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デジヴァイスとは何だったのか。ーデジモン・ラスエボ考3ー

※本記事は、映画「デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆」についての感想と考察記事となります。個人の感想や考察、ネタバレを多量に含みますので、ご注意ください。また、私は、デジモンアドベンチャー02から入り、映画版(デジモンアドベンチャー tri )は全部見ていますが、設定の記憶違い等があるかもしれません。あらかじめご承知おきくださいますよう、よろしくお願いいたします。

考察したいと思える作品に出会えたことに感謝しながら、今日も長文を書き散らかしていくわけです。すみません。

さて、今作で起こったこと(結果)を端的に表すと
 ① デジヴァイスが石化した
 ② パートナーデジモンが消失した
この2点でした。今回は、このうちの①について、考えてみたく思います。

デジヴァイスについて、今作では光子郎がスマホタイプのデジヴァイス(以下スマホ)を自力開発しているようでした。(本体終了時の画面にIZUMIの文字がありました。)太一がデジヴァイス本体を1人暮らししている家に仕舞っていたところを見ると、子機というよりは、デジヴァイスの仕組みを解析し、仮想的(ソフトウェア的)に移植したのではないかと考えられます。現実世界ではスマホとデジヴァイスに分かれていますが、デジタルワールドの神様側から見ると、1つに見えているのではないかと思われます。
光子郎はおそらく、デジヴァイスとデジタルワールド間でどのような通信が行われているのか、デジヴァイスは持ち主の何をモニタリングしているのか(機能としての”絆”)、果ては進化はどのような要素で発生するのか…といった「仕様」を、100%に近い形で分かっていたと思うのですね。でなければ、ソフトウェア的に再現、コピーするのは難しいと思うのです。ブラックボックス的な所はそのまま移植しちゃいました!というオチも無くは無いと思いますが、ハードウェア的にまったく違うものに移植しているとなれば、ちょっと考えづらいことです。劇中で「光の環」が現出した際の光子郎の動揺も、エンジニアとしてではないかと思っています。「そんな仕様、僕は知らないぞ!?」といった感じ。

デジヴァイス、私は「デジタルワールドの神様しか持っていない、デジモンのデータを書き換える(進化などのこと)などの管理者権限を、特定デジモンについてのみ許可したもの(制限的管理者アカウント)」をアイテム化したものだと思うのです。無印デジモンアドベンチャー(テレビ版)最終話からデジモンアドベンチャーtri第1章の間、デジタルゲートは閉じたままになっており、デジヴァイスも沈黙していました。が、石化はしていませんでした。今作では、光の環が現出し、戦闘によって消耗した後、デジヴァイスは石化しました。

今作で太一とヤマト、そしておそらくは空を悩ませた、光の環。これ、今思えば、電気製品における電池残量を提示するマークに似ている気がしています。そもそも「オーナー(選ばれし子供たち)の無限の可能性」というエネルギーリソースは、何に使われていたんでしょう?デジモン達は劇中でハンバーガーを食べて回復したりしていますから、デジモンの受肉や物理空間における存在維持のエネルギーとは思えません。では、何に使われていたのか。私は、デジヴァイス、もっと言えば「神様から部分譲渡された管理者権限」の維持のために使われていたのではないか、と考えています。

デジヴァイスはおそらく、子ども特有の「無限の可能性」をデータ化し、エネルギーに転化して自動で蓄える機能を有していたのだと思われます。しかし、オーナーが徐々に「無限の可能性」、純粋さや、ひたむきさ、根拠無き自信や、知的・感情的な吸収性と弾力性、そういったものを失い、硬直化、というか「自分というものを自身の想いで定める」ことをすると、充電はできなくなっていきますから、あとは消費する一方です。そして、充電が切れる寸前になって現出する光の環。これが家電なら、充電ケーブルにつなげば良いところですが、残念ながら供給すべきエネルギーは失われています。

さて、そうなると、パートナーデジモンとの絆が失われたというよりは、単純なエネルギー切れ、パスポートで言えば期限切れの失効です。もし、石化が「垢BAN」のような永久失効でなく、単なる失効(継続手続き上の不備)であるならば、何らかの方法で充電ができれば、石化=失効は解除される可能性があります。主人公たちは、悲しみに暮れることなく、前を向いています。子どものときのような爆発的な「無限の可能性」は失われたとしても、静かに、細く、しかし強く脈動する「無限の可能性」が、徐々にチャージされていったとしたら。また、いつの日か、デジヴァイスは再起動するのかもしれません。

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