのかもしれません。
そしてこの色彩の重ねは、皇后雅子さまのお気持ちを考えたら、これは至極当然だと思うのです。雅子さまの長年の皇室、自分のお立場の畢竟な思いが出ていると感じました。とても素晴らしいものを拝見できたと思います。
後半は色彩研究会マガジン内で、皇后雅子さまの思いと色彩の関係について考察を述べさせていただこうと思います。
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