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人生は、幸福度を高めるゲーム: 何が欲しいか、知っているのは私だけ。

この記事を書く私は今、
noteの記事を書くために、
スタバに入って、
バナナグラノーラのヨーグルトと
コーヒークリームFをいただきながら
携帯に向かっている。


 本当は今日はこんな贅沢はしてはいけない。なぜなら高いスニーカーを買ったから。



 私は靴の使い方が下手だ。


 歩き方も悪いし、怠慢で手入れも
なかなか思い出さず、思い出した時にした時には遅かったり、結局、たいした手入れをしないうちに壊れて履けなくなってしまう。それも、数日、長くて数ヶ月で壊す。


 だから、これまで高い靴は買わないできた。


 靴にかけるお金は1足あたり
高くても7000円、年に1足か2足。

 それも、壊れたとかそういう、
もう必要不可欠であるという理由でしか買い替えない。


 靴以外も基本的に、下着以外は
今までお金をかけてこなかった。


 そして、これまで26歳頃までは、
欲しいと思うものの単価がそこまで高価ではなかった。はずだった。


 実は毎年買っていて、かつ
毎年これが1番コスパいいよなぁと
本当に思っていてかつ安くて、
満足度が最も高いのは
NOLTYの手帳だ。そういう人間だ。


 それまでで1番高いのは、25歳から買い始めたBRADERIS New Yorkの下着。ナイトブラに1着4000円ほど。
26歳の時にナイトブラだけでなく、
下着もブラデリスで買い始めて
1着1万円ちょっと。


 それでも、高いもの買っているなぁ、という認識があった。


 しかし、最近、欲しいと
思うものの値段が高い。


 この間買い替えた
Michael Korsのお財布は15000円。


 先程あげたBDNYの下着は1着1万円超えで3着ずつ常にもっているけど、3〜5ヶ月に1回は書い直す。
(年に4着買い替えるし、洗剤など含めるとだいたい1年に6〜8万円は使う)


 たまに、やはり下着の値段高すぎるなと思うけれど、今のところ、BDNY以上に安心して買いたいと思える下着屋さんで低価格のお店を見つけられていないから仕方ない。

 今年(2021年)前半のこの5ヶ月で
使ったお金を高い順番に並べたら、


 セルライト潰し専門店
(7万円)

 下着
(1回15000円〜2万円×年に2〜3回)

 お財布14784円

 スニーカー14300円


 ここまでで、
今年既に12万円ほど使っていた。
まだ5ヶ月も経っていない。今年の
クレジットの目標は24万円以内だったのに既にもう、超えてしまう。


 ちょっと使いすぎかなと思う。


 前述したように、靴の使い方が悪いというか歩き方も悪く、だからこそこれまで、高い靴を買ってこなかった。



 今回の靴もそもそも、スタンスミスいつか一足は欲しいなと思っていたところに好きなブランドIÉNAのコラボで、しかも情報を掴むのが遅くて1ヶ月半近く経ってほとんど売り切れてあとは横浜に1足だけ、という状況になってほぼ衝動買いである。衝動買いするには1.5万円は決して安くない。ましてや、私は非正規労働でかなり働いて
月給与は5〜6万円程度。


 今も学生の時の変わらず非正規雇用だから、何かを買う時に何時間分の労働か、考える。それからNetflixを一度経験してからは、Netflix何ヶ月分かで計算するようになった。


セルライト潰し専門店はこのまま一生通おうと思えば通えるけど、元を取る分だけと考えて16回通ったらやめるこたとしているが、Netflix75ヶ月分、
(月990円計算)

下着1着でネトフリ11ヶ月分以上


お財布14ヶ月分以上、


スニーカー14ヶ月分以上。

 これらを買わなかった場合、
Netflixを114ヶ月以上楽しめる。
(9年半)


 どちらが幸福度が高いだろうとたまに思ってしまう。


 以前に、自分が支出しているものと
その値段と幸福度を指標につけたことがある。それによれば、下着は値段に見合った満足度はあった。ネトフリは値段以上の満足度を得ているが、忙しいと見ないので、今の私の状態では、仕事がある限り観ないからもったいない。


 そういうことで考えると、ある程度消耗品であり、また歩き方の悪い私には、スニーカーにおよそ
1万円5000円払うのはもったいないのかもしれない。


 非正規雇用で薄給で親に世話になって生きている現状の癖に、年齢とともに似合うものも身につけるものも変わってきて単価は必然上がる。いやこれでも私はそんなに高いものをバンバン使う方ではないし、宝塚やディズニーなどの定期課金場所の趣味があるわけでもないからまだそんなに使っている方ではない。


 年齢が上がってきても、自分が働けていない状況も、精神的な年齢も全然大人にならないのに、似合うもの似合わないものが少し変わってきたし、必然安っぽくないものや少し高級な上品なものを持つべき年齢みたいになってきてしまった。し、そういうものを持ちたい気持ちも前より大きくなった。


 習慣化のない私は手入れを怠るから
良いものを長く使うことができない。だから、高いものを使うにはまだ自分が見合っていない。それなのに、必然欲しくなるものも少しずつ高くなる。  それならば、きちんと手入れをする習慣をつけるしかない。


 良いものを、手入れしながら、
丁寧に使う心の余裕というか、
そういう生き方をしたい。


 26〜27歳になって、これほどに
いろんなものにお金を使うようになって、でもいろんなものに使ってみて
これは満足度が高いだとか、これは効果はあるけど高かったなっていう思いの方が満足度より高くなってしまって良い満足感が出ないとかも感じた。


コロナのおかげで交際費がグッと減った分自分の欲しいものを買えるようになったし、それまで飲食に使いすぎていた分がモノとして手にあるのは良いなと思った。


 21歳頃から投資に関心を持っていて、24〜25歳の頃に一度色々勉強しようとしていたのに、結局手を出さずに27歳になった。元金がないから手を出せないなとかリスクがとか、なんだかんだ理由をつけていたけれど、高いものをこれだけ買っている値段を考えれば元金も貯められるはずだし、手を出せないのは勉強不足でと思っているけどそれなら勉強する以外方法はないじゃないかと思う。


 転職活動もそう。英語ができないから仕事が見つからない、通らない、とか働いた経験もないのにたいした能力もないから、とか何とか理由をつけて怖くなって落とされる恐怖から逃げて目の前の仕事で得た収入を上のようなものに使っているなら、能力をあげる努力をすべきだし、それで得た職は確実に今の仕事より収入が増えるし、雇用方法や収入によっては独り立ちも叶う。


 そもそも28歳にもなるのに親に何でもかんでもお世話になって好きなものを買っているのは子どもすぎる。

 それは、わかっているのだ。だから、見直しが必要だと。優先順位が間違えているのではと。人は、収入に見合った生活しかできないし、欲しいものがあるなら見合うだけの収入を得なければならないし、そうでないなら仮に必要だと思っても手に入れれば幸福度が上がると思っても、諦めなければならない。そんなことは頭でわかっていたと思っていたが、全くわかっていなかった。



 学生の時から、友人たちはなんでそんなにお金があるの?と思っていた。
もちろん私より働いていてそもそも収入がもっと多い子もいたけれど、私と比較して人の誘いを断れるから交際費が少ないことと、洋服は親姉妹から降りてくるだとか、下着にお金を使っていないとか、そんなことだった。
 男性友人に至っては化粧品代も下着代もそんなにかからないとか0円なものだから、それだけで月の出費が1万円くらい違ったりした。
 私が洋服を自分で買い、下着にはこだわりたいのなら、彼女たちが使わないその費用を使うのだから、何かを削らねばならなかった。
 それは私にとって交際費だった。


 周りの人が欲しいものが私の欲しいものではないし、流行っているものが私に必要なものではない。


 周囲の人は、他人は、
私に必要なものも、幸福度が上がるものも知らない。


 それは、私だけが決められるものだということを、27歳になってやっと理解するようになってきた。


 交際費にお金を使わなくなって
自分の欲しいものにお金を回せるようになったら、出費は変わらないか、増えたけどすごく幸福度が高くなった。自分にとって必要なものや幸せになるものが何かを考えるようになったし少しずつ知ってきた。


 私に必要なものは、誰も教えてくれない。経験をして、考えて、感じて、
これはいる、これはいらない、
これは買ってよかった、これは経験してよかった、これは不要だった、これは早くにやめればよかった、ということを学んでいくしかない。


 これらは、人間関係一般にも当てはまるということを、人付き合いを減らして感じた。私が一緒にいて幸福かどうか、良い人間であれるかどうか、良い刺激を受ける相手かどうかは、他人には決められない。

 どんなに高尚な人でも、
好きな人の好きな人であっても、
私にとっては関係を深くする必要のない人である可能性もある。


 他人にとって不要だとか、
なんで付き合っているの?と言われたとしても必要な関係性もあるかもしれない。



 でも、それらも、お金の使い方と同じで、使っていくうちに学びとるものなのだと思う。また、お金を使って得たものと同じように、過去の私には必要だけど今の私にはもう不要なもの、得なくて良いものもあれば、今までは手に入れられなかったけれど経験と年齢を経たら見合う関係になるものもある。
そしてそれらを経験するなら若い方がいい。恋愛も人間関係も何もかも、経験しないとレベルアップできないから、若いうちからたくさん挑戦して経験してみた方がよかった。


 きっと、そういうものなんだと。



 わたしの今年の目標は、
英語学習で有名なATSU さんが
以前におっしゃった言葉からとった。


人生は時間配分。
最適な時間配分のための
合理的意思決定により幸福度を
最大化する。



 この話は以下のような内容だった。


人生は生まれたスタートから
死ぬまでのゴールで自分の幸福感や充実感をいかに最大化するかというゲームのようなもの。この幸福感や充実感を何によって得られるかは人によって異なる。そしてそれを得られるための最適化した時間配分が大事。

 自分の充足感を考えずに意思決定することも無駄ではないが、より良い選択肢があったのに別の選択肢を選ぶことになるかもしれない。だから、日頃から自分の充足感を得られる人生はどんなものか考えないと、ただただ社会の渦に流されてしまう。

 「今経験できる」ことと同じことを10年後に経験するのでは、幸福度が異なる。だから、今好きなことや興味あることがあるのは幸せなことだから自信を持って進めれば良いし、そういうものは行動しないと生まれないものだからわからない人は、とりあえず行動する中で見つけてみることだと思う。

 「頑張る、努力する」というのは、怠いこと。でも、一度行動すれば軽くなるし、どうせ行動するなら好きなものに向かって行動したほうが、その中に痛みがあったとしても人は耐えられる。
 それから努力とはいっても、いろんな性質の努力の仕方や行動の仕方、意思決定の仕方を持っているだけで、様々なやり方を比較できるから自分にとっての最適解を得やすい。そのためにはとにかく1ヶ月本気で行動してどうなったかといった経験をしなければならない。

 そうやって考えると、他人の声を気にしていられるほど人生は長くないし、嫌なことに時間を割いていられるほど猶予はない。他人のために自己犠牲はしないこと。それから自分でコントロールするものが増えると充足感がアップする。自分でコントロールできる要素を増やすだけで自分の人生を生きることができるし、自分に責任のあるものは自分でコントロールしやすい。人に期待し、依存するから後悔するのであって、自分で考えて行動したものは、失敗しても後悔の質が違う。

 そしてそうなれるためには、サラリーマンなら普通は、とか、そんな常識の奴隷にならないこと。
 比較対象があるから比べて落ち込んだり不満足になるのだ。
そうなれば、
他人にこんなことを言われていたとかいわれても、自分はその人たちとは違うから比べることがおかしいから、と思える。そうなると必然幸福度は上がる。


 まとめるとそんな話だった。これを聞いたのは昨年の自粛中だったと思う。


 聞いた時も、なるほどとおもったはずだが、それをやっと体感として少しだけ得られるようになったのは本当につい最近だ。


 2020年の自粛と26歳から27歳への移行を経て、
欲しいな、やってみたいなと思うことの単価が高くなった。私の今の収入に見合っているわけじゃない。だから、欲しいと思ってもなんでも手に入れられるわけじゃない。何かを手に入れるためには何かを諦めなければならない。それは、モノだけでない。何かモノを買う、そのために別の体験を削ったり、自由な時間を削って働く必要がある。 

 交際費が減ったことで、これまでアルバイトをはじめてからの7年ほど、どれだけのお金を交際費で使っていたのだろうと振り返ってぞっとしたし、それも会いたいと思ってあっているのではなく、なんとなくきれない縁とか、特に行きたいと思ってないのに断れなくて参加したとか。私は自分で稼いだお金を、自分の好まないものにも使っていたのだと感じるようになった。


 そしてやっとそれを脱して、好きなモノを買うようになり、やりたいことや欲しいモノに使ってみた結果に、満足度の違いがあるということに気づいた。


 その満足度や幸福感の差はモノや体験だけではなく人付き合いにもあるのだということ、会う人によって私にとって幸福度が異なるという、これまで「そんなことあるはずがない、そんなことを言って友達に優劣をつけてはいけない」なんて思っていたものが、はっきりと、いや、
Aさんと会うのは時間やお金をかけたとしても幸福度が高いし、頻繁に会いたいと思うけど、Bさんは会うのは嫌ではないけど2〜3ヶ月に1回で良いや、Cさんは会ってもそんなにお金もかからないし、しょっちゅう会うわけじゃないけど帰ってきた後スッキリした気持ちより、自分は嫌な人間だなと思ってしまうな、とか


人によって私があって感じる心地よさや関係性の違いは明らかにあって、
時間はお金と同じ、いやそれ以上に重要な、人生にとって高価なものだから、仮にDさんと会う予定をたて、また実際にあった場合わたしは、別のことやものを失った、その得たものと失ったものを比較した時どちらが自分にとって幸福度が高いのか、そういうことを考えて行動を選ぶのは、自立するためにとても重要なのだとわかった。


 モノも人間関係も、経験も、
私にとって必要なモノを他人は知らない。家族でも友人でも恋人でも知らない。それらは私しか決められないのだと。


 そして、仮に他人に
そんなことと言われたとしても、
今年立てた唯一の目標は、
「一文字でも一言でも、必ず
毎日noteを書き続けること」
なのだから、noteと向き合うための
時間を毎日確保せねばならないし、
そのために別のことを諦めなければならない。



 何が私にとって大事なのか、
何が優先なのか、ちゃんともっと考えないと、自立できないし、自立することを考えられない自堕落な人間なままだし、私は大人になれないし、このままでは永遠に仕事も見つからない。



 勉強も、noteを毎日書くのも、
毎日あらかじめ、時間を確保しないと、きちんと向き合わないと続かないし、結果は出ない。すべての物事はきっとこの経験と似ている。

 そして、すべてのことは結局のところ、何かしらで経験しないと体得できない。

 私の人生というカートに何を入れ、何を入れないのか、何を買い何を買わないのか、何は買い続け、何はやめるのか、考えられるのは私しかいない。

 人生は有限で、死は必ず来るし、
仮に健康でも、いつかは
身体は老いぼれて死へ向かうのだから。


 何歳で死ぬのかや、
何を幸せと思うかは人それぞれ異なるけど、有限の時間の中で自分が幸せに生きるゲームだとおもえば、生きたいだとか死にたいだとか生きているのが辛いとかそういう話だって、誰と付き合うことを選び何を買うのかという話で帰結する気がした。


 有限な時間の中で、苦しいのなら脱するしかない。もしくは苦しい中で、小さな幸福を見つけてその芽を育てるしかない。


そして、そのゲームの幸福度を高める方法も、何で幸福度が高まるかも私自身しか知らないし、私自身も、人生を生きて、経験を積まないとわからないから、
私の人生においては結局、私しか選択肢をえらぶことはできないのだと。


 27歳で知るには遅すぎる事実だが
私はやっとそれを体得している最中なのだと思うようになった。

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