見出し画像

これだけは嫌というものを受け入れようとしてみることで、楽に生きる

 これはしたくない。こうなりたくはない。そんな風に、これだけは嫌。そう感じるものがあるといえます。

 そして、日々の行動は、嫌なものを避けるためにしている。そういう場合も結構あります。このままだと、嫌な状態になるから、がんばらないと。そんな風に、嫌を避けるために、がんばったりしているものです。

 それでうまくいっているならば良いといえます。しかし、嫌なことを避けるのに、限界を超えてがんばろうとする。嫌な状態になりたくないためのがんばりで、すでに憔悴してしまう。それだと、本末転倒といえます。避けようとしすぎて、自分を酷使しすぎてしまっているからです。

 そのため、あえて、嫌なものを受け入れようとしてみる。そのことで、嫌なものが、少し嫌に感じなくなる。そうすると、そんなに無理をする必要がなくなります。

 また、嫌なものを受け入れようと考えてみる。そのことで、本当は何が嫌なのかが明確になってきます。曖昧なまま嫌がっていては、広い範囲で嫌に感じてきます。しかし、明確になれば、嫌なポイントを狭めることができます。そうすると、受け入れられることは広がり、無理する必要がなくなります

 嫌なものを受け入れようとすることで、楽に生きることにつながるといえます。

本当に受け入れてなくてもいい

 嫌なものに向き合う。それは、あまり喜んで取り組めることとはいえません。そのため、がんばって受け入れようとする。本当に受け入れようとする。その必要まではないといえます。

 受け入れるとするとどんな感じかを試しに考えてみる。その位で良いといえます。何がそんなに嫌なのか。それを試しに考えてみることが大事です。

 あの人に嫌味を言われるだろうから。自分のプライドが許さないから。その状態になると、良い人生が想像できないから。色んな理由が出てくると思います。

 そして、その出てきた理由に対し、それはなぜそう思うのかをまた問いかける。そういう風にして、嫌に感じる部分を特定する。それが重要といえます。

 出てきた答えによっては、そんなに気にすることでなかった。または、その特定した部分さえ避けられれば良いだけだった。そんな風に、受け入れられる幅がいつの間にか広がっている。その結果、無理をせずにすむようになる。そういう場合も出てくるといえます。

向き合うことに慣れることで、楽に生きる

 何かから逃げ続ける。それは、案外、労力がいり、つらく苦しいことです。たしかに、逃げる方が楽であり、そうせざるを得ない場合も多々あります。そもそも労力のいる逃げることを選ぶほど現状が苦しいといえるからです。

 その一方で、余裕ができたときにでも、向き合うことにも慣れておく。そして、逃げる必要のないものもたくさんあることに気づく。それも、楽に生きる上で大切といえます

 自分を守るために、逃げ続ける。ただ、いつも、いつでも逃げ回っていると、がんばりすぎの状態になります。本当は何も追いかけてきていないのに、逃げ回っているかもしれません。

 そのときに、そもそもなぜ逃げているのか。なぜ嫌なのか。それを振り返っておく。疑問を重ねて、深めておく。そのことで、ここは休んでもよかった。ここは逃げなくてもよかった。そういう風に、心の安全地帯が増えていきます。嫌と向き合い、安全地帯を増やすことで、人生を楽に生きていけるといえます

 最後までお読みいただきありがとうございます!

 


 

お心遣いありがとうございます!