2023夏:帰省


 3ヶ月前、GWの帰省後に、「帰省グルメ」と題して、いただいたご飯を連ねた。


 そして3ヶ月後、お盆で今年も帰省した。いつもなら友人たちに、「会おうよ」なんて言われるし、自身も一人になりたくてしかも車でいつも帰るから帰省は正直面倒だけれど、


 今年は、わりと気乗りしていたのは、もしかしたら腰も曲がらず記憶も鮮明に過去を覚えている祖母ももう90歳で、祖父もガンを摘出してから全然元気とはいえやはり85歳で、いつまでも、会えるわけじゃないってどこかにあったのかもしれない。


 元気すぎて、正直、その気力分けてほしいくらい元気だけれど。


 ただ、今回は自分の推し活予定はあったものの人と約束していなかったからまだ調整したけれど、両親共に(母は、いつでもどこでも何年経っても、父はプライベートになると)時間と予定にルーズで、こどもの予定(プライベート)なんて、笑わせるなみたいな感じの人で、
全然帰省の日程が決まらず、帰省する前日だか前々日だかに突然、帰る、と言い出した。


 毎年というか、年に3回帰っているので毎度のことながら、なぜ、毎度なのにもっと早くに決められないんだろうといつも思う。母は専業主婦なのだから、いつも父と家族の予定に合わせるといっているのだし、わたしは非正規雇用だからある程度は調整できるよと言ってあるのだし、そもそも母方の祖父母は11年前に亡くなっているので、父方の祖父母の元への帰省なのだから、息子が、帰るというのが主目的だと思うので仕事のお休みが確定した時点で、父がきちんと決めればいいのに、

父ときたら、
「あなた方に任せます」と毎度言うし、
帰省したらしたで、祖父母と話すことなく、
いつも一人でタブレット持って何かしている。


なんのために帰省してるんだよ、と思うし、毎度母とそのことについて突っ込むのだけれど、本人は祖父母宅へ行ったらそれだけが目的で終わったと本気で思っている。

もう少し親の気持ちに寄り添えないものなのか?孫のわたしですら、わかるのに。


 わたしは、この夏、別の仕事を単発で入れたいと思っていたけれど帰省予定が全然決まらないからなかなか入れられなくて、
いい仕事があったんだけれど、全部帰省している期間に被っていたから入れなくて、

 その上、ヲタ活で行きたいところや、発売日などがあってそこは楽しみにしていたのに全ての発売日(3つほど)が見事に帰省期間に被った(2つは食べ物なのでネット注文できるのは1つだけだった)


 おまけに、体力のないわたしからすると、帰省するのは結構きつい(くるまで片道6〜8時間とかそれ以上とかかけて帰るのも苦痛だし、移動が、我が家のベンツに大人、しかも1番低身長の母が運転者で158cm、父が助手席182cm、祖父がわたしの右隣背が縮んで多分今は170cm前後、祖母がわたしの隣、こちらも164cmから背が縮んで今は160cm弱くらい)で私163cmが、Aクラスのベンツに5人はきついのである。

 今回は移動の際、「ゆかまるちゃん背高いからこっち乗りや、おばあちゃんこっちで大丈夫やから」と祖母が真ん中席に座ってくれたのでなんとかそれでも、前の時よりは痛くなく移動できたのだけれど、それでもぎゅうぎゅう詰めだ。ベンツの前はHONDAのSTREAM(7人乗り)に乗っていたのもあって余計に狭く感じる。


 今回は、わたしが8/5〜8/17という長い夏休みで、父が8/10〜16と休みで、被るのは8/10〜8/16、だからその間で5日間くらい帰省するのだろうと思っていた。


 で結局8/10〜8/15帰省の予定になった。(台風の影響があって14日か、16日に変更すると言われていて、結局14日に東京に戻ったけれど)

 16日帰省だったら困るなあとわたしは思っていた。というのも、今回も結局11:30に祖父母宅を出て家に帰り着いたのは23:00前後だったのだけれど、天気の影響や運転者が母一人だから長めの休憩を取ったり夜ご飯を食べたなどがあったとはいえ11時間半もかかって帰ってきた。だから翌日から仕事なのにそれだと困るなと思っていたのである。


 これが、院生の時に帰省するのが辛いと言った理由だ。片道10時間ほどかけて5日間も帰省して、その5日間は何もできない。院生にとってそれがどれほど苦痛か。院生だった人にしかわからないと思う。それで2年間の院生生活で5〜6回帰省している。2年間のうち1ヶ月間分くらいは帰省に費やしたことになる。


 まあ、そんなこんなで院生の時は帰省が本当に嫌だった。
 これは結果論だけれど、祖父母がいつまで生きているかわからないんだから、というのを強制帰省の理由に、両親にあげられ、私一人東京に残るのは許さないという感じでこうなったのだけれど、結果的に言わせてもらえば、祖父母はわたしがM2だった2017年から6年経った今もピンピンに元気である。腰も曲がっていないし、今でも5日間の間に2回フルコースを食べられるくらい元気である。


私より元気なのである。


 ただ、祖母が90歳なのと、今年は天候が悪くなるのがいく前にわかっていたのもあって、元々の予定で、

5泊6日の帰省のうち、2日目と4日目のランチがフルコース、3日目と6日目のランチは近場で外食、あとはお買い物してきてお家で食べるというのが元々の予定だった。


5泊6日が、4泊5日になって、最後のランチが消えてしまったのは、毎度このレストランでのランチを楽しみにしているわたしとしては残念だったけれど、天候には抗えないし結果的に1日早く帰ってくることができて次の日、そしてその次の日のお昼までぐったりしていたのでやはり短くなってよかったと思っている。もし、予定通りのスケジュールだったら、わたしは金曜日出勤できていなかったかもしれない。


 5月の帰省の時に、祖母の90歳のお祝いをした。今回は祖父の85歳のお祝いが目的だった。


 改めて、数字を見て長生きだなあと思う。祖父母共に背も曲がっていないしボケてもいないし、月に数度フルコースを食べられるくらいの元気がある。


 持病もちで過労経験のある29歳のわたしよりずっとずっと元気で体力があって健康だ。


 両親もこれまた鬼のように体力のある人たちなので、正直なところ、この家族の予定に振り回されるのは、体力なしのわたしからするとかなりきつい。


 どのくらいのきつさかを考えようとしたけれどいい例えが思い浮かばないがいうなれば、

 普段から全く運動習慣がない人が、マラソン選手4人とゴールまで並走することを求められるくらいの疲れが出る。


 案の定、ほしいものを買いに行きたかったのに帰省で行けなくなったから、1週間遅れて、けれど帰省から帰ってきたら買いに行こうと決めていたのに、15日深夜くらいに東京に戻り、15日はそのまま起き上がれず、16日はなんとかお昼くらいに起き上がれたけれど、出かけられる力はなくて朝ごはんとご飯とお茶の後と3度にわたってベッドに横になって気付けば夕方。


 で、8/17しか空いてない!と思っていたけれど、その今日は、8/16に母に、アフタヌーンティーに行かないかと誘われて私も行きたいと思っていたものであったので突然いくことになって結局夏休み最終日までこの有様、欲しいものを買いにいけないままである、


 数量があるからなくなっているかもしれないというのに。GWの帰省グルメを書いたから今回もお盆帰省グルメを書こうと記事を開いたのに、


 お盆の帰省の大変さが溢れてきたらそれでいっぱいになってしまった。気が向いたら、

和食フルコースとフレンチフルコースを今回の帰省でいただいているので残しておきたい。


#帰省


 兄と弟は独り立ちしてから一緒に帰省はしていない。当然ではあるが。


 要は、わたしがこの家を出る以外に、ないわけで結局、疲労が溜まって働けない、働けないからお金が貯まらない、お金が貯まらないから家を出られない、家を出られないから両親のことでストレスが溜まる(主に両親間の言い争い)、母に振り回される、と悪循環なのだけれど、これを断ち切るにはどこかで無理してでも、働きまくってお金を貯めて出るしかないわけである。

 まあ、30歳の誕生日が来たら家を追い出されるかもしれないけれど。その場合私は残り半月を切って何ができるのか。


 この夏の台風や悪天候の影響で、単発で入れていた仕事がキャンセルになった。

 ただでさえ健康不良児で、普通に働けないのに、区や政府の援助も受けさせてもらえないという苦しい状況なのに、こうなるのか。

 岸田政権より前からだけれど岸田政権には言いたいことがたくさんある。


 子どもへの補助すら減らしているからなんだこいつという感があるのだけれど、その前に子どもを持つどころか結婚どころか独立したいのに、若いうちに過労になったわたしのような人間や、何かしらの病気や障害を持っていてどこでもいいから働く、ができないわたしのような人間や、その他そういう多くの人々が健康で文化的な自立的な生活を送れる手立てを立ててくれないだろうか。


 理由があって本当に働けなくて生活保護の方はまあいいんだけれど、生活保護の方がお金もらえるからとかって働かずに生活保護受給している人たちがいる(そういう人を知っていて)のに、わたしが本当に働けないのだと訴えても「ご両親東京住みなわけだし、あなたが働けないならご両親の扶養に入ればいいじゃない」と独り立ちしたいのにするようにできず、両親とは離れて暮らして自立したいのだという話をすると「じゃあ、頑張って死ぬ気で働いてください」と突き放されるのか。死ぬ気でやったから倒れて持病持ちになったというのに。


 とも思う。我が家は大変に恵まれているし、祖父母も両親も良い環境をわたしに与えてくれていたと思う。

 でも、祖父母や両親が働き者だったこととわたしが、同じように存分に働ける人かは別なんだよ。

 30になるのにいまだに働けていないなんて、恥ずかしいけれど、


 健康でもない、体力もない、能力もない、29歳女性を、雇ってくれるところはなかなかない。私が、馬車馬のように働くのでという内容ならそりゃ正規雇用の就労先は見つかるかもしれないけれど、今だって週3回1回3時間の勤務と自分の予定で2〜3日出かけるで、もうどちらも帰ってきたらぐったり、お休みの日はぐったりなのだから、これをどうにかするしかないわけで。

 おまけに、持病は、てんかんだけしか認めてもらえないけど、

 わたしはそもそも、
 てんかんのほかに、
 右脳梗塞左上下肢麻痺(軽度〜中程度)
 高次脳機能障害
 睡眠障害(昔は睡眠層後退症候群だって診断だったけれど、過眠症かと。改めてひどくなっているので診断し直ししたいけどね、お金かかるからね!)

それから、  
診断下してもらうまで通うのと診断下すために必要なお金を計算してもらったら最低でも7万くらい必要と言われたから診断まで至っていないので、それです!とは言わないけれど
 おそらくADHD(世の中で「わたし、ADHDだと思うんだよねー」とかいう人、正直わたしから見たら全く違うから安心しな。ADHDって、わたしみたいに、ご飯食べるのに昔2時間も3時間もかかっても食べられないとか食パン半枚30分とかの咀嚼とか、今のわたしみたいにものを毎日何十個も無くし、時間に間に合うように準備してもギリギリ走ったり、身なりに気をつけるという概念を獲得するのに20年くらいかかったり、新しいことを何か言われたら今考えていたこと忘れたり、3歩歩けば全て忘れる、学生時代は遅刻魔、体育祭行けば靴を忘れて母に届けてもらい、翌年は体操服を忘れて届けてもらい、水泳大会行けば水着を置いて帰り、電車に乗ればサブバッグを忘れ、書かないと何もかも覚えていられないからいつもメモ帳手帳は文字だらけでそれでも忘れ、何か言われると突然動き出してしまって走り出したりとか)その程度でも診断つかないから。


今年は夏季休暇が長かった、非正規のわたしとしてはむしろ長すぎて、もう少し働きたいのになという気持ちである。


長いから、本を読めると思って4冊も借りてきたし、この間に部屋を片付けられると思っていたし、写真も整理できると思っていたのに、予定詰めと思った以上の悪天候続きで、ずっと体に障っていてほとんど何もできていない。


 で結局、夏の予定詰めでインプットが多くなりすぎて頭の中情報過多で何が何だかわからないままここまで来てしまったし、カメラロールは3万3000枚をこえてしまったし、この夏に無くしものはするし、部屋はゴミ屋敷化してきているし、

 何にもできないまま時間だけすぎている。


 帰省が短くなったりもあり、フルコースは2回だったけれど、やっぱり帰省して体重はかなり増加した。


 結果論でも、やはり、院生のあの時、大学4年のあの時、あんなに忙しくて辛くてきついといったのに、なぜ帰らねばならなかったのかと思う。

 言い訳と言われればそうかもしれないけれど、少なくとも大学院生時代の帰省がなければもう少しまともな論文をかけていたのも間違いない。だってM2のGWも夏も、M2の年末年始も帰省したし。(GWのときなんて教育実習が後2〜3日で始まりますよという時に4日間くらい帰ったからね)


 M2で3回も、しかもGWに3日4日、夏に4〜5日、年末年始に5泊6日で帰省する人なんて誰もいないよ?


 1月8日頃まで一文字も修論書けていないのによくそこから1/31までに他にレポートや試験、教採合格者の提出資料とか抱えて英語で書いて書いて出したと思う。まあそんなだから「英語」とはいえない英語で書いてしまったんだけどね。

 あの時はわからなかったけれど、6年経って今になって、修論をまともに書けなかったということが、その後これからの人生において、もう2度と研究のはたけで生きることができないということなのだとわかってきたんだよ。


 わたしが倒れる原因になった彼らはそういうわたしのその後の人生を壊した認識ないんだろうけどね。身体も全然もう過労前のように動かないしね、働けないしね。時々死にたくなるよ。こんな体でこんな壊れた心で生きてるのは辛くてね。


まあ、今回は、何も友人との予定などもなく、自身も忙しくなく、ただ、ギリギリに予定を決められた結果推し活スケジュールと単発で入れたかった仕事が入れなかった問題があっただけだけで済んだけれど、


長生きなんて、やっぱり私はしたくないなと、90歳の祖母、85歳の祖父、そして60代前半の両親を見ていて思ったよ。みんな長生きしたがってる人たち。


なんで長生きしたいん?
それってさ、結局いい時代を生きてきたからなんじゃないかな。もちろん苦しい時はあったんだろうけれど結局結構いい人生歩んできたんだろうなって思う。特に若いうちに、いい人生歩んだんだろうね。


わたしは、小さい時から生きてるのが苦しいからね。早く死ねるなら死にたいよ、


言っちゃいけないことってわかってるけど、院生の時から、祖父母がいなければわざわざ関西まで往復11〜14時間とかかけて年に何度も帰らなくて済むのにって思ってる。(新幹線で帰ると一人毎回往復2万以上かかるので、よく、友人に新幹線で帰らんの?とか言われるけど、家族3人往復したら6万以上毎回かかって年に3回帰ったら帰省の移動だけで新幹線と在来線含めて年に20万かかるからダメなんだと思う。わたしが帰らないと言ってそれが許可された時は両親は新幹線で帰ってるけどわたしが入ったら、3人以上だと車みたい)

 祖父母には確かに生きたいだけ生きてほしいけれど、祖父母が存命の限り毎年何度も帰るとなるとその度にわたしの人生の時間も使うわけでね、

祖父母に会う時間自体はいいよまだ、でもそのための往復に毎回往復11〜14時間取られてるの冷静に考えて。年に生きている時間の30〜40時間はただ車で移動するためだけに使ってるんだから。運転者じゃないから文句言えないけどさ。60を超えた両親にとっての40時間と20代のわたしにとっての40時間は違うっていうのが両親と理解し合えないというのが最大の問題な気がします。



そこを理解してほしいだけなんだけどね。

#帰省

結局、働いて経済的自立をして家を出るしかないんだけれど、私の体は思うように動かない。働きたいのに全然働けないし雇ってもらえない。どうすればいいのかわからなくなって袋小路。

ねえ、岸田さん、わたしみたいに若いうちに学生時代に、無理をしすぎてだめになった、それ以前に、もしくはわたしのように生まれた時から障害や病気があって、とかいう人は、人権がないんですかね、そういうことですか?


子どもへの支援はいいよ、やっていいと思う。むしろ他国比で見ても足りないよ。
でもさ、その前に親側の年齢の人たちの支援、親になれる層の支援、結婚する前の人たちの支援、若者が生きていたいと思える、生きていけると展望をもてる世の中への支援はしないんですかね、

政治的なことは書きたくないけどさ。

今、生きてるの苦しいよ。


親や祖父母が日本はいい国だを連呼すると、
それはもちろん良い国だと思うし、ね!こんなに医療が整っていたり、保険のシステムもあるし、助かってるんだけどね。でも、少子化とか時代で変わってきた分、本当はもっと前から、仕組みを変えていく必要があったことってたくさんあるんじゃないの?女性参画だって今言い出したことじゃないのに何年経っても変わらないし。


それって結局、政治や経営者のマス層がマスキュリニズムにおかされてるのはあると思うんだ。

まあ、ね、あんなフランス視察と言いながら観光してるような女性たちが政治家じゃ、何やったんだと思うけどね。

真面目に働いてるの馬鹿らしくなるのよ、国会で寝ちゃってるおじいちゃんとか見ると。


働いて働いて身体も壊して働けなくなって、なのに親御さん東京なんだからとかいう理由で国から支援を受けられなくて、苦しいのに


寝てて高い給与もらえるんですか?
いいご身分ですね、
ってなるわよそりゃね、、


まあ、何かって長くなっちゃったけれど



親や祖父母の世代、今の政治家のおじいちゃんたちが思っているほど、

正直生きていたいとか
いい時代とか
(何でもかんでもが)日本はすごいとか
日本は絆があるとか
思えないのよ。


まあ、何言ってもとりあえず、今のわたしがどう頑張るかしかないんでしょう?

頑張って頑張りすぎて倒れて身体ダメになったのに結果、頑張ってないって支援も何も受けられなくて頑張ってないってこれからも生きられない。

結婚もしたいし子供も欲しかったけれど、
働けなくて自立もできないし、起き上がることすら難しい時もあるのに、誰かと支え合って生きていくなんて展望持てないのよ。苦しくてそれに時々、頻繁に涙する。

なんで生きてなきゃいけないんだろうって。


わからないんだろうね、祖父母にも父母にも
政治家さんたちにも。こんなに追い詰められる気持ちは。


って夜中に思っちゃった。

#20代

#今の日本

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