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秘された歴史 茨城という茨の城❸


常陸国一宮鹿島神宮。ここの本殿奥深くに非常に興味深い神宝が眠っています。
「常陸帯」といいます。
この帯は妊婦さんがお腹に巻く腹帯なのですが、
それが神宝となる由縁があります。

この帯を誰が、いつ巻いていたか?
ここがポイントです。

じつはこの帯は三韓征伐の際、神功皇后が巻いていた腹帯なのです。

ではその時皇后のお腹にいたのは?

応神天皇です。

つまりこの常陸帯とは、神功皇后が戦に赴く際、
鹿島の神のご加護を祈願し巻かれた帯であり、
さらにはのちの応神天皇をお守りした御腹帯ということです。

それが現存していて、なおかつ鹿島神宮にあるのもすごい話ですが、
さらにこの常陸帯の伝承は一筋縄ではいかないのです。

神功皇后からこの帯を奉納されたとする神社が、
鹿島神宮の他にもう一社あるのです。
それが筑波山神社です。

https://kashimajingu.jp/wp-content/uploads/2019/12/35238288d3a70509a7893a1aa18958f21.pdf


両社とも神功皇后から奉納と記載しています。
そして筑波山の頂上には常陸帯神社なる社が存在します。

私が調べた限りでは、この常陸帯はもともと筑波山神社に奉納されて、
のちに鹿島神宮に移り、現在まで保管されているようです。

ではなぜ神功皇后は自分が巻いた腹帯をこんな東国の筑波山に奉納したのか?

古代の筑波、なにかありそうです。

古代の筑波を調べる上で非常に有用な書物がいくつかあります。

まずあげるのが宮本宣一著「筑波歴史散歩」
この本によると徳川時代までは天地開闢(世界の始まり)に二説あり、
一つはみなさんご存知の日向の高千穂。そしてもう一つが筑波山だそうです。
つまり明治維新までは筑波山も日本発足の地としてとらえられていたようです。

それを証明するかのように、江戸時代に書かれたと思われる筑波山神社の資料、
「常陸国筑波山縁起」には記紀に伝わる「おのころ島」とは筑波山のことで、
故に筑波山神社はイザナギ・イザナミを祀っているとあります。

なんだか大きな話になってきました。

古史古伝のひとつとされる「ホツマツタエ」
ここにも古代筑波の驚愕の事実が。

「4000年ほど前、地球が寒冷期に入った頃、イザナギとイザナミは筑波山の麓、伊佐川のほとりの伊佐に宮を構え、新婚生活を開始した」

また
イザナギは根国(北陸地方)の皇子、
イザナミは日高見国(東北地方)の皇女に生まれている
との記載も。

イザナギとイザナミ夫婦が初めて居を構えたのが筑波ならば、
古事記にある通りそこが天地開闢の地となるはずです。

青森の三内丸山遺跡は約6000年前の遺跡ですから、
僕が考察するに、そこを築いた東北の王朝が地球の寒冷化に伴い、
日本列島を南下していき、
イザナギ・イザナミの代で居を構えたのが筑波だったのではないかと思います。

日本百名山に選定された山々の中で、もっとも標高が低い山が筑波山です。

百名山の選定基準を原則標高1500mに指定した選定者の深田久弥氏は、
標高877mと基準を大幅に下回る筑波山を選定した理由について、

「その歴史の古さを鑑みるに、この山を選定しないわけにはいかない」

と述べました。

ホツマツタエの内容が事実であれば、深田氏の選定理由は至極当然ですね。

いやはや古代筑波、調べがいがありそうです。


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