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微苦笑問題の哲学漫才14:功利主義(ベンサム&ミル)編

 微苦:ども、微苦笑問題です。
 微:今回は功利主義です。
 苦:ああ、過払い金利の原因となったあくどい消費者金融とかリボ払いだな。
 微:今は亡き日栄や武富士も高利じゃなく、グレーゾーン金利であくどく過剰返済させただけですけどね。まあ、違法判決が確定しましたから、後はリボ払いです。
 苦:お前の方がひどいことを言ってるだろ。
 微:(何もなかったかのように)功利主義は英語で”Utilitarianism”、つまり行為や制度の社会的な望ましさは、その結果として生じる効用(utility)によって決定されるとする考え方です。
 苦:まじめな話をすると、社会契約説の「全員合意」というフィクションを超えるためです。
 微:それはその通りです。「勝手に国が決めた法律だし」「そんな校則知らないし」と喚くバカが増えました。しかし、そのゴネ方にも一理あるんですね。「社会契約に私は立ち会っていない」と。
 苦:本当は寝過ごして遅刻しただけだったそうです。
 微:バカ選手権じゃないよ!! まあ、「私的利益の最優先」との誤解を避けるよう「公益主義」「大福主義」という呼び方を提案する人もいるそうです。
 苦:多分、それは公益社か杵屋だな。
 微:お前はさらにバカか! それじゃ「スカイマーク・スタジアム」と同じ水準のネーミングだろ! 今回も二人、ジェレミ・ベンサム(1748~1832年)と、ジョン・スチュアート・ミル(1806~73年)です。
 苦:単品では売り物にならないんだな。
 微:いや、終わったに等しい思想なんでまとめただけです。J.S.ミルは経済学者で、社会民主主義・自由主義思想に多大な影響を与えた人物ですけど。
 苦:ベンサムはミイラというか剥製となって後輩に大きな衝撃を与えています。
 微:まあ、事実ですが。そのベンサムですが、ロンドンの富裕な家族に生まれ、父親はトーリ党で弁護士でした。三歳からラテン語を習い、園児の頃から何巻もの英国史を読み、「神童」と呼ばれました。
 苦:それって、人生の最後が悲惨だったという「枕詞」じゃねえのか?
 微:違います。1760年にオックスフォード大学のクィーンズカレッジに入り、1763年に文学の学士号、1766年に修士号を取ります。さらにリンカーン法学院で法律を学び、1769年に弁護士資格を得ました。
 苦:今の日本の大学生にいる小谷野敦が批判する「○○大学なら文学部でもいい」という類か?
 微:当時、人文的教養がないと支配層の一員として認められませんでしたし、大学に法学部はなく、法学院(inn)で法律家を育成していました。父は、ベンサムを弁護士業の後継ぎにするつもりでした。
 苦:勝手に人生のレールを引かれるのって、倒産寸前の店や工場を継がされるのでも嫌だよな。
 微:能力ないから名誉と安定を求めて仕事もできない二世・三世議員より、苦悩というニーチェ的テーマに取り組めるですから、人生の無茶振りもまた幸せでしょう。
 苦:他人のこととは言え、今日はやたら「冷ややか」だな。
 微:さて、ベンサムの父は、息子がやがて英国大法官になるのは確実だと思っていたんです。
 苦:安倍晋太郎もそう思っていたのかな?
 微:本当にそう思っていたから外相止まりなわけでしょ。でもほどなくベンサムは法曹界に幻滅します。
 苦:ネットに視聴者を奪われているもんな。広告料も減ったし。
 微:日本のテレビ業界ではありません。彼の言葉を信じるなら、「誤魔化しの悪魔」と呼べるイギリスの法典の複雑さにいらだったそうです。
 苦:その頃の検察庁トップは黒川だったんか?
 微:賭けマージャンでもしていてください。そこでベンサムは法律を実践するのではなく、法律に関する著述、つまり法律への批判とその改良方法の提案に自分の人生を費やす決意をしました。
 苦:経営陣がアイディアを出せない企業がよくやる「改善ボックス」への提案マニアになったわけだ。
 微:ようやく、と言っていいでしょうか、1792年に父親が死亡したので、ベンサムは経済的に独立し、ウェストミンスターで著述家としての生活を始めました。
 苦:キミのようにnoteに連載して作家・著述業を気取ったわけだ。
 微:さり気に毒を入れますね。法や社会の改革のためにベンサムが行った多くの提案の中には、彼がパノプティコンと呼んだ一望監視型の監獄設計があることは有名です。
 苦:ああ、フーコーが見えない権力や生権力の発想に使ったあれね。
 微:ベンサムは法や社会の改革の根底に据えられるべき道徳的原理を考えつづけ、「快楽や幸福をもたらす行為が善である」という結論に到達します。
 苦:確かに切り取って貼り付ければ、アブナイことも認めるように、のりピーには聞こえるな
 微:その上でベンサムが出した正しい行為や政策の指標が「最大多数の最大幸福」です。
 苦:大多数が極限まで不幸なんで「最大多数の最大幸福」の錯覚が成立した国が近くにあるよな。
 微:外交的にナーバスな時に変なツッコミは入れないように。
 苦:いや、他のやばい案件から逸らしてやってんだよ。
 微:さて、「最大多数の最大幸福」は"the greatest happiness for the greatest number"の訳語で、「個人の幸福の総計が社会全体の幸福であり、社会全体の幸福を最大化すべきである」という意味です。
 苦:問題はどう測定するかと、同じ行為がある人には快感、ある人には苦痛という問題。
 微:住宅地の「こども食堂」開設が後者ですね。ここにロック的社会契約説を繋ぐと、人民の幸福が増大したかどうかは下院選挙の結果に反映されることになります。
 苦:国王の意思は上院に反映されると。
 微:トーリ党が与党で議席を維持したなら幸福は増大したのであり、政権から脱落したら、減ったことになるのです。
 苦:そう考えると、ベンサムが死んだ1832年に第1回選挙法改正が行われたことは象徴的だな。
 微:そうです。その意味で男女普通選挙と、一票の格差をなくすあるいは得票数総数に対する比率で議席を配分する比例代表制は国民の幸福を最も精確に測定できる手段でもあります。
 苦:昔は参政権は特権だからな。持ってる人間は行使するよ。意味が変わってしまったのに投票率だけに拘る日本の主権者教育は歪んでいるよな。
 微:模擬投票を経験したら投票率が上がるというんなら、医師や看護師不足を解決するには、ってバカ話になりますよね。
 苦:おい、それはオレのセリフだろ。でも選挙の争点とならない問題はどう測定というか計算するんだ? できるんか?
 微:その理屈上、ベンサムは「幸福計算」と呼ばれる手続きを提案しました。これは、ある行為がもたらす快楽の量を計算することによって、その行為の善悪の程度を決定するものです。
 苦:無条件幸福はどう計算すればいいんだ?
 微:それはただの誤変換です。例えば、拷問される個人の不幸よりも、その拷問を見物する楽しみ、その恐怖から犯罪を思いとどまる人間が増大するという他の人々の幸福の総計の方が大きくなります。
 苦:本来の公開処刑とその周りの屋台がくり出す盛り上がりな。
 微:このケースは量的功利主義では「道徳的」「効用が大きい」ということになります。
 苦:上島竜平の「おでん芸」なら納得する。
 微:ベンサムの言いたかったのは、刑罰は犯罪を思いとどまる最小限で良いということなんですけどね。江戸時代にスリで3回捕まったら死刑のような無意味に重い刑罰を定めた法も改良しようと。
 苦:確かに罪と罰が釣り合わないと正義感覚も狂うよな。
 微:さて、お待たせのJ.S.ミルです。歴史学者ジェームズ・ミルの長男として生まれ、父親によって教育され、父と親交が深かったベンサムから助言をもらうような環境で成長しました。
 苦:また英才・超早期教育かよ! こいつら『プレジデント・ファミリー』の定期購読者か?
 微:ミルは小さい頃から年中勉強させられ、父親は彼を同年代の他の子供たちとは遊ばせませんでした。
 苦:アホが感染するからか?
 微:父はベンサムの思想に共感し、ミルを優れた知識人、功利主義者として育てようとしたのです。この勉強法によって、ミルは三歳にしてギリシャ語とその単語を英語と共に教わりました。
 苦:よくアルファベットが混ざらなかったな。
 微:8歳までにイソップ寓話、クセノフォン、ヘロドトスの著作全てを読み、多くのギリシア古典を読まされています。
 苦:時代を超えたバイリンガル生活だな、ただし一方は死語。
 微:まあ、崩壊した学校の授業は私語だらけ。それよりマシかも。
 苦:そのあおりでアクティブ・ラーニングが登場し、高校まで付き合う羽目になって。
 微:8歳の時分にはラテン語、ユークリッド幾何学、代数学を学び始めた時、大学で広く読まれていた全てのラテン語とギリシア語の著作を一通り読み終わっていました。
 苦:「歩くロイブ・クラシック・ライブラリー」と呼ばせてもらうわ。
 微:10歳の頃にはプラトンやデモステネスを難なく読むようになり、12歳の頃はスコラ論理学と同時に、アリストテレスの論理学を原語で読みはじめました。
 苦:キミのギリシア語とラテン語が中途半端に終わった悲しい過去が甦るだろ。
 微:うるせえよ! さらに翌年、彼は政治経済学を研究し始め、アダム・スミスやリカードを父親と共に学習・研究し、彼らの古典経済学の生産要素の見方を完全に理解していました。
 苦:イメージ的にはコナン少年と米加警察署長の図が浮かぶな、ただし、「~と仮定しよう」だけど。
 微:さすがにひずみが限界に来たのか、ミルは21歳のときに本人の言う「精神の危機」に陥ります。興味も意欲も著しく減退し、うつ状態に陥りましたが、ロマン主義への接近と、人妻であったハリエット・テイラーとの親密な交友関係によってミルはこの危機を乗り切っています。
 苦:二重の意味でロマン主義か、にっかつは関係ないだろうけど。
 微:彼女については、モラルにうるさいヴィクトリア朝期としてはかなりの問題であったが、ミルの証言を信じるなら、この時期のミルとハリエットは清い交際を保っていたそうです。
 苦:丸刈りにしなかったんなら清い関係だったんだろ。
 微:秋元グループかよ!! さて、ミルの業績の中で重要なのが政治哲学上の貢献です。
 苦:「不倫は文化」と言ってスキャンダルで政治家が辞任しなくていいようにしたそうです。
 微:無視ね。1859年の『自由論』で、自由とは個人の発展に不可欠なものという前提から議論を進め、私たちの精神的、道徳的な機能・能力を筋肉に喩えました。つまり、使わなければ衰えてしまうと。
 苦:お金は使うとすぐに無くなるけどな。
 微:この思想は明治時代に「自由之理」として中村正直が翻訳・紹介し、大隈重信の立憲改進党の思想に大きく影響しました。もし政府や世論によって「これはダメ、あれはOK」と言われていたら、人々は自らの心や判断力を行使できなくなります。
 苦:心配しなくてもSNSに操られているよ。レス乞食とか「映え」狙いとか。
 微:本当に人間らしくあるためには、個人は男女関係なく自身で自由に考え、話せる状態=自由が必要だと。ここで、ミルの功利主義は師匠にあたるベンサムとたもとを分かったのです。
 苦:男女同権の主張だけでも早いな。木木木喜朗に聞かせたい。
 微:ミルの功利主義は、快楽について質的な差異を認め、精神的な快楽に重きを置きます。
 苦:ファミレス食べ放題より「一見さんお断り」の店の懐石料理だと。
 微:「満足した豚よりも不満足な人間である方が、また満足した愚か者よりも不満足なソクラテスである方がよい」というミルの有名な言葉に尽くされています。
 苦:叶姉妹は満足した豚なのか、不満足な人間なのか、どっちなんだ? 林○理子は?
 微:危険だろ! ただ功利主義も幅が広く、便宜的にこれまで個人や国民という語を使いましたが、功利主義内部でもどのような主体の効用を考慮すべきかという点が問題になっています。
 苦:
 微:具体的には外国籍の人間の扱い、最右翼にはリバタリアンが、最左翼では動物の権利を認めよという主張さえあります。
 苦:ああ、実験用動物に不要な苦痛を与えることはおろか、動物実験そのものを廃止することを主張するグループって、この系統なのか。知らんかったわー。
 微:また、他人に不幸をもたらすことによって得られる誤った快感や全能観を効用に含めるのかという問題もあると言えばあります。
 苦:それを主張しているのって、Z級映画の殺人鬼か、実在してるところではブッシュ一家かイスラーム自爆テロ集団くらいだろうから、個人的には無視ね。でも相手に苦痛を与えることに効用を見出す人間と苦痛を与えられることに効用を見出す人間同士の合意に基づくアブナイ関係はどうなるんだ?
 微:それこそ真の意味で被害者のいない最大幸福じゃないですかね。実際、功利主義が肯定的に語られる例として、当時のイギリスでは禁止されていた同性愛の擁護が挙げられます。ベンサムは、同性愛は誰に対しても実害を与えず、むしろ当事者の間には快楽さえもたらすとして、合法化を提唱しました。
 苦:ジャャニー喜多川とか、色々と噂のあるタレントが喜びそうな哲学だな。
 微:これだけでなく、功利主義によれば被害者なき犯罪はいずれも犯罪とならなりません。この観点から自由権を定義すると「愚行権」になりますね。他者・周囲・家族に何ら迷惑をかけないなら、どんなに愚かな行為であっても侵害されてはならないと。
 苦:てことは、変な漢字の入墨を入れてるアメリカ人に親切心で意味を教えるのは良くないわけだな。

作者の補足と言い訳(3年「倫理」で実施)
 ベンサムの功利主義は歴史的文脈を補助線として入れないと理解しにくいですし、ミルの功利主義は彼の受けた超エリート早熟教育抜きには理解しづらいものがあります。特にミルの人妻との「不適切な関係」によって人間的な感情を回復したエピソードは、心温まるものがあります。教科書や資料集では書かれていないのですが、功利主義は民主主義的に見えながらも、最も民主主義が陥り易い弱点を持っており、それは日本で最も先鋭的な形で現れています。授業では次のような例で示します。
 「「原発を廃止し、電力エネルギーの供給を火力発電中心にする」政策は原発事故を心配しなくていい点では安心できるが、電気料金が高くなるというデメリットがある。仮に日本をA、B、Cの電力圏に分けたとし、この政策に対する住民の満足度がA:B:Cが6:6:5だとする。そこに政権交代が起きて原発推進政党が与党となり、「安価で安定した電力を供給するため」にA地区に集中的に原発を建設することにした。この政策に対する住民の満足度は2:9:9だとすると、後者の政策から日本の住民全体が得る効用は17(6+6+5)から20(2+9+9)に増加しているので、功利主義的には後者が正しくなる。この後者の政策を戦後長期にわたって政権を握り続けた政党はやっていたのだ。では、キミたちは前者の政策と後者の政策のどちらが民主主義的に正しいと思うか、その根拠と一緒に示せ」と。「前者が正しい、つまり少数者の意見を弱者権力にならない範囲で、かつ排除することなく尊重することが民主主義を民主主義たらしめている」と書いた生徒を、こちらは「正解」として扱っている。政治学的には間違っているかもしれませんが。

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