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人間はなぜ発熱するのかに対する、ある一つの答え。

おやすみなさい。おはようございます。こんにちは。こんばんは。

ぱとろんです。

今日は授業の日だったのですが、パートナーの家にいたということもあり、見事に一限をさぼりました。いかにも大学生らしいな、と思いつつ。
でも、さぼろうとする瞬間って、決してよいことではないのですが、なんだか少し心地よいものです。思わず、にやっと、してしまうというか。
たぶん、色恋に負けて大学をさぼったという、いかにも大学生らしいことを自分がした、ということに酔いしれているんでしょうね。

これは完全に持論で、「そんなことないよ!」と思う方も実際にそんなことない方もいらっしゃるのでしょうけど、敢えて常に混んでいるスターバックスで仕事をしたり、勉強したりする理由も同じなのかな、と思っています。

つまり、いかにも仕事/勉強ができそうな人が集まる、とされるスターバックスで、自分が仕事/勉強をしている、という事実に酔いしれている、ということです。(再三言いますが、本当に仕事/勉強ができる方もスターバックスにはいらっしゃると思います。)
まぁ、それで実際に仕事や勉強がはかどるのであれば、予言の自己成就的で最&高なのですが。(わたしは人が周りにいると、その人達の会話を聞いたり、人間関係を推察したりしてしまうので、もっぱら向いていないのですが。)

さて、話は変わって、急に冬の寒さがやってきましたね。

薄手のセーターで実家を出てきてしまった私は、その得も言われぬ冬の、顔をツンとなで回すような寒さに、あぁ、今年もこの凍えるような季節がやってきてしまったのだな、と思うと同時に、毎年到来するルーティン化した寒さに、一方で懐かしさを感じておりました。
三寒四温とは、妙を得ており、来週はまた30°ほどに上昇するそうですが。
みなさま、くれぐれもお「身体」ご自愛下さいね。
(個人的には、「体」という表記より「身体」という表記の方が好みです。身体という方が、全身を労わっている感じがするからです。主観的主張ですが。)

さて、今回の題名である、発熱に関するテーマが浮かんだのは、今日の朝のこと。
パートナーが、朝方トイレからもどり、わたしの布団に入ったとき、熱っ!発熱しすぎじゃない?人間カイロになってるよ!と発したのです。
半分夢の中で、意識の朦朧としているわたしは、彼の発した「人間カイロ」というパワーワードだけが脳内にこびりついたまま、すぐに眠りの中に落ちていきました。が、正気になってもう一度その話をパートナーとすると、ほんとうに、とてもとても温かくて、びっくりしたということ。
わたしは、彼が何度も何度もその話を繰り返しするので、「寝ている間に冷たくなったら、嫌でしょ」と返しました。彼は、笑いながら、確かにね、といっていました。

なぜ、寝ているときに温かくなるのか、気になったので調べてみました。
すると、入眠時に、神経の回復やホルモンバランスを整えるために、体温が上昇する、との記述が。それはおそらくその通りだと思うのですが、わたしは、もっと別の理由があるのではないかな、と思いました。

それは、「冷たい冬に、備える」ということ。

服を着ない状態のわたしたちの身体は、熱を生み出し続けないと、これからの季節は、体温の下がる一方です。それに対して、わたしたちの身体は、何とか抗おうと、芯の冷える冬の始まりの朝に、熱を発したのではないかと。
もちろん、うだるような暑さの夏にも熱は発しますし、パートナーが「人間カイロ」と形容したのは、あれほど寒いものはない、と断言できるほどの、冬場の脱衣所を経た後にお布団に入ったからであると思われますが、それにしても、今のわたしには、人間の発熱理由として、寒いもの・冷たいもの、もっといってしまえば、わたしたちが到底太刀打ちできない「寒さ」という事象に、(半ば恐怖を覚え)本能的に「備える」からだと、そう考えざるを得ない心地がして、やまないのです。
そう考えると、「死ぬ」という状態は、「冷たくなる」と同義であり、
「発熱をつづけている」状態は、「生きている、を続けている」状態なのかな、と何となく深いことを考えたりもするのです。(自論を延長すると、死ぬ、つまり冷たくなる状態は、寒さという強大な敵に降伏した証であるともいえます。白旗云々。)

そう考えると、熱を体内から発する、という行為に、何となく愛着のようなものが湧きませんか?
もちろん、夏場は不快なことこの上ないですが。

★今日のまとめ
・ポジティブな固定概念に身を置くことが心地よい、という側面。
・人が体内から熱を発するのは、「寒さに備えるからである」という自論。
・変化の多い気候が続くので、お身体ご自愛下さい。

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