使えるネズミと使えない猫〜人間の幸福な生き方〜
動物実験で、使いやすいのは、ネズミだとする。使いづらいのは、猫だとする。
使えるネズミと使えない猫
使えるネズミと使えない猫、どちらが幸せであろうか。
ネズミは、実験に使われ、人の役に立てて、幸せであろうか。そうではないといえる。猫は、実験に使われなくて、人の役に立てず、不幸であろうか。むしろ、自由に生きられて幸せと言える。
途中で使えないと判断されたネズミは、そこから自由になれるなら、ラッキーといえる。途中で使えると判断された猫は、実験に使われることで自由を失い、アンラッキーと言える。
人間も同じではないだろうか。
学校という実験小屋からスタートする
学校という実験小屋に入る。そこでは、様々な実験が行われる。そして、いかに、使いやすいネズミになるかが求められる。次第に、自分が他より使いやすいネズミになることを自ら望むようになる。それは、社会に出ても同じである。いつか実験小屋から出ることを夢見つつも、目の前の実験において1番になることに今日も集中する。1番になれなかったら、落ち込む。
実験小屋で使えないと判断されたネズミをいじめる。不幸だと決めつける。そして、自分はますます実験小屋で使えるネズミでいることに固執し続ける。
実験小屋の外で生きる勇気
実験小屋から離れることができても、どう生きればよいかわからない。実験で使えるようになる、それだけのために生きてきたからである。自由の楽しみ方がわからない。そこで、再び実験小屋に戻ることになる。
実験小屋から離れた自由な生き方は、離れて実際に生きないことにはできない。いつまでも自信はつかない。自由に生きる猫を、嘲るとともに、羨望の目でもみている。
実験小屋の外で生きてみる勇気、それが必要である。
結局は、自らの主体的な選択が大切
使えるネズミになるか、使えない猫になるか。そこには、自由が与えられている。幸運にも、実験に使われるネズミのように、強制的にそれは決まらない。自分で決められる。使えたとしても、使えない猫として生きることもできるからである。また、使えるネズミとして生きるのも一概に悪いとは全くいえない。それによりたくさんのメリットも受けるからである。結局は、自らの主体的な選択というのが大切である。
色んな生き方がある。使えるネズミと使えない猫という視点を通じて、自分の人生を考えてみると何か気づきがあるかもしれない。
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