この生きづらい世界で。

3月末。

20代前半くらいからあって、

数年前から大きくなっていた
乳首のイボみたいなのが年末にすれて出血したんだけれど、それを放置していたらまた出血したので乳腺科に行った。


それで、両胸に乳腺嚢胞と良性石灰化があり、左胸には加えて軟繊維腫があると知らされた。



嚢胞は実は20代の時からちょっと思っていたし第二次性徴がまともにきていなかったわたしには


だから、どこぞの高校生の話聞いてた時

余計に苦しかったんだ。

今のところ、胸の嚢胞は悪さはしないおそらくみんなにある良性なものだと思うから大丈夫とのこと。もし大きくなってきたりして所見が変わったら注意してと言われた。



ちなみにわたしは成長が遅い方で

中1入学時148cmだった。


中高時代に12cm伸びて大学入学時160cm、

その後25歳までにさらに2〜3cm伸びて今は161〜163cmを日により往復するので、だいたい162cmまで伸びた。女の子にしてはかなり成長期が来るのが遅かったのだと思う。


初潮が来たのは高校生頃だったけれど、初潮→2回目の生理が1年くらい空いてて、3回目の生理は2回目の生理のさらに1年後、とかに来て大学生になっても生理は、毎月ちゃんと決まった周期でこなくて、来ない月もあって、

ちゃんと毎月1回必ず生理が来るようになったのが24〜25歳くらい。


で、毎月来るようになったことで、2ヶ月に一回右側がすごく重い人間なんだと気づけた。


ただ、30歳までの婦人科検診では、生理周期不順以外異常なしと言われていた。


それから第二次性徴の二つ目、乳房の発達に関して。わたしは生理不順のせいなのかなんなのか知らないけれど、25歳までほとんど胸が成長しなかった。

 で、25〜26歳くらいから少し膨らんで一時は太ってたこともあってCカップ程度ブラジャーでは入らないくらいの大きさにはなったけれど、それからまた痩せていくのにつれ、胸だけがどんどん痩せて今はすごく小さい。


 先日、乳首のイボの出血で乳腺科に受診した時に、生理不順などに関しても伝えて、先生に「第二次性徴がちゃんとこなくて乳房の発達がほとんど来ないまま今の歳になったんですけれど、」と言ったら、

 サバサバした先生が「日本人女性で、体型としても細身だし、あなた別に全然小さいとかじゃないですよ、日本人の細身の女性だいたいB〜Cくらいだし、平均の大きさよ、」と言われて「まあさすがに30歳だからもう発達しないわよ笑」と言われた。


 その日、両胸にこの良性だろうと言われたけれど嚢胞と良性石灰化があり、左胸には加えて軟繊維腫を告げられた。


 診察終わりまでは気丈に振る舞っていたけれど、家に帰ってからベッドの中にこもって何時間も泣いた。もう、この、膨らまなかった胸が大きくならないことに。いつかは少しはまだ大きくなるかもしれないってこれまで、

 ナイトブラもしっかりつけて、お金に余裕のある限り下着もきちんとしたものをつけて定期的に測りにいって、おっぱいマッサージとかバストクリームとか散々必死にやってきたけど、もう大きくならないよ、と言われた言葉が頭にぐるぐるまわって涙が止まらなかった。


 そんなことで、とかいう人がいるかもしれないし、え、そんな事言う人おる?ってびっくりする人もいるかもしれないけど、元カレとか、男友達とか、街ゆく人に
「胸ない」とか「胸ちっさ」といったことをこれまで散々言われて、

 成長期のはずの中高時代から、成長しなかった胸、まともに来なかった生理をずっと不安ながら、子ども産めないのかもしれない、胸大きくならないのかな、と悩んで悩んで毎日悩んで、悩んでいるのに、そうして他人に言われて傷ついてきたわたしに、突きつけられた「もう大きくならない」を、

 どうやって受け止めていくのか、

 想像してみてほしい。


 嚢胞については、20代中盤の時に、これそれかもしれないくらいに思ったことはあってでも、忙しくて病院に行かなかった。今のところは良性だろう所見で安心したけれど、今回まで診断が出るものとして診てもらっていなくて


 22〜24歳までの間、相談に乗ってわたしが過労になった原因の、その高校生の子の相談の時、彼女の相談内容にも似たようなものがあって


 確定診断を出していなかったこともあり、誰にも言えなかった。相談されるたびに胸が小さいことに長年悩んでいたことも、生理がちゃんときていなくて子どもを産めないかもしれないことに悩んでいることも、結局一番当時、話をしていた友人にもそこまで深く話せなかった。


 そのくらい悩んできた。26歳の時、夜神くんと付き合っている時、もしこのまま付き合って結婚することになったら、その時は、子どもが産めるか、からだよなあと考えていて、やはり生理不順で婦人科にいったけど、その時医師には、まあまだ子ども産む予定がないなら大丈夫よと言われた。


 そのときは婦人科に行ったけれど、この嚢胞や繊維種に関しては何も指摘されなかった。

やがて月1で生理が来るように落ち着いてきて、27〜28歳の頃、次に生理が遅れたら受診してと言われた。

 毎月のように生理が来るようになって、ああ10年経ってやっと安定してきたんだと安心していたが、毎月来るようになって、隔月で生理が重くて起き上がれないことが判明した。ものすごく重いのだが、1〜2日を我慢すればなんとかなるから、耐えてきた。それから量がすごく多いことも不安ではあったが、多少生理周期がずれていてもまあ3〜5日ほどずれても毎月とりあえずきてるし、とも思っていて、また少し経済的に、心の余裕も、できたら、受診するか、くらいに思っていた。そうして3年経ったつい先月、数年ぶりに生理が来ないまま生理予定日から12日経って、さすがに心配で婦人科を予約した。予約をしたけれど予約がいっぱいとのことで、電話をした日から二週間経った。


 それが、今日の受診であった。


 この間に無事に生理は来たのだけれど、やはり期間は短すぎた。


 それも含めて先生にお伝えした。


 初めて訪れた婦人科で、診てもらったところ


 ガンはなし、

 子宮などには嚢胞も筋腫もなし。
(つまり、胸の良性だろうと思われる嚢胞と繊維種だけ)


 ただ、月経が来たとわたしが思っていたものはもしかしたら無排卵月経かもしれないからとりあえずまず血液検査をしてそれから詳しく検査していく、と今日伝えられた。(追記:検査の結果後日、多嚢胞性卵巣症候群だとわかりました。 これからまたてんかんとは別の薬を飲むことになりました。)


 生理不順だし、胸の成長がこなかったこともあって、第二次性徴異常なんだなとはわかっていたし、ちょっと妊娠しづらい身体なのかもしれないなと微かに思っていたけれど、

 ついこの間、胸について軟繊維種と良性だろうと思われる嚢胞といわれたばかりで、もしかしたら無排卵月経かも、と言われて、


 あまりにもショックが大きくて、帰りのバスの中で涙が溢れ出てきた。


 家に帰ってからも部屋に入ってひとり泣いた。

 母に、ご飯に呼ばれて涙を拭ってリビングまで来て、笑って会話をしたけれど、


 しばらくして部屋に戻ったらやっぱり苦しかった。


 胸は成長しなかった、このままだろう。

 生理もまともにこない、お子が産みにくいかもしれない。


 今のところ良性だと思うけれどまず軟繊維種が胸にある。


 打ちひしがれるのには十分だった。


わたしは、そもそも生まれつきの麻痺など障害に該当するものが、軽度だけれど複数あって持病もあって


そのうえ成長異常もあって、子どもも授かりにくい身体なのか。


おまけに過労以降、23歳以降動けなくなって、働けてなくてそれでも26歳頃まではそれでも若かったからいつか治る、いつか良くなるって思いもあった。


その頃はまだ子ども授かりにくいのも確定したとかじゃなかったしまだそこまで考えられてたわけじゃなかった。


けれど、20代後半あたりから
パートナーになる人の人生を狂わすから
誰かと生きていくのは諦めなければならないんだろうなと思うようになって、

でもそれを受け入れるのも難しくて
おまけに体力も全然戻らず働けないままだったから
これらすべてを受け入れた上で一人で生きていく術を確立させられてなくて進めていなかったけど、30歳になって

今までは、"かもしれない"だった病気や
成長異常が"確定"してきて障害も増えて
ひとりで生きていかなければならないし
子どもも本当に授かれない身体かもしれないから
もう誰かと生きていくことも諦めをつけて強くならねばならないのだと突きつけられて
でも、妊娠したり出産したりする友人たちとか何人もお子がいる人とか、第二次性徴異常がない人たちとか疾患を持ってない健康な人とかをみると、

もちろんわたしが絶対にそうならないとは思っていないけど、それでも可愛いはずなのにとかじゃなくてお子に暴力ふるう人が殺す人が世の中にいるのに、どうしてそういう人のところにはお子ができて、自分にはそういう人生がないの、、と思うし、だんだん、"かもしれない"が、そうだ、と確定されていくのが、時々耐えられなくなる。



 いったいわたしが何をしたというのか。


 身体麻痺

 発作を起こすかもしれない持病(幸い今はずっと安定している)

 おそらくADHD(診断つけていないからおそらくにしておきます)


 過労以降何もできない体力と、頻繁に崩す体調。そして精神的崩れ。


 その後躁鬱になり、それでも必死で戻してきたところで適応障害を起こし結局心の健康が安定しない。

 それでも、29歳から30歳までの間に、何度も躓きながらひとりで強く生きられるように、少しずつなってきたと思ったところで、胸に軟繊維種と良性石灰化、

 おっぱいマッサージとか、バストクリームとか必死に今までやってきたけど「もう大きくならないかな」と突きつけられ、これまでに、男性から言われてきた胸が小さいの言葉が、再び頭の中をぐるぐるして、何度も心に刃を突き刺されて、泣いて泣いてでも、毎日必死に生きていたところに、生理が止まり、


無排卵月経かも、


 と、30歳で突きつけられる。

 胸の大きい、3人も子を産んだ母には、わからないらしいこの悩み。



 誰にも言えないけど、ひとりで抱えるのは苦しすぎて、1〜2人くらいしか見ていないSNSに吐露した。



 でも、苦しさは増すばかりで、

 客観的に、落ち着いて状況整理でき、言語化することで少しばかり持っているものを手放せるnoteにきた。



 noteは、全世界的公開だけれど、


 誰か特定の人に吐露してしまうことで相手に、吐露した何かを押し付けてしまう苦しさもない。


 今は、"友人"のいない不特定多数に、ただ独り言のように放てる手段が、欲しかった。



 いったい、わたしが何をしたというのか。


 生まれつきの右脳梗塞と、それによる左上下肢麻痺、てんかん、そして第二次性徴がほとんどこないまま不安な16年間を過ごし、20代前半に躁鬱、躁鬱を自力で(もちろん友人たちの支えもある)何年もかけて寛解させたところで適応障害、それも必死に、強くなると決めて、


 転んでは起き上がり転んでは起き上がって、やっと最近、強くなってきたと思っていたところで


 胸はもう成長しないわね


 子ども授かりにくいかもしれないわね

 軟繊維種と良性だけど石灰化があるわね


 無排卵月経かもね


 あまりにも、抱えるには、重すぎて、もう、


 倒れてしまいそうなんだよ。


 それでも、強く生きろ、と、この世界は言うでしょう。この15年間、何度も男性から言われた「胸がない」を何度も言われて繰り返して、やっと仲のいい親愛なる友人にだけは、「そういうこと言わないでくれる」と言い返せるようになった。


 どう見られているんだろう、どう判断されているだろうと思ってきた。


 これで顔が、世の中的にいう美人なら、


 例えば橋本環奈さんだったら、
 中条あやみさんだったら、

 何もなかったかもしれないけれど

 わたしは残念ながら、そういう顔でもないし、
スタイルも菜々緒様や中条あやみ様や、もしくは
お胸やお尻の大きなグラドルみたいなものじゃない。


 ブスだと男性に陰で言われたり、面と向かって言われたり、会った瞬間に逃げられたり。


 顔でダメと言われ

 胸がないと言われ、

 お尻にも肉がつかないからそれも言われたり。


 美人でもなく胸も大きくなくスタイルも良くなかったら、


 そしておまけに、健康体でもなく体力もなく、身体麻痺も精神的崩れも持病もあって


 おまけに子を産みにくかったら、


たぶんわたしには、本当は頭が良い以外に、


 方法はなかったけれど、


 残念ながら手先も不器用オブ不器用だし、

 ADHD特性で日常生活も普通の仕事も困難ばかりきたしているし、


 おまけに頭が良くない。


 いや、いうてちゃんと名のある大学、大学院出て、教員免許持ってるじゃない、と言われるけど


 何もないわたしに必要な程度ではないし、特性と躁鬱がかなり影響して、本当に日々何もできなくなっていっていく一方で。


 ひとりで生きていくと決めたのならそれでいいけどわたしは、好きな人と生きていきたいと希望しているし、そうなるともう


 もうあとは、健康に子が産める、性格が良い、好きな人と釣り合う要素を増やすしかないわけだけど、


 そのわたしにとって重要要素の
健康に子が産めるが危ういとなると

 もうこの先、好きな人に、好きと伝えることすら躊躇う。


 もし仮に、好きな人がわたしを好きになってくれる、という幸せな恋愛関係が訪れたとしても


 わたしは、いま自分で抱えきれないほどの、このさまざまなものを、


 自分の好きな人に共有したり抱えさせることはしたくない。好きな人だからこそ、それは苦しい。し、多分、一緒に抱えて欲しいと甘えようとしたら、夜神くんの時と同じ結果になるんだろうなとも思う。


 癌やもっともっと命に関わる病気や重い障害や、そのほかさまざまな病気を抱える方々からしたら、


 何言ってんのこれだけのことで、


 と思われるかもしれない。


 でも、今のわたしには、もうこれだけで充分堪える。


 強く生きなければ、生きてこられなかった。


 でも、強くはなくて、


 おまけに過労以降、もう何も、

 頑張ったり抱えることができなくなって


 せめてこれ以上は、健康に生きさせて欲しいと願っていたのに、過労以降、まだ、まだ、と壁が現れる。




 泣いて、泣いて何日も泣いて。


 ひとりでベッドの中で泣いてもう涙が出てこないんじゃないかというくらい泣いたけどまだ涙は溢れて、


 でも、何も変わらなくて。

 帰省するたびに祖母に言われる

「若くてええなあ」

が、最近は特に、苦しかった。



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