「当たり前」を失うことの辛さと、それを乗り越えるメンタル術
極めて皮肉なことに、「目の前にある小さな幸せ」に人はなかなか気づけないものです。
地味で面白みのない日常にどれほどの「幸せ」が詰まっているか、をキチンと理解してる人は少ない。
「いやいや、僕は(私は)ちゃんと気づいてます。」とあなたは返すでしょう。
確かに、こんな命題をいきなり投げつけられ、キチンと答えられる人は稀かもしれませんね。とはいえ、こうしてヘラヘラ答えているうちは、目の前にある当たり前の「尊さ」を全く認識していないと僕は断言したい。
いつ気づくのでしょうか?
「当たり前」を消え失せた時。
失ってはじめて、人はそこにあった「かけがえのない価値」に気づくことができるのです。
ある日ある時を境に、それまで「当たり前」に享受していたものが突如、跡形もなく消え失せた。その衝撃は、実際に失わなければ決してわかりません。
他人事ではありません。たとえ今のんきに過ごせてはいても、こんなご時世です。状況がいつ変わるかわかったものではありません。
楽観的であることは大事ですが、あまり度がすぎると、いざ「当たり前」が消え失せた時に人生をリカバリーできなくなります。メンタル面の準備ができていないから。
人生というものは平穏と激動の繰り返しであり、むしろ苦しい時期の方が圧倒的に多いのです。むしろ平穏の時だからこそ、いざという時の準備をしておかなければなりません。
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