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機会費用を考えることって、すごい時間の浪費、ことに、日常生活においては。

おはようございます。こんにちは。こんばんは。おやすみなさい。

ぱとろんです。

今日はおやすみだったので
(突然ですが、今年いっぱいは「今日はおやすみだったので」という前置きが多いかと思いますが、悪しからず。
大学の授業はすべて取り終えてしまったし、アルバイトも扶養ギリギリまで働き切ったので、これというこれがない日は何もない日になってしまうのです。決してさぼりではない、と自分に言い聞かせながら休んでおります。
まぁ、その状態で休むこと自体が、時に一種のストレスになったりするのですが。可能であれば働きたい、というのが本音です。)、朝9時に起床したのち、アレルギーの薬(秋花粉、いよいよ飛び始めましたね、辛い(´;ω;`))を服用し、午後2時まで眠りにつきました。

自分の中で、よー---くわかってはいるんですけど、午後まで眠った日の9割5分は、しんどい一日になる。
休みすぎ、という病気です。わかってるんだったら動け、と思うのですが、好きなだけ眠れる、という事象があまりにも尊くて、その後が苦しいことがわかってても、何度も何度も繰り返してしまうという、、、。二日酔いすることをわかっていて、お酒をがぶ飲みする感覚と似ています。(違うかも)

それで、本題はここから。なんで午後まで眠りについた日はしんどくなるのか、ということ。今日はこれについて深く考えたんですけど、出した答えとしては、

「脳が元気すぎて、全ての機会費用について、思いをはせてしまうから」

ん?んん????

と、読んでる方のほとんどはなられたかもしれません。

機会費用、というのは、自分がしてこなかったことで得られる利益、みたいなものです。
例えば、今日ゴロゴロしていた一日を、誰かとのデートに使えてたら、どれくらい自分にとっていい影響があったかしら?ということです。

元々は、経済用語だと思うのですが(たぶん)、私はこの「得られる利益」のことを、単純な金銭的利益だけじゃなくて、経験値とか思い出とか、挫折経験、みたいな、より感覚的なものも一緒に考えたりします。

そう、それで、その機会費用が、どうしたかというと。
私は、人生において、常に常々常に脳みそがフル回転しているタイプなので、「脳が元気」かつ「やることがない」状態にあると、過去にあったあれやこれや、現在のあれやこれや、今この瞬間のあれやこれや、そして未来のあれやこれやを引っ張り返して(もしくは掘り進めて)、あそこでこうしたらこう、未来はこうなってたかも、あるいは、未来は今のままだとこうなってよいけれど、こっちを取るとこっちがダメになっちゃう、みたいなことを延々と考えるのです。ことに、未来のことに関しては、考えすぎて(答えはもちろんないので)落ち込んだりする。

一言でいってしまうと、思考回路の無駄遣いなのです。
捕らなかった狸で皮算用したり、捕る予定の狸で皮算用しているからです、ひたすら。

記事を書いて落ち着き始めている今となっては、やめよ!と思うのですが、
違う朝が来て、違う心になるとまたやってしまう。
加えて、ベットでゴロゴロしながらできてしまうお手軽さなので、なおさらです。

まぁ、こんなにいろいろなことに心を馳せることができるのは今のうちなので、学生時代のぜいたくな悩みかなぁ、とも思うのですが、それでもしんどいものはしんどい。
わたし的には、お客様の幸せだけを考えて動いているアルバイトの方が、数倍脳みそ的にはありがたいのです。

とまぁこんな感じで、今日も一日が終わります。
はぁ、今日も何も生産しない一日だったなぁ。
みなさんは、どんな一日でしたか?
bestまでとはいかなくとも、betterくらいの気持ちで生きられていたら、上々です。わたしも嬉しいです。

★今日のまとめ
・ぱとろんは、休みすぎると脳みそを間違った方向に使ってしまう
・それでもやめられない
・betterに生きれていれば、人生上々



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