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少しでも楽しめれば良い、と考える

 何かしようと思っても、その気にならない。だからといって、何もしたくないわけではない。そんな風に、どこかもどかしい時間。何かしたいけれど、できない時間。そんな感じで、なんとなく重苦しい気持ちになるときがあるかもしれません。

 何かしようと思っても、できない。それは、楽しさや面白さ。有意義さ。それらを求めすぎているからかもしれません。人生、すべての時間が楽しいわけではありません。面白いわけではありません。有意義なわけではありません。

 それらを求めすぎるあまり、楽しめない。面白くないだろう。無意味だろう。そう考えて、結局、何もしないままの重苦しさが続くといえます。

少しでも楽しめれば良い、と考える

 そうであれば、ハードルを下げることが大事といえます。理想の1、2割だけでも楽しめれば良しとする。1、2割だけでも面白い、有意義と感じれば良しとする。そうすると、行動してみたくなっていきます。

 そして、少しでも楽しむ。面白く有意義な時間を過ごす。それができれば、そもそも充分といえます。

 何かしたいけれど、何もしたくなく、なんとなく重苦しい。そんなときは、少しでも楽しめれば良い、と考える。そのことで、行動したくなり、より楽に、過ごすことができるといえます。

活動へのハードルをもっと下げてもいい

 休みたいときは、休む。それはとても大事なことです。ただ、その分、活動しているときの理想を上げすぎる。つまり、活動中は、楽しまなければならない。有意義でなければならない。そんな風にハードルを上げると、なんとなくの苦しさを感じてきます

 休むときは、しっかり休まなければならない。活動するときは、しっかり活動しなければならない。そんな風に、ついつい、どちらもハードルを上げてしまいがちです。

 ただ、現実は、うまく休めないとき。ほとんど活動を楽しめないとき。そういう時間も、結構多いといえます。現実がそうなのにもかかわらず、ハードルを上げてしまう。そうすると、活動したいけど、活動できない。休みたいけど、休みたくない。そんな風に、重苦しい感情だけが積もっていきます

 休むときは、ほんの少しでも休めれば良い。活動するときは、ほんの少しでも楽しめれば良い。そんな風に、ハードルを下げることで、楽になるといえます

 なんとなく、重苦しいとき。何かハードルを上げすぎていないか。そう考えてみる。そして、上げすぎているものは下げる。そのことで、楽に、動き出したり、休めるといえます。

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