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【三日月】この淋しさをどうか、やさしさに変えてゆきたい

 今日のお話は、大好きな「くるり」のお話。

 在宅ワーカーな僕は、一日を通して外に出ることがほとんどない。仕事が終わって、外で飲みたいなって夜にフラっと近所の行きつけのお店に顔を出すくらい。

だから季節感もわからなくて、いつの間にか空は澄んでいて、東京の空にも、ちゃんと星は光ってるんだなって気がついたりする。気づいていなかった事に、気がつく時がある。
 
冷蔵庫の中が空っぽになってた事にも気がついた僕は、腹の減り具合と談論をしつつ重い腰をあげて、近所のスーパーに向かった。

徒歩五分程度の場所にそれはあるけれど、途中幾つかの信号もあるし、大通りも渡らなければならない。片道五分と言えど、買い物してる時間も考えれば音楽は欠かせない。音楽とは、何気ない日常をドラマのように演出してくれるし、そのドラマの主人公こそが自分なのだと気づかせてくれる一種の魔法のようなもの。

イヤホンを装着して、ライブラリからランダム再生された曲が、くるりの「三日月」という曲だった。

  三拍子のピアノから始まる、キラキラとしたイントロが耳に流れる。D6コードの固定フレーズが繰り返されるうちに、気がつけば僕は空を見ていたし、都会の空に三日月を探さずにはいられなかった。

この三日月を この三日月を
どこか遠くの街で見つけたら
この三日月の この三日月の
欠片のことを教えてください

 Aメロが始まった途端に、キラキラと煌びやかな世界観が一瞬で哀愁に包まれる。ノスタルジックな気持ちになった僕は、どんな解釈でこの歌を受け止めれば良いのか、わからなくなった。ただただ、ギュッと切ないような、チクっとした心の痛みのようなものを感じた。そんな気持ちで見上げた空に、三日月は浮かんでいなかった。大勢の人が信号待ちをする交差点の中で、僕は急に、独りを感じて淋しくなる。

明日になれば 明日になれば
太陽が燦々と輝いて
つらい涙も 悲しい気持ちも
全部風に乗って消えていくでしょう

 歌は2番へと、続いていく。

このため息が 君に届けば
きっと誰よりも悲しむのでしょう
街の騒めきも 行き交う船も
それぞれの想いを乗せていくだけ

 ここでようやく、僕なりの解釈が答えを見つける。

こんな風に、ふとした瞬間に独りを感じたり、淋しくなったり、心がチクっと痛んだり。そんなことは普通の事なんだな、と思った。無性に孤独を感じる夜も、心が叫びたくなるような感情も、誰かを思ったり、理不尽や苛立ちに心が萎れちゃいそうになることも、全部全部、まともな事なんだなと思った。

みんなそれぞれ、色んな想いを抱えて行きてるし、そんな人々を抱き込んで街は作られてる。スーパーの店員さんも、タクシーの運転手さんも、居酒屋のおっちゃんも、コンビニのお姉ちゃんも。

 誰だって違う心臓と、違う身体で生きてる一人の人間だから、淋しく思う夜があるのは当たり前のこと。一人だから、一人同士が手を取り合って「一人達」になって、なんとか生きてる。一人達は、一人だけど、一人じゃない。

そんな風に思えたら、真っ暗なだと思ってた都会の空にも、うっすら光る無数の星があることに気がついた。ちゃんとずっと、最初からそこにいたんだね。今なら、見えないはずの三日月さえも、そこにあるように思える。

君と出会って 僕は初めて
ひとりでこの街を歩いてゆく
この淋しさを この淋しさを
どうか やさしさに変えてゆきたい
どうか やさしさに変えて届けたい

 この曲の最後は、こんなAメロで締められる。個人的に特に心を打たれたのは「この淋しさをどうか優しさに変えて届けたい」の流れに、強く胸を打たれた。

 淋しい気持ちは、当たり前のこと。これは淋しいという気持ちの「現象」じゃなくて、人として生まれた「本質」なのかもしれない。現象の対義語は本質だけど、僕はきっとそう思う。淋しい気持ちは、本質。人が人を愛する気持ちも、きっと本質。そう思えたら、人って素敵な生き物だなって思う。だって、淋しいっていう本質を持ちながら生まれて、心から人を愛せる本質もあるんだから。ほらね、人って素敵な生き物だよね。

 段々と空気が冷んやりしてきて、空が澄んできたこの時期。買い物に出かける時間だけでも、音楽は色んな気持ちにさせてくれます。発見があります。機会があれば、くるりの「三日月」を是非聴いてみて下さいね!

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