自分の生き方の正しさを証明しようとしなくていい
人生をどう生きるか。それは人それぞれです。周りの人と違う道を歩むこともあるかもしれません。
周りから教えられた生き方をやめて、自分で選んだ生き方。それには、周囲の理解が得られづらいです。また、自分自身も不安になります。そこで、自分の選んだ道は間違っていない。自分の生き方は正しい。それを証明しようとしたくなります。
生き方の正しさを証明する必要はない
しかし、自分の生き方の正しさを証明する必要はないのです。そもそも、正しさというのは証明しようがありません。人に正しかったなと思わせられる。その程度しかできません。そのためには、以前よりお金が稼げる。以前より人間関係に恵まれる。以前より自由な時間が増える。以前より楽しそうに暮らす。そういう風な形で示すくらいしかありません。
しかし、それを目指して何になるでしょうか。それをもって証明したからといって何になるでしょうか。
自分はこう生きたい。だから、これを選択した。それだけで充分なのです。わざわざ、その後に、自分は正しかったんだ。そう他人に証明しようとしなくていいのです。
自分で決めた。それに尽きる
経験のある人は、経験のない人に自分と同じミスをしてほしくない。そういう思いから、色々と教えてくれます。それ自体は、素晴らしいことで、とても有意義なことです。
ただ、人生の選択に関しては難しいところがあります。生き方の正解など、わからないからです。これが正しいと思っても、その人にとっては不正解かもしれません。また、失敗しないことだけが、良い人生といい切れるか。そう言われると、なんともいえないと思います。
そこで、大事なのは、自分で決めるということです。案の定、大失敗するかもしれません。経験者からすると、だから言ったのにとなるかもしれません。しかし、それでいいのです。自分で決めたということで充分なのです。
自分で決めて、他者からみても成功すれば、気分は良いかもしれません。他者からみて失敗すれば、気持ちは沈むかもしれません。しかし、何事も、成功といえる部分もあれば、失敗の部分もあります。それが当たり前なのです。良い気分を手にするために、がんばる必要はありません。
自分で決めた人生の道のりこそ、愛着を持てる
自分で決めるということは、なぜそれだけで大事といえるのか。それは、自分で決めた人生の道のりに愛着を持てるからです。誰かに教えられた生き方でうまくいったとします。しかし、その人生に愛着はわくでしょうか。
愛着というのは、他人がどうのこうの言えるものではありません。愛着がある、それは完全に自分次第だからです。こっちの生き方の方が良い。あっちの生き方の方が良い。そう言われても、関係ありません。
自分の生き方が正しいかどうか。それを気にするよりも、愛着を持てるかどうか。それを考えてみる。そして、そのためには、自分で決めることを大切にする。それが正しさの証明に縛られないために大事と言えます。
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