ジャン・ジュネ『泥棒日記』

数年前、ジャン・ジュネの『泥棒日記』を読んだ。好きな本のうちの1冊になった。文章がきれいだし、何より「異常者の生」という感じで、全く境遇は違うが共感できる部分があった。特に、次の文章は何度も見返して救われてるので紹介したい。

自分の出生と性癖とによって社会秩序から除外されていたわたしは、その多様な相が眼に入らなかった。 わたしは、わたしを拒んでいたこの社会秩序の完全な一貫性に感嘆していたのだった。わたしは、このじつに厳密に建てられている建造物、それを構成する一つ一つの細部がわたしに敵対しつつ互いに理解し合っていた、この建造物を前にして呆然としていた。
人々の世界では何一つ異常でも唐突でもなかったのだ、将軍の袖についている星々、株式取引所の相場、 オリーヴ摘み、司法用語、穀物の市場価格、花壇、...... 何一つとして。この秩序、そのすべての構成分子が整然たる連関関係にある、この恐るべき、そして恐れられていた、秩序はある一つの意味を持っていた、 すなわち、それからのわたしの追放であった。わたしはそのときまで、陰の中で、陰険にこの秩序に対して振舞っていた。ところがいまや、わたしはこの秩序に手を触れること、それを構成する者たちを侮辱毀損することによってわたしがそれに手を触れうるということをあえて示すようになったのだ。と同時に、そうする権利を自分に認めた結果、わたしはその中に自分の席があると認定するようになった。わたしには、キャフェーの給仕人がわたしを 「さんづけ」で呼ぶことが当り前のことに思われてきた。
この突破口を、もし多少の根気と好運があったならば、わたしはさらに深め拡大することができただろう。しかしわたしはあまりにも長いあいだ、首を垂れて生きることに、そして、この世界を規制する倫理とは逆の倫理に従って生きることに馴れていたので、それに抑制された。さらにわたしは、あなた方のそれとは反対の方向へ向ってなされた、わたしの苦しみと努力の結晶である歩み、が与えてくれる利益を失うことを恐れたのである。

ジャン・ジュネ『泥棒日記』朝吹三吉訳、新潮文庫、174-175頁。


最近つみたてNISAをやるついでに株を始めたが、証券口座のサイトをみるたびに、『人々の世界では何一つ異常でも唐突でもなかったのだ、将軍の袖についている星々、株式取引所の相場、 オリーヴ摘み、司法用語、穀物の市場価格、花壇、...... 何一つとして』のフレーズを思い出す。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?