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気にならない理不尽のある環境を選ぶ

 理不尽なことが多いと、つらく、苦しくなってしまいます。そして、世の中は、理不尽なことは、現実的には少なくないものです。そうすると、すべてが嫌になってしまう。この世の中が嫌になってしまう。そして、この世の中で生きているため、常に生きづらい。そう感じていくことになります。

 ただ、冷静に考えると、すべての理不尽が自分を苦しめるわけでありません。たしかに、理不尽の存在自体、好ましいものではないかもしれません。ただ、だからといって、あらゆる理不尽を、常に、意識しているか。あるいは、苦しめられているか。そう言われると、そうではないともいえます。

 今が苦しいのは、特定の苦手な理不尽な環境に置かれているからといえます。そして、同じ環境にいても、その理不尽が気にならない。そういう人たちが周りにいる。その場合、自分の苦しさが理解されない。あるいは、考えすぎ、気にしすぎと言われる。そして、孤独感や無力感を感じ、ますます、苦しくなるといえます。

 大事なのは、特定の苦手な理不尽のある環境から離れることです。わざわざ、すべての理不尽のある環境から離れる必要はないのです。1人1人、気になる理不尽、気にならない理不尽があります。気にならない理不尽のある環境にいること。あるいは、その環境にいる時間を長くすること。それが楽に生きる上で大切といえます。

どんな出来事も、必ず、誰かにとっては理不尽

 苦手な理不尽に耐え続ける。そうすると、世の中が嫌になっていくのも当然といえます。そして、理不尽をなくしたい。そう思うのも当然といえます。

 理不尽を減らすために活動する。それは、素晴らしいことの1つです。ただ、誰もが、その活動のためにがんばれるわけでありません。また、がんばる必要があるわけでもありません。

 そもそも、どんな出来事も、どんなルールも、誰かにとっては理不尽です。全員にとって、納得のいくものの方が見つけるのは困難といえます。

 そうであれば、理不尽と格闘するのは、かえって苦しさを増すともいえます。苦労して、理不尽がなくなっても、また別の理不尽が始まるといえるからです。

苦手な理不尽を見つける

 どんな集団にも、ルールがあります。そして、自分に合う集団、自分に合わない集団があるといえます。それは、その集団のルールが自分に合うかどうか。そこがポイントともいえます。

 理不尽に苦しむ。それは、苦手な集団のルールの中で、ずっと苦しむようなものです。そうだとすると、そこの集団から抜ける。そのルールの輪には参加しない。それが大切だといえます。

 そして、生きている限り、すでに色んな集団の色んなルールに従っています。苦しい。つらい。そんなときに、どの集団のどんなルールによって、苦しいと感じているのか。それを見つけることが大事といえます。

 家庭や学校、職場、地域。現実世界、仮想世界。どの部分で、苦しむことが多いのか。そして、それは、どんなルールになっているのか。そのルールが自分にあっていないのは何か。それを見つけ出す。そのことで、あらゆる理不尽を嫌う状態から、特定の理不尽を嫌う状態。その状態に変化できます

 嫌な理不尽を絞り込めれば、少し生きやすくなるともいえます。

気にならない理不尽のある環境を選ぶ

 自分にとって、居心地の良い環境に移る。それは、すぐできたり、簡単なことではないかもしれません。ただ、気にならない理不尽のある環境を選ぼうとする。その姿勢自体は、重要といえます。

 何が苦手な理不尽か分からないと、突然また生きづらくなります。また、理不尽自体を忌み嫌うと、どの環境にも理不尽がある。そのため、世の中が嫌になってきて、苦しくなってしまいます。

 だからこそ、気にならない理不尽のある環境を選ぶ。その考え方こそが、どんなときも生きやすく生きる。そのために重要といえます。

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