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またいつか、話したいあんぬへ。

 最近全然何も考えられていない。


 頭の容量が溢れていて、考えるスペースがない。


 どうでもいいことすら考えられない。


 結果、noteを書くことを後回しにしていたら


 自分で決めた投稿の日が翌日に控えていた。



 部屋もあっという間に化粧品とノートと片付かない本で埋もれた。


 部屋の3割は本を置いてるスペース、

 別の3割が化粧品スペース


 机と母の桐箪笥とクローゼットとベッドで部屋の3.8割。


 残りの0.2割だけ(入口だけ)床が見えている。


 そんな程度にものが溢れている。


 本はなかなか捨てられないから、数ヶ月前から
今までもらってきた化粧品サンプルをひたすら使っている。化粧品は頂いているもの以外に、
自分で買ったYSL、ETVOS、VT(CICAシリーズ)、コスメデコルテ、DIORがある。


 断捨離したいなと思うけれど、こういうのは使うから捨てられない。本はもう3年くらい読めていない。けど読みたいものや研究のものだからこれまた処分できない。


 部屋から減らせるものは、頂いたサンプルをひたすら消費することだけ。だから数ヶ月前からどんどん使うようにしている。毎日、デパコスと専門店のコスメを使っている。


 だから、肌荒れがきれいに治ることはないけれど(治すためには化粧品ではなくて医薬部外品が大事)、肌の調子は少しずつ良くなってきているし、悪化しなくなってきた。


 今まではお風呂に入るタイミングで化粧を落とすことが多かったけれど、この間マスクをしてたのに目と鼻と喉の奥が痒すぎた時に帰ってきて化粧を全部落として洗顔して(もちろんそれらの前に今まで通り帰宅一番は手洗いうがい)してから、家に帰ってきて真っ先に化粧を落としてケア(化粧水からクリームまで)すると肌負担もなく、お風呂時間や寝る前の面倒臭さもないということに気づいた。

 お風呂を早い時間に入ってしまうことと同じくらいいい気づき。


 最近何も考えられない原因は色々。


 とにかく疲れている。


 マスク生活以降ずっとだけれど最近は、
花粉なのか自律神経失調症なのか気圧と気候のせいなのか、(花粉症といえる症状はないけれど)そのすべてだろうけど、


 とにかく調子が悪い。


 ただでさえ過労以降疲れやすいのに、
とてつもなく疲れる、気絶する、
起き上がれない、メグリズムのホットアイマスク1日に2回する時もあるくらい目も疲れている。


 眼球を取り出してゆるませたい。


 肩にはいつも何かが乗っているような重さを感じるし、せっかく荒れなくなってきて、マイナスから少しずつ0値に近づいてきたと思っていた肌荒れがまた不安定になり始めたりする。

 身体の節々が痛い。


 そんな中でとにかく週に3回午前中の3時間だけという仕事をして帰ってくるだけなのにぐったり。


 通勤の歩くので疲れるんだもの。家から駅まで歩いて22分。駅から勤務先まで歩いて15分。


 往復したら74分くらい歩いてることになる。


 気圧もおかしいのに4月からずっと雨ばっかり。4月も5月も、雨多いよ。梅雨にもなってなかったのに。


 靴は濡れるし靴からしみた雨水とか道路から跳ね返った雨水が靴の中をびたびたにして、傘を差しているのにリュックも濡れるし。スーツも濡れるし。たまったもんじゃない。


 そういえば傘ってなんであの形なんだろうね。いつも思う。柄がもっと右か左にあれば荷物とか濡れないのにって。


 このコロナ禍のマスク生活の
雨の日の勤務なんて最悪よ。
 雨の中、湿気と寒暖とマスクのせいで数歩歩くごとに眼鏡は曇ってしまって全く見えなくて、雨の中何度も眼鏡をふいて出勤して、ついたころには疲れていて、靴はびしょ濡れ、靴下にも水、スーツも濡れている。
それでもやっと仕事をして、終わったら、まだびしょ濡れのままの靴をまた履いて、雨がまだ降っていたら雨の中、荷物を背負って傘をさして、
また曇っていく眼鏡を時々拭きながらまた電車10分と徒歩37分。



 やっとの思いで帰ってきて、手洗いうがいして、郵便受けから取ってきた新聞とか郵便物とかおいて、濡れたコートとスーツをかけて、靴下も脱いで足洗って、
部屋着に着替えて顔を洗って。

 靴に新聞紙入れて。


 でも今日はスーツから部屋着に着替えて顔を洗ったところで疲れ果ててどーんってベッドに横になって20分くらい、帰宅から1時間くらい経って、靴に新聞紙入れ忘れたことに気づいた。


 最近は外に出ると、仕事でもお出かけでも
家に帰ってきたらぐったりで部屋に入った瞬間気を失うくらいだし、

 家にいる日は、母が延々喋ってるのと観られていない録画を観ているだけで終わってしまう。


 15時間起きて過ごすために、6時間の睡眠と家に帰ってきてからの3時間の睡眠でだいたい9時間は必要。

 ああ、明日土曜日は、英語でのグループワークセッションだ。あんまりにも英語を使わないから、喋る機会をちゃんとつくろうとお金を払ってチケットを買って予約したんだよ。


 そのためにこの1週間弱英語をアウトプットする練習をしておこうと思ったのに。



 結局何も準備していなかった。


 きっと英語出てこないだろうな。

 一緒にグループセッション受ける人たちに
迷惑かけてしまいそうだ。


 大学院修了後からの私はずっとこうだ。


 この間はかねちのサイン会、FC会員なら応募すれば誰でも参加できたのに、その情報に気づいた時には、終わっていて、それも3時間前に締め切ったばかりだった。


 気になっていた仕事の採用はちょこちょこ募集を見ていたはずなのに、5月に入る頃から身体が疲れていてしばらく見ておらず、今日久しぶりに開いたら、まさに今日、書類締切だった。



 私はこうしてチャンスを逃しているんだと思う。


 後回しにしたり、考えられる余裕をなくしてやっと思い出した頃には終わっている。


 そうならないように英語のグループセッションは思い切ってまずチケットも買ってしまって、お金を払ったんだから、ってなるように準備するはずだったのに。


結局、英語のえの字も

ABCの単語すら見ないままその日を迎えてしまった。


もちろん英語を発するなどもなく。


英語の頭になってないどころじゃないね。


 チャンスはいつ降ってくるかわからないから、
いつかのチャンスのために日々準備しておけ、


 ってよく言うじゃない?


 いつも準備して、努力していたら、
チャンスがくることを見極められて、
チャンスが来た時に手を挙げられて、
チャンスをちゃんと掴めるんだって。


 ちゃんと準備をするためには準備をするそのことを毎日予定として組まなければならない。


 それに周りの人にやりたいことやこういうことをしたいとかいうのもきっと大切。


 わかっている。でも今はもう、


 起き上がってちょっと頑張るのが精一杯。

ちょっとだけ働くのはもう絶望的に辛くて。 

 これでも2018年とかは起き上がることすら辛かったんだからずいぶん良くなったし、2019年の時みたいに年中ハイ状態で頑張りすぎちゃうことも無理だし、2020年みたいにぽんと社会的に許された休みを与えられるわけじゃない。


 年齢も24歳だったのに、あっという間にもうすぐ29歳。


 周りの友人たちが、さまざまなことにチャレンジしたり、新しい道を見つけたり、どんどん上の立場になったり、結婚したり子どもを育てたり、


 新しい出会い、新しい挑戦、新しい人生に進んでいっているなかで、


 もちろん、人生なんて人それぞれとは思っても


 なんら変わらないまま既卒5年目を生きていると


 どうして生きているのだろうと思うほどに
自分が情けなくなる。


 唯一、心の拠り所だったnote執筆すら


 全然頭が整理されなくて文字も出てこない。


 言葉が出てこない。



 ああ、今は、頭の容量がいっぱいなんだ、って。


 少し前に携帯の容量が63.8GBとかいっちゃって、私64GBのiPhoneだから、


 携帯がかたまって動かなくなって、写真とかも読み込めなくて整理したいのにできないみたいになったんだよね。


 なぜか今は動いてくれて少し整理したら62.7GBまで減らせたけれど。


 携帯の容量って当たり前だけれど、いっぱいになってきたら動きは遅くなるし、動かなくなるし、読み込まなくなるし、新しいものは入らないし、古いものも捨てられなくなる。


 ひとの身体も少し似ていてさ、

 容量いっぱいになるまで動かしちゃいけないんだよ。もちろん容量を超えて働かせてはいけない。


 知ってる?人はただ生活するだけで1日に2000kcalほど消費するんだけれど、このうち脳はその2割くらいの400kcalをつかう。勉強している人や頭を特に使う仕事をしている人なんかは、当然もっともっと。


 カロリー制限とかよく若い女の子たちはするけど、こういうところは考えていかないといけない。ちなみに、脳の栄養源はブドウ糖のみ。ブドウ糖のみが脳にとっての食事といってもいい。だから極端にブドウ糖を減らしてはいけない。脳だけで身体全体の18%を消費してるんだって。


 酸素を吸収する量も1番多いのは脳。呼吸しているのは肺だけど、最も酸素を必要としているのは心臓と脳。約145億個ほどの脳細胞を正常に動かすために酸素が大事で、酸素を循環させるためには血液を循環させなくてはならなくて、脳を循環させる血液量は1日およそ2000L。


 これは、小学生の時に脳外科医の伯父さんに聞いた話と、私が院生の時調べて知ったこと。



 そして、脳を正常に動かすためにはさ、
脳を疲労させないことが大切なの。


 脳が疲れたら動かなくなっちゃう。

 脳は身体の司令塔だから、脳が動かなくなったら当然身体も最後は命も危ない。


 理性を司る大脳新皮質、


 本能を司る大脳辺縁系

 その2つを結び自律神経系を担う間脳。


 この3つの機能がお互いに関係して、外部情報を処理しているんだって。


 寝なかったり、十分に休むことができなくなって、脳に栄養が回らなくなり、休むこともできなくなると、本能を司る大脳辺縁系が機能不全になる。すると、当然大脳新皮質にも影響し、その影響は間脳にも達する。


 そして、脳全体の動きは鈍くなる。
最終的に動かなくなる。


 これが脳疲労、脳過労。


 私はこうして倒れた。


 しかも、脳疲労に気づいていたのに、
身体を動かさざるを得なかった状況で
寝ることもできない状況で
おまけに課題、研究だけでも十二分に頭も身体も使っていたのに人間関係の相談で睡眠を削りながら気もつかって疲れるなんてね、馬鹿みたいね。


 あの当時の彼や彼女らにとっては、

「一時期、ちょっと相談乗ってもらおうとしてすごく追い込んでしまっただけ」


「まさか倒れるとは思わなかったけど、
倒れて迷惑かけちゃったな」


程度で過去のことになってるんだろうけれど、


 私は5年経っても未だに頭も身体も元に戻らない。(心は親愛なる友人のおかげで少し回復した)


 一生こういう身体で生きていくんだってことも、やっと最近、受け入れないといけないんだとわかってきたくらい。


 気力で教育実習も課題も修論も就活もやり切ってしまって、大学院を2年で修了して、クソな論文提出して(あらやだ、お口が悪くなってしまった)、ラッキーにも既卒になる前に内定が出て働き始めると決めてしまって、でもすぐ心がもたなくなって辞めてしまって


 既卒で新卒ですぐやめて、職歴もなく、
無理ももうしたくなくなって、体力もなくなって病気がちになって、不利な状況になってしまった。


 どんなに大学院のゼミの評価がS(1番上)でも
2週間程度で書き切った英語の修論がなぜか先生方の優しさでB(S・A・B・Cと不合格がF)で通ってしまっても、公立中高教員の採用試験に通っても、英語科教諭専修免許もってようと、修士卒だろうと、


 今、(1日に連続で10h起きていられるほどの)体力もない、英語もない、頑張ろうと言える気力もない


 そんな状態のまま、仕事に就けないから自立もできないまま、持病のてんかんの薬代さえ払えぬまま、


 29歳が近づいている女には、何もない。


 メロくんとは持病の話や過去の話もしないまま終わった。


 夜神くんには持病があることはほんの少し話したけれど、どう辛いとか何がきついとかは全然理解してもらえるように伝えられなかったし夜神くんも理解しようとしなかった。


 だから私に残ったのは、家に置いてくれる両親で、しかし、院生時代(過労前から、人間関係で悩み疲れきる過程、そして過労で二度倒れる前後、修論で苦しむ姿、そしてその修論を一緒にやってくれ、修了にもってきてくれ、新卒を辞めた後からもずっと面倒をみてくれる)親愛なる友人だけを心の底から信頼している。


 でも、もう既卒5年目だから、未だに身体は辛いし心も壊れたままのところはあるけれど、他人には、働きたい会社には理解し得ぬことだし、持病自体が原因なんじゃなくて持病に至るまでのあの苦痛しかなかった日々と人間関係が原因だから、お医者さんからしても、「それは持病が原因ってわけでもないとは…思うんだけど、」となってしまうから、「医者の診断書」みたいのも出ない。


 精神科に助けを求めた時も
「そこまで頑張れたなら、あなたは他の人とは違って頑張れる人だから」
「普通はそこまで死にそうになってでも頑張る人はなかなかいないけど、それができるんだから、まあこれからも頑張ればいい」

って、言われるんだろうね。



 私は頑張りたい時ももちろんあるけれど、

 頑張るのはもうできなくて辛いし


 院生までに得た知識やスキルは全部消えてしまった。


 もう何もない。


 それでも「やらないとどんどんできなくなるから」、「いいわけにしてはいけない」って、明日は、英語で話す時間を設けたけど、


お金を払ったら頑張るしかなくなるからって、
申し込んだけど、辛いね。



 結局、何も考えられないままに、

疲れた身体でぐったりしながら
こんなことを書いていたら1時間経っていた。


 部屋の片付けや写真の整理だけをしていたらあっという間に30歳になっちゃうなんてわかっているけれど、結局、そんなことを思っていろんなことをやろうとして何もうまくいってない。部屋も写真もいっぱいのまま。



 さっき、やっと、8ヶ月半前の誕生日の写真整理したんだ。


 8ヶ月半前なんて、遠い昔だよ。



 写真フォルダは、まだまだ容量がいっぱいすぎて読み込まなくなったまま。


 少しずつ整理しているけれど、まだまだ整理つかない。


 身体だって、新卒で仕事辞めてきてから数日は休んだし、新卒までの有り得ないスケジュール感や院生時代のキツさにくらべたら、今は何にもしてないくらい本当に何もしていないけれど、今の生活だけでも本当は結構キツキツでこれじゃまだだめなんだなって。


 余白ってやっぱり必要だよ。


 むしろ、余白こそが大切だよ。


 ライフワークバランスとか


 ワークアズライフとか


 色々いうけどさ、


 最近、私は


 ワーク based on ライフだし


 遊び based onライフだし、


 バランスでも、asでもなくて、


 全部、○○ based on life(≠生活、 =命)


だなって思う。



 noteを定期的に投稿すると決めて、


 毎回何かしら書いていたのに、


 今週は、全く言葉が出てこなくて、


 本当に、文字一つさえ出てこなくて、


 考えることも疲れ切っていてできなくて


 でも、投稿日の土曜日は、


 英語のセッション入れたしどうしよう、


 って焦ってたの。


 5/14 土曜日 深夜1:25


ああ、疲れ切ったなってことを、
そのまま書いていたら、やっと
少しだけ、本当に指の先くらいに
疲れがとれて言葉が出てきたよ。



 そういえばこの間、喉がなんかつっかえる感じがあって4月頭から1ヶ月ほど続いていたんだけれど、どうもストレスや疲れからくる気の滞り、のような感じだったみたい。


 それから、私は疲れてくると背中に、そしてその疲れがかなり溜まると全身に


 身体の中でなんか、シュワシュワする感じ、
なんだろうなイメージは水分とか血が身体の中で炭酸のようになってる感じ?


 を強く感じるんだけれど、そして、20代後半からこれが日常なんだけど、


 これは何ですか?詳しい人教えてください。


 めまいの時に、耳鳴りと揺れを強く感じたのはてんかん発作が少し出てるだけだと思うんだけどね。


 気候気圧の変化で頭痛くなる人って結構いると思うんだけれど、


 私の場合、頭痛はそこまでないけど、


 とにかく身体が重くて起き上がることができない(物理的に重すぎて起こせない感じ)

 とにかく眠い、仕事中とかは何とか動いて気を紛らわすけど、頭働かないし、仕事終わったら、もう、電車とかバス乗った瞬間気失って眠るくらい眠い。


 疲れがとれない


 目が疲れる、目ん玉がずっと見開いて緊張して力入ってる感じ?


 低気圧や雨や気温が低いとそれだけで気絶するように寝る。過眠症のような状態にもなる。


 たまに起こる偏頭痛


 虚血


 身体全体にしびれ


 頭が動かない、思考ができない


とか出るんだけれど、これも自律神経失調症的な感じだね、で済まされて、自律神経を整えることが大切だよと言われて、


もちろん努力で改善したり未然に防ぐ部分はあってもさ、気温気圧や仕事上目の疲れも、


難しいよ、


 過労は、あの時過去の一時点の、脳卒中で終わったんじゃなくて、


 私はあれからずっと、


 2017年以前に持っていた頭の容量も、体力も、精神的な何かも、心の体力も、


 何もかも消えてしまって、それでも生きていかなければいけないから必死に生きてきたし、何とか強くなってきたけれど、


 これからもずっと、この持病と生きながら、


 あの時失ったものはもう戻らないと受け入れて


 この身体で、この体力で、生きていかなきゃいけないんだとわかるよ。




 1日に15時間をただ目をあけて活動するだけのために、9時間近くの完全な睡眠を必要とする私は、"みんな頑張っている"、"普通そう"、といわれるその"常識的"な働き方が未だに結局のところ、この、経済不安定国、低所得国日本で、生きていくためにどうやって働いていけるんだろうか。


 非正規雇用が増えているのも、
定年年齢を遅らせようという動きも。


 見え見えじゃない。



日本が先進国だと思っているのなんて、
古い人間だけではない??


日本はとっくにAI後進国に足を踏み入れはじめているし、世界銀行が発表した男女格差(ジェンダーギャップ指数)は103位まで低下した。


 ワークライフバランスとか、


 ワークアズライフとかいうけどさ、


 そもそもやっぱりワーク(仕事)は
確かに収入を得る、生きる価値とかそういう意味で必要な部分はあってもさ、


 ワーク(仕事)ごときを、ライフ(人生)と
並列させようなんて、ね。


 ライフ(人生、生きること)あっての


 仕事

 趣味

 勉強

 挑戦

 でしょ?


 asでもバランスでもなくて、


 すべてのことは、based on ライフで


考えないとさ、生きるの辛くなって、


シーソーに何かとライフを乗っけて生きていたら


ライフをいつか飛ばしてしまって、絶ってしまうんだよ、



 ライフをシーソーの片側に乗っけない。


 based onとするならば軸にする、


 そうしないとさ、すべてのことは
命ベースだからさ。


 過労になるというのも、命をベースにできていないってことだって、やっと思えるように、そう思える程度の余裕が出てきたんだよね。


 既卒5年目で、やっと、疲れながらもそう考えられるくらいの余裕が出てきたところなの。


 私は、今のところ生きたい時や死にたくない時に助けられて命を繋いでいるけどさ、


 わかる?


 私を過労に貶めた彼らが私から奪ったのは


 目の前の健康だけじゃないの。


 23歳以降死ぬまでの健康


 健康により進路を諦めざるを得なくなったこと
(将来)


 仕事を辞めざるを得なかったこと
 (経済的自立)


 そして体力(日々の楽しみも、働くことも、何もかも)


 それから莫大にかかっている医療費も。



 私は、それでも必死に生きてきたしこれからも生きる。それを言い訳にしないために頑張ろうとしている。


 でもそれは、私の決意だけであって


 私からそういうものを奪った彼ら3人とは


縁を切ることでしかもう何もできないと


わかったから時間かけて縁切ったけれどね、


人を恨んだって、何も変わらないって、

わかっているから前に進めるようにするよ。


けれど、やっぱり時々、


こうして起き上がれない苦しさや

全く持たない体力や


発作が出そうな気候が続いたり


発作は出ないまでも体調がおかしくなるとね


どうしてこんなに苦しい思いを、

苦しい日々を


苦しい未来を、


生きなきゃいけないんだろうって。


過去の自分の選択を恨むよ。


あなたが自分の修論や目の前の大学院生活や
進みたかった進路や、内定していたわけだから得られたはずの給与や地位、そしてもっといろんなことを楽しめるだけの健康や体力、かからなかったはずの医療費、


それらを失ってでも、助けたい人なんですかって、それが今のあなたがやるべきことなんですか?って。


私は今でもこの選択だけは、
本当に後悔しているし、
今となってはみんな縁切ったけど


どうしてもっとあんぬの言うことを聞かなかったのだろうって、後悔しているの。


大学1年から、彼女たちと仲良くなってあんぬに縁を切られるまで一番仲の良かった友人。


彼女が、大学2年の時私にいった
「彼らとは仲良くなるべきではない。
あなたは彼等と仲良くなってからすごく嫌な人になった」


という言葉、本当だったよね。


あんぬを友人から失ってから、私気づいたんだよ。


あんぬとはもう疎遠だけど、
全く連絡できないほどというほどではない。
(とはいえもう9年くらい話していない)


いつか、あんぬとまた、話せる日、

くるのかな。


あんぬはちゃんと、based onライフで
物事を考えていたね。


ちゃんと、自分の人生を、責任もって生きていたね。私は、あんぬが19〜20歳の時できていたそれを、やっと28歳になって少しだけ分かり始めたところなの。



親愛なる友人も、あんぬも、Lくんも


私の尊敬する人たちはみんな


based on lifeで毎日を生きているんだなって


やっとわかったきたんだよ。


遅いかな。


これからでも、ちゃんと習慣化できるかな。




 ただでさえ体力の満タン値が、人より少ないのに気候と気圧の変化で体調崩すし体力削られる私には、梅雨は辛いけど、大雨が降り続いた1日を終えて、夜中の2時を過ぎても外は大雨の音で荒れているなかで、やっと起き上がって書いたんだ。



 とりあえずやっぱり、身体と心と頭に
空き容量つくらないとね。


 結局、ABC一文字すら出てこないまま英語のセッションの時間になりそう…

#過労


#疲労


  #ストレス

#ワークライフ


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