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微苦笑問題の哲学漫才10:ロック編

 微苦:ども、微苦笑問題です。
 微:今回はジョン・ロック(1632~1704年)です。イギリスの政治学者にして哲学者、ピューリタンで、医者でもありました。ちなみに父はピューリタン革命期の議会軍の騎兵隊長でした。
 苦:なんか、漫才以前のネタにもしにくい素材な気がするな。聖人っぽい雰囲気だし。
 微:私のようなカルト教団マニアからすると、ロックと来れば、アメリカのサイエントロジーですね。
 苦:ヘビメタ宗教か?
 微:音楽の方のロック(Rock)ではなく、鍵の方のロック(Lock)です。自己実現に飢えた人間を食い物にするカルト新興宗教で、ドイツ政府は信者の入国はおろか、公務員としての採用すら禁止しています。
 苦:シルヴェスター・スタローンがステロイドでオーストラリア入国を禁止されたのと同レベルか?
 微:ハリウッド俳優では有名どころではトム・クルーズが、少し古いですがジョン・トラボルタも信者です。
 苦:なんかイタリア系が多いような気がするが。
 微:信者の前で、「君は自分で自分の心と可能性に鍵」(Lock)を掛けている。それは過去の恥ずかしい経験や犯した罪を隠しているからだ。それを解放し、自分の可能性を広げろ」と。
 苦:一度しゃべったら、恥ずかしくて二度と脱会できない宗教だな、恐ろしい・・・
 微:ドイツ、ベルギー、フランス、 アイルランド、 ルクセンブルク、イギリスはおろか、イスラエル、メキシコでもサイエントロジーは「カルト以外の何物でもない」と、宗教法人とは認定していません。
 苦:でも、人気がなくなる恐怖から俳優は逃げられないもんな、かわいそう。
 微:ウィキペディアのサイエントロジー教会関連記事で、信者と批判的立場の利用者との間で長らく編集合戦が続きました。
 苦:ネット上の総力戦かよ!! まあサイバー攻撃やランサムウェアに比べれば平和だけど。
 微:遂に2009年5月28日、ウィキペディア仲裁委員会は「10対0」でサイエントロジー関連IPからのサイエントロジー教会と関連記事に対する編集を禁じました。社会的な団体に対する編集禁止措置を取ったのはこれが初めてだったそうです。
 苦:死んだ月亭可朝でさえ載っているのに・・・
 微:話を本来のジョン=ロックに戻します。まず、年譜的に、1652年にオックスフォード大学入学し、哲学と医学を修めました。
 苦:よく王政復古期に生き延びることができたな。
 微:1658年にオックスフォード大学特別研究員、1660年にギリシア語講師、1662年には修辞学講師となるなど、将来を嘱望される天才でした。
 苦:よほど藪医者というか医者としてはダメだったんだな。普通は医者を選ぶだろ。
 微:哲学的にはロックはイギリス経験論に属し、デカルトに始まる大陸合理論の「理性=人間であることの根拠、認識を行う部分」を否定し、「魂の白紙(タブラ=ラサ)説」を提唱しています。
 苦:赤ん坊を見ればわかるけど、生得観念も理性もないもんな。生まれた瞬間から理性を持っていたのはお釈迦様かバカボンのパパくらいなもんだよ。
 微:それは作り話だよ! だいたいパパの出生の話の元ネタがお釈迦様なんだから・・・
 苦:これでいいのだ!
 微:良くないよ! 話を戻すと、母胎の中で満ち足り、安らいでいた人間が生まれて最初に経験する感覚は、それを失った不快感でしょう。
 苦:なんかフロイト的な話になっていないか?
 微:ロックによると、観念の起源は外的な感覚(sensation)と内的な反省(reflection)とに区分されます。
 苦:反省だけならサルでもできるが。
 微:それは形だけです。経験から得られた個々の単純観念が結合されていき、複合観念(様態・実態・関係)が複数の原子の結合から分子が作られるかのように形成されると主張しています。
 苦:ここもデモクリトスの香りが漂ってねえか?
 微:また、彼は物体の性質は外物に由来する客観的な第一性質(固性・延長性・形状等)と、主観的な第二性質(色・味・香り等)とに区分し、人間が知り得るのは後者だけであるとしました。
 苦:墓の中でデカルトが歯ぎしりしてそうだな。
 微:しかし、ロックはそれですら完全には知りえないと考えます。この路線は「認識なんて印象に過ぎず、所詮はあやふやなもので実体はない」というヒュームの『人間本性論』につながっていきます。
 苦:なんか、聞いていて耳が痛いな、特に既婚者は。
 微:個人的な不満は置いといて、話をロックの年譜に戻しますね。1666年から実力者シャフツベリ伯の愛顧を受け、利子率論争で自由放任を主張したり、政治・信教の自由を論じました。
 苦:王政復古期に、けっこう大胆だな。
 微:ですが1683年に彼が失脚すると、一緒にオランダに亡命する羽目になります。
 苦:安倍と安倍チルドレンみたいなもんか。
 微:小沢ガールズよりいいでしょ。ロックに失礼です。そして名誉革命翌年の1689年に帰国できました。その後は怜悧な考察に基づく著作を多数執筆しています。
 苦:つまり、自分の生存権を自然法的に理論づけるために『統治論二篇』を書き、名誉革命を正当化する革命権を捏造、いや考案した、という流れに持って行きたいんだろ?
 微:『統治論二篇』初版は社会契約説に基づく政治哲学の著作です。日本では『統治論』、『市民政府論』、『市民政府二論』とも呼ばれます。世界史業界では『統治論二篇』が好まれています。
 苦:一時期、日テレだけが「読売ヴェルディ」って叫んでいたようなもんか?
 微:それはナベツネのワガママ。彼は社会契約説によって、フィルマーの王権神授説を否定し、自然状態を「牧歌的・平和的状態」と捉えて、公権力に対して個人の優位をまず主張します。
 苦:性善説というか、ジョナサン・ジョースター的だな。そうするとディオはホッブズか。
 微:自然状態を「闘争状態」と想定するホッブズと異なる最初の点です。ですが、人の本性としての社交性と服従契約を否定し、個人的な契約概念を前提とする点ではホッブズと共通しています。
 苦:でも「不完全な牧歌的・平和的状態」だとは認識していただろ?
 微:はい、そこで立法権というか人民代表の集まる議会を重視しているんですけどね。
 苦:ピューリタンのタウンミーティングがアイディアの元だな。
 微:自然状態において、人は全て公平に、生存、財産、自由の諸権利を有するので、誰もが自由であり、誰もが他の者の諸権利に関与する権限はないことになります。
 苦:それ、メタボ基準を出して製薬会社から巨額の研究資金を寄付してもらった阪大教授だろ?
 微:公私混同というか、私怨を込めるのは止めましょう。ですがホッブズも述べたように、この自然状態であるがゆえに不都合が生じてしまいます。例えば、犯罪が起きようとも誰もその犯罪者を逮捕・拘束できず、裁くこともできません。自由権を侵害するからです。
 苦:自由権をそこまで尊重する必要ないだろ。
 微:また、陪審員裁判でも、判事はが近親者の犯した犯罪の場合には公正無私に判断を下せるか疑問を呈します。
 苦:マイケル・ジャクソンの児童性的虐待民事裁判を思い出すと、あり得るな。
 微:その通りで、自然状態の不都合により、牧歌的社会が混沌としてしまうとロックは考え、主権者=人民が不都合な状態から自分を守るために、政府が必要だと認識するに到ったと考えました。
 苦:行政という住民保護の必要が政府の母胎だと。
 微:ただし、その政府を代表する人格として王は想定していません。ここがホッブズと分かれる二番目の点です。
 苦:名誉革命後だと、人民主権を元に王政廃止は言えないよな、元ピューリタンだし。
 微:政府は人民間の契約を経て生まれた「国民の承認」によってのみ設立され、その政府は人民のこの三権を守るために存在すると考えました。
 苦:今の日本政府は、政府のために国民は存在するという逆立ちした錯覚に陥ってるよな。
 微:言い換えれば、政府に社会の秩序を守るための力を与えたのであり、そのために諸権利に対する介入を認めたのです。ただし法を制定するのは議会です。
 苦:つまり、この辺りの機微を理解していたのが日本なら大隈重信だったと。
 微:政府の権力は国民の信託によるものである以上、政府が国民の意向に反して生命、財産や自由を奪うことがあれば抵抗権・革命権をもって政府を変更することができるとロックは考えました。
 苦:契約違反で解約可能だと。
 微:この革命権の考えは1776年のヴァージニア権利章典、ジェファソンによる「アメリカ独立宣言」に受け継がれます。ロックの影響が大きいのは第一に覇権国家アメリカに大きく影響した点でしょう。
 苦:そしたら21世紀も日本はアメリカの派遣国家だな、インド洋からイラクまで。
 微:洒落になりません! ルソーの人民主権に基づく社会契約説とは違って、王政を主権の担い手として排除していなかったことが第二の理由でしょう。
 苦:本家イギリスでは建前上は議会主権だもんな。時々、諮問という圧力があるけど。
 微:事実上の議会主権を樹立した名誉革命も擁護でき、かつアメリカ独立宣言の精神にもなれたのですから。そして第三に革命権についても同じで、君主政も共和政も擁護できたことでしょう。
 苦:というか、ウィリアム3世以降の君主制を正当化できたからだろ。
 微:そして第四にロックは立法権を最重要視しましたが、それを君主あるいは大統領の権限を行政権に限定し、三権分立への道を開いた点です。ただ三権分立は主張していませんから注意してください。
 苦:でもモンテスキューの真意は「国王裁判所は顧客の囲い込みをするな!」だろ?
 微:最後になりますが最大の理由は、やはり産業革命による「豊かな社会」」の実現です。社会の生産力が限られていた農業社会の限界を突破できたことです。
 苦:本来の意味でのトリクルダウン、新大陸で「一山当てる」こともできたしな。
 微:富の不平等が生み出す社会の解体効果を縮減でき、国民に倹約を強制する必要がない豊かさが実現した結果、ロックの社会契約説は、ホッブズのリアルな社会契約説以上に影響を及ぼせたのです。
 苦:でもアメリカ見ていると、革命権の弊害も大きいよな。
 微:アメリカ合衆国は、民兵=武装一般市民による独立戦争から誕生しました。その結果、ロックの抵抗権というか革命権は「武装する権利」としてアメリカ合衆国市民の基本的人権として認められました。
 苦:NRAには死活問題ですからね。
 微:はい、革命権は「武器を所持する権利」として定着し、「非道な先住民から生命と財産を守るための武装の権利」に変質し、いまや「銃で自衛・武装する権利」へと変質してしまっています。
 苦:戦場で使う兵器レベルの武器も平気で持っているもんな。
 微:ダジャレは不要です。しかも連邦最高裁判所も建国の歴史を踏まえると、市民による銃の所持を禁止する法令は「憲法違反」とする判断しか下せません。
 苦:色々な意味で、やっぱりアメリカは特殊で極端だな。本家イギリスのように、あえて不文憲法を貫いて、融通の利く隙間を確保するという知恵というか叡智を学んで欲しいもんだ。
 微:マルク・ブロックの「慣習法はその都度発見される古き法の姿をした新しい法」の言葉を噛みしめてほしいです。
 苦:特に、子ブッシュなんて歴史学科卒業なのにあの程度だったし。
 微:ライス元国務長官も歴史学科出身ですから一概には言えません。でも筆者も史学科出身なんで、どうなんでしょうね。(♪自虐的チャンチャン!)

作者の補足と言い訳
 ベーコンにしろ、ホッブズにしろ、今回のロックにしろ、昔は学問・学者の著作は政治的なことがらと切り離せなかったということです(中国は今もですが)。その辺りを捨象して、思想や哲学を教えても、単なる「クイズの解答ストック」にしかなりません。その辺りを意識しながら漫才を書きました。授業では、ロック・プロパーの話は所有権程度にとどめ、それを発展させて臓器移植や臓器売買の話に展開させます。「この私の<身体>の所有者は誰なのか」というバイオエシックスの難題へとです。 それと革命権を明文化した「アメリカ独立宣言」を世界史図説で生徒に確認させた上で、さらなる発展というか、2学期後半のアメリカ論への布石として、「この抵抗権が現代のアメリカ社会にもたらしている難題は何か」と問います。上記の漫才を読めば、それは銃規制であることだとわかります。ですが、くどいようですが、銃社会アメリカの病理をアメリカ建国の理念と人権思想まで射程に収めた議論を紹介するテレビのコメンテーター(となっている学者)も評論家(専門分野は別な場合がほとんど)も見たことがありません。
 ですが、武装する権利は「自然権」の報復権に不可欠な権利であり、基本的人権とは自然権から報復権というか復讐権を国家が取り上げた残余、つまり「残り物」です。そこを押さえずにお題目のように「人権」を唱える日本の人権教育や、人権を「思想」ではなく「不可侵の真理」として扱う新聞社は一体、何を考えているのでしょうか。報復権を人民から取り上げても、なお革命権が国家の原点にあるアメリカという国、社会主義国の強さと脆さは、きちんと説明されるべきです。

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