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行動の背景を大切にすることで、心にゆとりを持つ

 人は、行動とその結果だけを見て、良し悪しを判断しがちです。他人の話を聞いて、そんなことしたら、そうなるに決まっている。そう判断します。また、自分のことについても、行動と結果だけで判断しがちです。

 それだけで判断すると、すぐに自分や他人を責めることになります。それだと、心にゆとりを持たせることができません。

 そもそも、人が何らかの行動をするには、それなりの背景があります。その背景に焦点を当てることが大事と言えます。背景には、その人ならではの状況や価値観など様々なものが含まれています。人間の面白さというのは、その部分に詰まっているともいえます。

 行動の背景を大切にすることで、心にゆとりを持つことができます

一般論だけではそもそも説明できない

 こういう行動をしたから、こういう結果になった。その部分だけを切り取り、一般論で判断する。良いことと悪いことの区別を学ぶには、良いかもしれません。

 しかし、実際には、一般論で説明がつくものばかりではありません。現に、おかしいと思える行動を相手がしたとします。一般論でいえば、おかしいと思える行動。そうだとしても、そうせざるを得ない背景があったかもしれません。そもそもその行動こそが正しいと思うような背景があったかもしれません。それは、その人にしかわからないことです。そして、その人に背景を聞かない限りはわからないことです。

 背景に興味を持たない限り、いつまでも、その人をおかしい。そう思って、心のゆとりをなくしていきます

間違いとみなすのでなく、理解不足と受け止める

 自分の行動をおかしいと思う。他人の行動をおかしいと思う。背景を聞いても、それは、間違いだと思う。そうなると、どんどん視野が狭くなっていきます。自分や他者を認められないからです。

 たしかに、理解できないようなこともたくさんあります。ただ、それは、おかしいからでしょうか。間違っているからでしょうか。そうではなく、単に理解不足であるからです。

 理解不足というのは、当然、あるものです。他人の行動だけでなく、自分の行動の理由も充分理解するのは難しいです。自分がなぜこの行動をとったか。説明できないことも多々あるはずです。

 そうであれば、行動の背景を大切にした上で、わからないものは理解不足。そう考える。それが、心にゆとりを持つ上で大切です。

 そして、理解不足を悪いことと捉える必要はありません。色んな経験を通じて、少しずつ理解できるからこそ、面白いのです。理解力の高さ低さは関係ありません。理解しようとする姿勢そのものが人生を豊かにしていくのです。

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