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いにしえの時代、千葉にやって来た異邦人

古代の海洋技術は僕たちが想像するよりはるかに高度で、縄文の昔から人々は船を駆使して色々な場所へ移動していました。
僕が知っている世界最古の外洋航海は今から約38000年前に遡ります。
航路は伊豆半島から神津島へ向かうルートです。
神津島で取れる黒曜石を目当てに、この島の人間は旧石器時代から船を使って黒潮を乗り越えていたのです。
さらに時代がくだればもちろんその航海技術は飛躍的に進歩していたことでしょう。
人間とは移動する生き物です。はるか昔から、人々は船を駆使して世界中を旅していたに違いありません。

僕が今住んでいる千葉県は約2600年前、徳島から阿波忌部がやって来て、現在まで伝わる多くの伝承を残しています。彼らも船を使って房総半島にやって来ました。そしてやって来たのは彼らだけではありません。その時代時代において、世界中の様々な民族がこの房総半島に辿り着きました。

千葉県山武郡芝山町に芝山古墳群という遺跡があります。太平洋に面する九十九里海岸から程近い場所です。この古墳群は6世紀から7世紀にかけて造営されたものなのですが、そこから面白い埴輪が出土します。
古墳時代後期、千葉にやって来たのはこの方々です。

まえかた・あとまる(考古調査士)ブログより引用

どうでしょう。この異国情緒あふれる出で立ち。とても日本の古墳から発見されたとは思えません。しかし、現に千葉で発掘されたのです。
町のホームページでも掲載してます。

町のホームページでは画像の埴輪を「豊かな髭の男」という、非常にぼやかした説明でお茶を濁していますが、この埴輪、その特徴はどう見ても髭ではなく「もみあげ」にありますよね。

こんなカールしたもみあげ、僕はこの人たち以外に見たことありません。

いわゆる超正統派ユダヤ教徒と呼ばれるユダヤ人の方々です。
カールしたもみあげ、長い髭、そしてハットまで全く同じです。
繰り返しますが埴輪は6〜7世紀にかけて作られたものです。
写真は現代のイスラエルです。
超正統派ユダヤ教徒と呼ばれる方々の信仰心の厚さには頭が下がります。
少なくとも1400年は同じ格好をしているのですから。
ご覧の通り埴輪のモデルとなったのは間違いなくユダヤ人です。
そのユダヤ人が6〜7世紀に千葉の九十九里付近に住んでいたのです。
まったく古代とは国際色豊かな時代です。

僕がなぜ今回この記事を書いたかというと、古墳時代、千葉に住んでいたユダヤ人が、香取神宮にも関わっているのではないかと考えたからです。

以前の記事で書きましたが、僕は香取神宮の本来の主祭神は阿波忌部の祀ったオオゲツヒメという御食津神だと思っています。

そしてその鍵を握るのが香取神宮の境内にある狐坐山神社だと書きました。
狐坐山神社は命婦神という御食津神(食物神)に仕えるキツネを祀っています。
その命婦神単体を祀る神社が境内の特別な場所にあるのだから、香取神宮の本来の主祭神はオオゲツヒメのような御食津神となるはずだという推論です。

ただ、阿波忌部とキツネが直接的に結びつかないことが、どうも引っかかっていました。
そんな時、芝山古墳群で発見された埴輪のことを思い出したのです。
おそらくこの埴輪のモデルとなったユダヤ人の中には秦氏と呼ばれる人が混じっていたと思います。その秦氏が香取神宮にも影響を与えた可能性があります。

キツネが神道に取り入れられた理由についてはさまざまな説がありますが、その中の一説に、秦氏による土着民への懐柔策というものがあります。
もともと土着民が信仰していたその土地独自の神を、他所からやって来た人に上書きされてまったく別の神にされたら、当然土着民は反発しますよね。  
その懐柔策として秦氏が土着民の神をキツネという命婦神として祀ったのです。
しかしながらキツネはあくまで秦氏の氏神、稲荷神の眷属(神の使い)としたというものです。
本来阿波忌部が祀っていた香取神宮にのちの時代、秦氏が関わってくるのであれば、狐坐山神社の存在も納得できます。

以上の内容を踏まえて僕が現時点で考える、香取神宮の主祭神変更の流れとは

阿波忌部の御食津神 オオゲツヒメ
      ↓
秦氏がやって来て御食津神をウカノミタマ(稲荷神)に変更
      ↓
御食津神の眷属である命婦神を祀る狐坐山神社建立
      ↓
御食津神の祭祀を司ったイワイヌシを主祭神に昇格
物部氏が香取の祭司に関わるようになりのフツヌシも主祭神に据えられる
      ↓
藤原氏の台頭により香取神が武神に変更される

おおざっぱにこんな流れで考えています。

色々な土地の古代史によく出てくる秦氏ですが、この氏族は日本の歴史に多大な影響を与えています。それほどの技術や財力を持ち合わせていました。稲荷神社が全国に数えきれないほど存在するのがその証拠です。
秦氏の出自は弓月国(現在のカザフスタン)とされ、源流はユダヤにあります。

古代の千葉、画像の埴輪ような姿をしたユダヤ人が九十九里で生活していたことを想像すると、僕はなぜかわくわくします。

香取神宮の主祭神についての僕の考察は妄想の類ですが、古代千葉におけるユダヤ人の痕跡は事実です。

証拠が出ていますから。

そしてその事実は、我々日本人が混血民族であるということを教えてくれます。
僕もみなさんも、ハーフのハーフのそのまたハーフです。

人種とはなんでしょうか?
国境とはなんでしょうか?

そんなものがない時代から、この島には世界中から太陽を求めた民族が、船に乗ってやって来ました。
ここ100年くらいのものさしで物事を判断していると、世界は何も見えないのかもしれません。

以前どこかに書きましたが、京都の公家の世界ではこう言うそうです。

「3000年まばたき」

やっぱり好きだな、その言葉。

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