花より小犬。

「あなた、今付き合ってる子と別れない?」

バイトからの帰り道。本を読みながら歩いている僕の耳に、気だるげな女性の声が届く。僕は本に栞をはさんでからゆっくりと振り返る。
「…あれ?」
誰もいない。経験則だと後ろだと思ったんだけど。
「甘いわね。ここよ、ここ。」
声の主はどこにも見当たらない。
「なんだ、空耳か。」
呟いて歩き出そうとする僕の足がうまく動かない。目をやると、サングラスをつけた黒と白の小型犬が体を伸ばして僕の足に短い前脚をかけている。かわいい。犬種はなんだろう。チワワかな。大きくてキラキラした目。首輪が無いけれど野良犬にしては毛並みが良い。
「やぁ、こんにちは。迷子?」
声をかけると、口を半開きにして、へっへっ…と呼吸する。なんだこの子は。かわいすぎないか。
「なるほど、あなた人間には興味無いのね。」
目の前のかわいい小型犬から、年上っぽい女性の声がする。さっきの声だ。
「…きみが話してるの?」
そうだと言いたげに、キャンッと元気に鳴く小型犬。かわいい。体全部を使うアクション。癒される。…違う、そうじゃない。
「なんで小型犬が喋っているの?」
こういう特殊能力に目覚めたっていうのなら、幸せなんだけど。
「最終手段よ。どんな風に声をかけても全然相手にしてもらえなかったから。」

そう言えば最近、道端で女性に声をかけられることが多くなった。しかし、モテ期到来と喜ぶほど僕はそういうのに餓えているわけではないし、喜んで誘いに乗るタイプでもない。最初の頃は人違いだと思っていたけれど、なるほど、ターゲットは僕だったのか。
「美魔女、主婦、ボーイッシュ、ゆるふわ、元気系におとなしめ、挙句に幼女、老婆…あらゆる属性からのアプローチを試みたのに、あなたはまったく釣られなかった。初めての仕事なのにすべての変装を使い切った私は奥の手を出すことにしたのだよ。」
抱き上げた小型犬は難しい顔をしながら喋る。仕組みは分からないけれど喋っている。多分ドヤ顔をしていると思う。
「露出高い服で背中からぎゅっとする作戦もダメだった。」
「もはや犯罪ですよね。」
「トーストをくわえて曲がり角でぶつかる作戦もダメだった。」
「バター塗った面で顔面被弾してましたよね。」
「TwitterでDM送ったら即ブロックされた。」
「そりゃそうでしょう。」
「…ビジネスの話をしましょうか。」
「ビジネス、ですか?」
「そう、ビジネス。ねぇ、あなた。」
「はい、なんでしょう。」
「今付き合ってる子と別れない?」

「…結論から言うと、あなたの方がストーカー扱いされてて、うちに依頼してきたのは浮気相手のオトコ。あなたの彼女が適当についた嘘を真に受けて、オレがお前を守ってやるスイッチが入っちゃったのね。まぁ、あの感じだと彼女の方も自分から振って悪者みたいになるのはいやだったってところかしら。ほれぼれするような自己正当化ね。かわいそうに。」
最後の同情は果たして誰に向けたものだったんだろう。僕はと言えば、せっかく受けた告白を無下にするのも何となく気が引けてしまって付き合っていただけだから、ショックは微塵も感じなかった。
「そうですか。うん、いいですよ。あとはよろしくお願いしますね。」
「え?」
「お望みの通り別れますってことですけど、何かおかしいこと言いました?」
「いや、あの、もっとこう…あなた、自分の知らないところで勝手に悪者扱いされてるんだけど、怒ったり悲しんだり、なんか無いの?」
「何も。僕らだって必要無くなったものは捨てるじゃないですか。」
「もっとこう、怒り狂ったり、泣き喚かれたり、別れてやるから代わりに金くれとか無理難題を言われるものかと思ってたら…。」
「え、お金くれる準備があったんですか?なんだ早く言ってくださいよ。あー、わかれたくないなー。でも、おかねくれたら、ちょっといしがゆらいじゃうかもしれないなー。」
「な、何を今さら!」
「でも、僕が別れるって言わないと困るんですよね?」
「それは…そうだが…。」
「あ、いや、そんな顔できゅーんって鳴かないでください。」
「こうか?」
「だめですってば。」

その後しばらく、小型犬が全身全霊で悲しむ様子を堪能した僕は、別れさせ屋さんが受け取る依頼料と報酬の半分を貰うことで話をまとめた。声音がクールなだけで、実は結構ドジっ子さんなのかもしれなかった。
「ところで、別れさせ屋さん。僕とビジネスの話をしませんか?」
「なんだね。これ以上は何を…。さては、体か!私の体目当てか!」
「永久にその見た目のままなら、かなり魅力的な提案ですけど。」
「なんてヤツだ…。」
「僕のこと雇いません?実はバイト先が潰れちゃったんですよね。」
「なんて…ヤツだ…。」
「僕なら上手にサポートしてあげられますよ?こっちの世界に不慣れなあなたのサポートをね。」
ある日、町の中。小型犬に出会った僕は、こうしてちょっとした臨時収入と次の働き口を手に入れたのだった。

~FIN~

花より小犬。(2000字)
【One Phrase To Story 企画作品】
コアフレーズ提供:花梛
『背中からぎゅっと』
本文執筆:Pawn【P&Q】

~◆~
One Phrase To Storyは、誰かが思い付いたワンフレーズを種として
ストーリーを創りあげる、という企画です。
主に花梛がワンフレーズを作り、Pawnがストーリーにしています。
他の作品はこちらにまとめてあります。

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