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微苦笑問題の哲学漫才24:サルトル編

 微苦:ども、微苦笑問題です。
 微:今回はフランスのジャン・ポール・サルトル(1905~80年)です。
 苦:戦後フランス知識人界に君臨した「やぶ睨みの暴君」だな。
 微:いきなり危険なネタをぶっこまないように。日本では発言し行動する実存主義哲学者として知られています。
 苦:「言うだけ番長」や「ハイパーアクティブ」な活動家に日本は別れているもんな。
 微:『夕焼け番長』なんてマンガ知ってる人間は絶滅危惧種です。とりわけ、本来は水と油のような関係にある実存主義とマルクス主義を架橋しようとし、70年大学紛争に大きな影響を与えました。
 苦:要するに合成洗剤というか、界面活性剤みたいなヤツと思えばいいわけか?
 微:比喩だよ、比喩! サルトルの活動した分野は哲学にとどまらず、文学や評論でも活躍しました。1938年に出版され、彼の名声を高めた『嘔吐』は小説でした。
 苦:学生コンパで飲み過ぎた経験をもとにした作品です。
 微:全然違うよ! ある日、パリの街路樹のマロニエの根っこにできた瘤のような隆起を見て、そこに存在の不条理さを実感し、思わず嘔吐したの!
 苦:ワタシは北朝鮮の金日成の首の後ろの瘤がしゃべるのを見て、金日成という人間の存在の不条理さにサルトルが嘔吐したんだと、ずーっと思ってました。
 微:どんな妖怪だよ! サルトルは2歳で父と死別し、母方の祖父シャルル・シュヴァイツァーに引き取られました。ちなみに「密林の聖者」シュバイツァーの実兄です。
 苦:日本以上に階級分断社会だな。ブルデューが怒るのもわかるわ。
 微:こんなパリのブルジョワ知識人階級の中で育ったサルトルは、1915年にパリのアンリ4世校リセ・ルイ=ル=グランという名門リセに入学し、ここでポール・ニザンと知り合います。
 苦:友人になる人間のレベルから違うな。日本でこれに匹敵するのは尼崎の小学校で出会った松本人志と浜田雅功くらいか。
 微:笑えません。ですが母の再婚によって、1917年にはラ・ロシェルの高等中学校に転校しましたが、うまく溶け込めず、挫折寸前に陥ります。
 苦:おそらく減らず口ばかり叩いていたんだろうな。
 微:母の金を盗んだことがバレて祖父から見離されたり、美少女を口説くのに失敗して、自身の醜さを思い知らされたりと散々でした。
 苦:「ラブプラスにしといて熱海温泉に行くべきだった」と反省の弁を述べたそうです。
 微:それはディープ・ヲタのセリフだろ! 家族は元の学校に復学させることを決心し、1920年にアンリ4世校に復学します。
 苦:振り出しに戻ったと。何かイカサマがバレた感じだな。
 微:バレなきゃイカサマじゃないんですがね。1924年に高等師範学校(École Normale Supérieure)入学し、そこでモーリス・メルロ=ポンティと知り合います。
 苦:サルトルが呼び寄せるのか、「2年A組」のように、そういう子どもが意図的に集められているのか。
 微:ネルフかよ!! サルトルは幸福と不幸がセットになる運命のようで、1928年にアグレガシオン(一級教員資格)試験に落第しました。サルトル自身も、彼を知る者もみな驚いたそうです。
 苦:無意識のうちに名前のところをシュヴァイツァーと書いてしまったとか。
 微:ですが、翌年には首席で合格し、おまけに同じ試験に第2位で合格したシモーヌ・ド・ボーヴォワールと知り合い、その年のうちに2年間の契約結婚を結んでいます。
 苦:ですが一方的に彼女は契約更新を拒否され、寮からも追い出されたそうです。
 微:それは21世紀日本の派遣切りだよ! 生涯、二人は精神的な伴侶として連れ添ったの!
 苦:しかし、何年か後に本当に結婚して「実存は契約に先立つ」と弁明したそうです。
 微:逃げ恥かよ!! その頃、友人からフッサールの現象学について聞いて青ざめた、というサルトルは、すぐにレヴィナスの『フッサール現象学の直観理論』を読みました。
 苦:読んで真っ赤になって怒ったそうです。
 微:鬼ヶ島かよ!! 本人に教えを受けるため、1933年から翌年にかけて、ベルリンに留学してフッサールのもとで現象学を学びました。
 苦:ハイデガーじゃなくてフッサールのところに行くのが誠実というか後に吉となったな。しかも敵国フランスからの学生を受け入れるフッサールの自信もすごいが。
 微:この年はヒトラー政権が誕生し、ハイデガーがフライブルク大学総長に就任した年でした。
 苦:ハイデガーには忙しくてフランスからの学生はどうでもいいし、実存主義哲学と受け取られるのも嫌だっただろうしな。
 微:前に説明した通り、ハイデガーの『存在と時間』は序論だけで終わってしまったために、サルトルにとって、ハイデガーは実存主義哲学者でした。アンガージュマン(自己投企・社会参加)の着想もハイデガーの「企投」ですからね。
 苦:さいでっかー。
 微:ベタな大阪弁ボケをするなよな!! その後、1936年からル・アーヴルやパリで教鞭を執る傍ら、執筆活動をし、1938年の『嘔吐』で名声を博しますが、直後に第二次世界大戦で兵役召集されます。
 苦:「舌禍事件」だな。要らんことを言った人間が最前線に送られるのは日本もフランスも同じか。
 微:で、すぐに捕虜となるのですが、1941年に偽の身体障害証明書によって収容所を釈放されました。
 苦:キミは「慢性無気力症候群」という障碍を持っているから大丈夫だな。
 微:キミこそ。そして1943年、主著『存在と無』を出版しますが、その副題は「現象学的存在論の試み」、言うまでもなく、フッサール現象学、精神分析学、ハイデッガーの存在論が色濃く反映しています。
 苦:われわれなんて、「存在が無」だな、ハハハ・・・。
 微:それ以下の「レス・ザン・ゼロ」です。戦争体験を通じて次第に政治的関心を強めていったサルトルは、1945年にボーヴォワールやメルロ=ポンティらと雑誌『レ・タン・モデルヌ』を発刊します。
 苦:『現代』と訳すのか『今の時代』と訳すのか、難しいな。
 微:以後の著作活動の多くはこの雑誌を中心に発表され、評論、小説、劇作を通じて、彼の実存主義は戦後世界を席巻しました。
 苦:インフルエンザ予防でも活躍したんだな。
 微:それは「石鹸」!! サルトルはマルクス主義に次第に傾き、これがアルベール・カミュやメルロ=ポンティとの決別の原因の一つになりました。
 苦:共産主義支持とソ連支持は別物というニュアンスがわからなかったのか?
 微:1952年、カミュが『反抗的人間』に対するジャンソンの批判に抗議したのに対して、「アルベール・カミュに答える」でサルトルは鋭くカミュを批判しました。
 苦:レジスタンスの闘士で実存主義の作家にケンカ売って、相手してもらっただけでも勲章ものだが。
 微:前にも述べた「カミュ-サルトル論争」です。個人的には、ためらいを重視したカミュの方が正しいことを言っていたと思うのですが、社会はカミュの時代が終わったものと受け止めました。
 苦:「ナポレオン」しか知らなかった日本が、レミー・マルタンの時代になったわけだな。
 微:酒というかコニャックの話じゃねえよ!! サルトルはこの論争以後、フランス知識人に君臨しました。有名な講演「実存主義はヒューマニズム」の中で、手元のペーパーナイフを使って、「道具は「本質は存在に先立つ」が、人間の「実存は本質に先立つ」のだ」と語りました。
 苦:今から思えば、この後にノーベル文学賞を辞退したあたりがピークだったな。
 微:私ならイグ・ノーベル賞だったら喜んで受けます。しかし、構造主義が台頭すると、次第にサルトルの実存主義は「主体偏重の思想である」として批判の対象になっていきました。
 苦:まあ、日本の世間じゃないけど、関係のネットワーク抜きに個人を語るのも無理筋だわな。
 微:とりわけレヴィ・ストロースが、1962 年の『野生の思考』の最終章「歴史と弁証法」において行ったサルトル批判は痛烈なものでした。
 苦:まあ、構造主義にとっては構造、ストルクチュールあるいはシステムが決定する側だもんな。サッカーで言うと、サルトルがマラドーナで、構造主義が戦術・システム至上主義のファン・ハール。
 微:マニアにしかわかんねえよ!! 時は「構造主義ブーム」でした。
 苦:しかし、構造は動くことをフーコーが主張するんだろ。
 微:レヴィ=ストロースによるサルトル批判が妥当なものだったのかどうかは、今も充分に検討されたとは言いがたいです。
 微:ようやく、実存主義の本題に入れたので話を進めると、サルトルの思想は「今まさに生きている自分自身の存在である実存」を中心とするものです。さっき言及した「実存は本質に先立つ」のすぐ後に「人間は自由という刑に処せられている」と言い切っています。
 苦:今の日本なら「ロスジェネはフリーターの刑に処せられている」だな。
 微:深刻すぎて笑えねえよ!! もし、すべてが無であり、その無から一切の万物を創造した神が存在するならば、神は神自身が創造するものが何であるかを、あらかじめわきまえているはずです。
 苦:わきまえるのは女性だけで十分と木木木喜朗なら言いそうだが。
 微:ならば、あらゆるものは現実に存在する前に、神によって先だって本質を決定されているということになります。創造主である神が存在することが前提になっているので、その講演の場にあったペーパーナイフのように「本質が存在に先だつ」ことになります。
 苦:待て、神の手は日本の旧石器遺跡の発掘に使われたんじゃないのか?
 微:藤村さんなんて誰も覚えてねえよ!! しかし、サルトルは「そのようなすべてを創造する神がいないのだとしたらどうなるのか」と問いました。
 苦:この辺、ニーチェ臭さが漂っているが、マルクス主義に近づいたならそうかもな。
 微:神が存在しないなら、あらゆるものは神にその本質を決定されることがないまま、現実に存在していることになります。つまり、「実存が本質に先だつ」ことになり、これが人間の置かれている根本的な状況なのだ、とサルトルは主張したのでした。
 苦:なんかフランス知識人だけでなく社会そのものにケンカを売ってるな。
 微:サルトルは「人間とは、彼が自ら創りあげるものに他ならない」と主張し、人間は自分の本質を自ら創り上げることが義務づけられていると訴えたのです。
 苦:「植民地とは、フランスが自ら創りあげるものに他ならない」という第四共和政への皮肉か?
 微:人間は自分の本質を自ら創りあげることができるということは、例えば、自分がどのようにありたいのか、またどのようにあるべきかを思い描き、その実現に向けて行動する「自由」を持っていることになります。
 苦:「イチローはワシが育てた」と勝手に豪語しているハリーはどうなるんだ?
 微:ただし、ここでのサルトルのいう自由とは、自分の行動すべてにおいて、人類全体を巻き込むものであり、自分自身に全責任が跳ね返ってくることを覚悟しなければならないものです。
 苦:「思想界のバタフライ効果」「すべてが命懸けの決断」思想と呼ばせてもらおう。
 微:実存とはこのような自由なのです。とは言え、人間は自分で選択したわけでもないのに、気づいた時には既に状況に拘束されています。
 苦:サンデル先生も、ついにそのこと認めたな。金持ちの強欲さに呆れて。
 微:ここで「アンガージュマン」が意味を持ってくるのですが、これを直訳すれば自己拘束です。
 苦:そうだよな、怒りの感情をコントロールするのは難しいもんな。
 微:それはアンガーマネージメントです、キミを相手に私は毎日やっています!! 
 苦:それは失礼しました。
 微:人間は拘束でしかない状況に主体的に関わり、自ら選んだものとして捉え返すことができます。その上で「かくありたい自己」を選び取り、そこに自分の本質を見出すこと、それがアンガージュマンです。
 苦:よく目にする「自称ギタリスト」「自称元天才サッカー選手」は悲しいものがあるよな、痛いね。
 微:サルトルは自らのアンガージュマンの実践を通して、社会的歴史的状況に対する認識を深め、マルクス主義を評価するようになりました。
 苦:やっとプロレタリアートというか才能貧困層の苦しみがわかったのか。
 微:哲学的主著『弁証法的理性批判』は、実存主義をマルクス主義の内部に包摂することによって、史的唯物論の再構成を目指したものでした。
 苦:ハイデッガーの「読み直し」あるいは「解体という名の再構築」だな。
 微:サルトルは革命家ゲバラに支持を寄せました。そして自らも政治参加する知識人として、自らの政治的立場をより鮮明に打ち出し、アルジェリア戦争では民族解放戦線を支持しました。
 苦:『アルジェの戦い』な。あの拷問シーンというか、フランスの傲慢さ。
 微:キューバ革命のカストロ政権を支持するなど第三世界の民族解放運動支持は一貫していました。
 微:ソ連を支持しながらも、ソ連共産党を批判し、共産党には加入せず、1956年のハンガリー侵攻、1968年のチェコスロヴァキア侵攻には断固として批判しました。
 微:イデオロギー的に硬直化したソ連を批判する左翼を支援するようになります。
 苦:大学紛争に参加した大学生たちも「アンガージュマン」のつもりだったんだろうな。
 微:それ以上に時代ですかね、ベトナム戦争もありましたし。1964年にはノーベル文学賞に選ばれましたが、「いかなる人間でも生きながら神格化されるには値しない」と言って、これを辞退します。
苦:三島由紀夫や佐藤栄作への渾身の嫌みだな。
 微:そんな小物、相手にしていません。サルトルは1973年に激しい発作に襲われ、さらに斜視であった右目からの出血により失明します。
 苦:ワムウのように己の甘さを自覚したんだな。
 微:マンガのボケはわかりません。失明によりボーヴォワールとの対話の録音を開始し、『別れの儀式』に収録されますが、晩年の「共同作業」によるいくつかの著作は未完に終わりました。
 苦:梅棹さんはその反省を生かしたんでしょうね。多くの弟子を育てて。
 微:1980年、サルトルは肺水腫で亡くなります。葬儀にはおよそ5万人が訪れました。
 苦:その年にジョン=レノンが暗殺されたこと、ツェッペリンのジョン=ボーナムが死んだこと、ポーランドの「連帯」は覚えているけど、サルトルの死は意識できませんでした。
 微:それこそが若さゆえの過ち、「自分の認識する世界の狭さに対する無自覚」です。(合掌)

作者の補足と言い訳
 サルトルが死んだ時、筆者はまだ高校生でした。それよりも前年のイラン革命やソ連のアフガン侵攻の方がくっきりと記憶に残っています。ですからこういう物を書く資格は筆者にはないのですが。
 ただ、悲しく思うのは、昭和40年代というか、1970年くらいまでは、文学に詳しかったり、哲学に関心を持っていることが女性にモテる条件として成立していたのに、1980年代に入ると却ってモテない要素になってしまったことです。つまり、旧制高校以来の「知的に背伸びしなければならない」という強迫観念が消滅し、大学生イコール知的エリートという構図が崩れたこと。これこそが現在の出版不況の根本原因です。特にサルトルやピカソの「モテモテのエピソード」を知ると、「ああ昔は外見の価値は相対的なものだったのになあ・・・」と”外見に不自由”な筆者は嘆くわけです。
 哲学的な評価はさておき(高く評価してますよ)、サルトルの採用した「実存主義とマルクス主義を接続する」戦術は、マーケティング的には見事なものです。頭でっかちな青年たちの心を掴み、学生運動に駆り立てたのも納得できます。なぜならこれは「食べたいけど痩せたい」という究極のワガママというか矛盾を統一して矛盾なきものに仕立てたに等しい商品プレゼンだからです。
 それと21世紀に入り、「こころの教育」という恐ろしい言葉が平気で語られるようになり、青年のボランティアが推奨されていますが、これもサルトル的な「しない善より、する偽善」というアンガージュマンの論理に乗ってしまいます。思想家というよりも、「マーケッター」としてのサルトルの偉大さを筆者はもっと評価してあげていいと思います。尊敬している人、怒らないでね。

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