若い人にこそ歳上のように。

 カフェで窓際の5席の左から2番目に座っていた。
私の左隣は70代くらいの女性。そして私、一つ席をあけて70〜80代くらいのご夫婦と思しき男女。(こういう時ご夫婦なんだろうなって勝手に思ってしまうのはなぜだろう。やっぱり私も、そういう人間なのかもしれない。これはちょっといけないね。でも、多分口調からしてそんな感じがするのでここでは旦那様と奥様という前提にさせていただこう。)

男性が1番端に座っていて、隣に座る奥様らしき女性に何かを話しかけているけれど、


男性の方も滑舌が明瞭ではなくなってきていて、女性の方はお耳が遠くなっていらっしゃるのか男性が3回くらい同じことを言ってやっと何を言ったのか聞こえているらしかった。(まあ、男性から数えて3つとなりに座る私にもところどころ単語しか聞こえないし、女性の声もところどころ単語しか聞こえないくらいだから隣同士でもそんなに聞こえないものかもしれない。)

 お昼過ぎのカフェ。女性はコーヒー系のアイスの飲み物、男性も同じ飲み物にしたらしい。仲が良い。


 仮にお二人が70代だったとしよう。

 いや、70代というと70歳から79歳まで幅広すぎるから間をとって75歳だとさせていただこう。


 75歳は30歳の私の2.5倍生きている。


 そうだよ、私の祖母が90歳で私とちょうど干支5回分違うのだもの。そのくらい違うもの。


 75歳の(と仮定した)彼らが私と同じ歳だった頃、45年前、日本は


 かの池袋のサンシャイン60ができた頃で
 今の成田国際空港(当時の新東京国際空港)ができた頃で、宇宙戦艦ヤマトやキャンディーズがブームで今もなぜか続く24時間テレビが始まった頃らしい。


 まあ、今もあるものはサンシャイン60くらいしか知らないけど。そうかあ、あの建物45年前からあるのか、なんか古い感じというか、昔からある感すごいなって池袋行くたびに思っていたけれど、そうか。45年前からあるのか。


 45年後、2068年になった時、仮に私がなぜか健康長寿に生きてしまって75歳になったとしよう。


 その頃、日本はまだあるのだろうか。


 2068年、小惑星アポフィスが地球に衝突するかもしれないと言われているからね。可能性としては0ではない、らしいよ。


 今で90歳前後の祖父母は流石にあと45年も生きていないと思うけれど(寿命が延びたとしても、あと45年も生きていたらね、立派に世界最高年齢限界突破だよね)人生100年時代って言われていて100歳超えている人も多いから45年後に107歳になる両親はもしかしたら生きている可能性がなくもない。いやあ、老老介護になるよこれは。


 最近、ご高齢と言われる年齢だろうというふうに見られる方をお見かけすると、毎度とは言わないけれど3回に1回くらいは、


 「若い時何をしていた方なんだろう」とか
 「長生きしていて楽しいかな」とかを思うし

 「年金どのくらいいただけてる人なんだろう」と思うことも稀にある。


 もちろん、しっかり若い頃に働いて働いてその恩恵を年金として今受け取っておられるのだろうからそれに関してどうこう思わないけれど、


 私たちの世代は、働けど働けど、生活楽にならず、将来もらえるお金はなく、生活楽にならないのに将来のお金は自分で貯金しとけと言われ、税金は上がっている。


 まあ、私は、非正規雇用で自立できていないから何か言える立場にないかもしれないけれど。


 子どもの数が増えなければ基本的には日本国民の数は増えてはいかない(帰化したとかね、国際結婚してなんとか〜で増えることはあったとしてもね)。でも、子どもを育てたくても、給与は上がらず税金はバカ上がりし、物価の高騰と給与の上昇率(もっと言えば手元に残るお金として手取り率)は全く比例しない。おまけに長寿国な上に医療は日々進化して、どんどん長生きになっているらしいから、今の制度(労働人口が、高齢者たちを支える仕組み)ではやっていけないのは明白。


 そんなことは、とうの昔から言われていたんじゃないかと思う。現に私の両親がまだ入社した頃である40年ほど前には、上司の人に「○○さんたちが年金もらえる年齢になる頃には、もう年金制度ないかもね〜」と言われていたそうだ。



 45年前、1978年は、高度経済成長期に比べれば上げ幅は少ないものの、日本の実質経済成長率は5.5%、2023年の実質GDP成長率が4.4%、

 これからもこのままでは少しずつ下がっていくのは明白だと言われている。


 この隣の男女は、いわゆる「団塊の世代」。

 対する私ギリゆとり世代。


 団塊の世代らしき方々に直接言われることはないのだけれど、新聞やメディアやネットを見ていると、大抵15年くらい前に、我々"大学生"くらいに向けて「君たちはゆとりか、僕たちの時代はね、」と言ってくる最高齢くらいのあたりだった。(大抵は、今の50〜60代の方に言われてきた気がするからX世代、いわゆるベビーブームの中で生まれた人たち?に言われた気がするけど。)

 でも、まとめて申し訳ないけれど50代の特に後半あたりからこの団塊の世代くらいの人たちが、もちろん全員ではないけれど

 「古い価値観」を特にすごく引きずっている気がする。大抵、電車で横柄な態度とってるおじさんおじいさん、とかもこのくらいな気がするし、平気で知らない街行く人(若い世代)にタメ口をいきなり使ってくるのもこのくらいの世代な気がするし、(そもそもなんで知らない人にタメ口で話しかけてくるんだろうって疑問はいつも思う。)


 いや、そういう人もいて私は違うとかいうこのくらいの世代の人がいるとしたら言いたいし、わたしも世代でまとめるのは良くないと思うけれど、やたら世代でまとめてくるのもこのくらいの年齢の人たち。


 ああ、嫌だなと思う。そしてその度に、
「いつかわたしもこういう風になるんだろうか」とも思う。


 私は、中高生の時代から、長生きしたいとは思っていなくて、できれば最高でも60代くらいで死にたいなって昔から思っていた。長生きしたいと思う人は、それでよろしいと思うけれど、でも長生きしたい人の気持ちはよくわからない。そもそも長生きしたいみたいな意欲があるのも私の父母世代(60代以上)、生きたいと強く生に対しての何か執念のようなものを感じるのも私の祖父母(80代後半以上)の方々のような気がしているし。それはそれでよろしいと思うけれど、

 長生きしたいと思っていないという話を、父母などに時折すると、「そんなことは言ってはならない」「おかしい」みたいに言われるのは、正直腹が立つ。


 私自身が、しかも希望として長生きしたいかしたくないか、の話しかしていないんだから、個人の自由意思やろ、と思う。


 それと同時に、ああ、"良い時代"を生きてきた人たちなんだなと思って、両親や祖父母との間に線を引く。そういう場面に直面するたび、線が引かれて、線は何本も何本も引かれて重なっている。


 これが、"分断"だな、と時折思う。


 線を引く、あるいは引かれる行為は、
分断なんだなと思う。


 先日、私の不用意な一言でたぶん、入り込みすぎたから、友人に線を引かれて、いや、壁を作られてもう私には友人の姿が見られなくなってしまった。向こうにいることはわかっているのに、友人の姿が見えない、会っても喋ってももらえない、これから先も何をしているのか何を頑張っているのかわからない。分断された。


 分断されたら、分断の状態では、同じ"世階"(※兼近大樹著.『むき出し』.2021より)には生きられない。


 「今の若い子達は」

 「私があなたたちの歳だった時は」 

と言われるたび、若者はその相手に線を引くだろうけれど、そもそもそういう言葉を発している本人が、その言葉を向けている相手との間に分断を作っている、だから、言われた側が線を引くのは当然のことの気がする。

 それでいて、「最近の子たちは付き合いが悪い」とかなんとか言ってくるとしたらお門違いじゃないだろうか。



 けれど、やっぱり、30歳の私ももう20代前半の子たちは、私とは世代が違くて、中高生になるともはや時代が違うなと思ってしまう。そして、そういう気持ちがあると、そういう態度で、「私たちとは時代が違うわね」「最近の子たちはもうなんだかわたしにはわからなくって」みたいな感じで接してしまうし、時には言葉としておそらく発している。


 でも、そういう言葉を言われる側の困惑を何度も経験しているから、本当はそんなこと絶対するべきじゃないって思う。

 中高生だけじゃなくて実のところ大学生の子たちにも思った。そしてこの夏、それを大学生の子達に言ってしまったと思う。


 別に若い子たちに何かを言おうとしたわけでもなかったはずだけれど、兎角、世代が違う人にこそ、世代の違いや時代の違いがある話はしない方が良いなとこの夏学んだ。


 むしろ、友のように、いや馴れ馴れしくした方がいいとかじゃなくてむしろ馴れ馴れしくしないほうが良いと思うのだけれど、

 そうだな友というよりは、むしろ一つ二つ上くらいの先輩のように(学生時代なら一つ二つ上の先輩となると上下関係がとなるけど、おそらく社会人以降の方なら、もちろん尊敬の念は持っていて、上司や先輩として仕事上扱ったとて、学生時代のようないわゆる上下関係とは違うから)扱うくらいの方が、さほど仲良くはない同級生のように意識的に接した方が良いと思う。


 それでもやはり、世代も時代も異なるけれど、もはやそれは"異文化交流的な視点"、つまり、"あなたたちの国(=コミュニティや価値観)ではこうなのね、私たちはこれが当たり前で生きてきたのよ、そうか、でもあなたたちはこれが常識なのね、なるほど"と、

 "理解はできないけれど否定はしないわ"とか
 "あなたたちが国(=コミュニティや価値観)をメインで動かすようになってきたから、それが今は主流なのよね、理解は難しいけど、今はこれが当然なのね"と

 受け入れる姿勢をむしろ見せてくれた方が良い。


 だっていまだに、わたし達子どもは親に
「今の子たちはやたら権利を主張する」
「昔は女の子はどうたら」
「結婚とは家と家の・・・」
「男が名前を変えるなんてあり得ない」
「女なのに結婚できないまま30なんて」

とかなんとかもううんざりするくらい言われるもの。


 その度に、わたしや弟や、私たち世代は、


 親との間に、祖父母との間に、

 はっきり線をあらためて引き直す。

 向こうが引いてくるその分断を、

 受け入れたくないからこちらから引き直している。


 そんなこともわからないで

 「最近の若い子は、親を敬えない」とか
「歳上を敬うのが常だろう」とか

 言わないでほしいわよね、あなたたちから私たちとの間に線を引いているんだから、


 はたして、90歳になったわたしの祖母は、
80前後の時に大学に通い、80代まではホテルのお料理教室にも通い、90歳になって今、スマホは日常使っているし、Chat GPTも何かを質問したりする程度だけど楽しんでいる。

 もちろん、祖母とわたしの間にも、世代間での理解し合えないことは山ほどある。60歳も違うから。

 けれど、祖母はここ10〜20年ほどでどんどんやわらかくなっていって、最近は「もうおばあちゃん歳やからな」が口癖ではあるものの、上記のようにスマホなども使おうとしているし、パソコンだって使うし大学に通っていた80前後の時にはレポートやレジュメ、パワポ資料も作っていたようである。よほど、わたしの両親より頭が柔らかくて、現代を知ろうとしているのがうかがえる。


 それでも、「ゆかまるちゃんは若くてええなあ」なんて言われると、やっぱりどこかで、

 この人たちの世代では、若さこそに高い価値がある何かがあるんだろうなと思うし、

 「結婚は?」と悪気なく聞かれると
結婚を希望しているわたしでも
「結婚することを当然のことだと思っているんだな」と思うし

 祖父母たちはまだそういう認識を持てていないだろうけれど、

両親が、いわゆるLGBTQ+だと認識して生きている方々に対して平気で
「男が男好きってことだよね」
「どっちが女の人の役割」みたいな感覚の言葉を口にするとやっぱりちょっとうーんと思う。



 今、ちょうど地上波ドラマで「昨日、何食べた?」の第二シーズンのドラマがやっている。西島秀俊さんと内野聖陽さんのダブル主演なのだけれど、

 わたしの中で、このドラマでひとつだけすごく引っかかっている部分がある。

 内野さん演じる賢二が、"女性らしい"振る舞いで、"女性らしい"言葉のようなものを使っているのは、まだそういう方だとして、


 なぜだか、その感じが、(西島秀俊さん演じる)シロさんと関わってくると、どうしても、


シロさん=いわゆる世間の彼氏役
賢二=彼女側

みたいな風に見えるのである。

もちろん、そういうカップルもいると思う。

でも、こういう同性カップルの場合、
別にどちらかが、いわゆる世間での彼女のイメージ、
もしくは逆に女性同士のカップルの場合にはどちらかが男性っぽい、みたいなイメージは、


ちょっと違うんじゃないかと思う。

そういう方も、いる。

そうじゃない方も、いる。


そういう見せ方にしなければ、なんだかな、と思うことが増える。


漫画の方はそんなに読んだことがないが、
このドラマの原作の最初は、弁護士であるシロさん=筧先生に対し、最初の場面で、同僚たちが、

 「彼女いるとは言ってたけど付き合ってもう3年は立つわよ」とか

 言われているが、今じゃこんなの噂する人たちの方がよほど、うわぁって感じだ。わたしからすれば。


 それから、スーパーでスイカを目当てにきていた主婦と半分こしないか、と言われて半分こすることになった筧は、思わずゲイだと告白してしまった場面で、その後その主婦は家族に、「この人ゲイなんだって!」と勝手に紹介している(これ、勝手なカミングアウトだよね)し、その娘は、「そんな優しいこと言ったらこの人お父さん好きになっちゃう!!」と、男性のゲイならどの男性でも食ってしまうような言い方をしている。


 ああこれは、良いところを扱っているんだろうなと思ったけれど。


個人的には、世界中にありふれているカップルの話(同性編)くらいの気分で観られるものだと思っていたし、とにかくシロさんのご飯をメインにもっとしてくれても良いと思うので(その点、今の所は内野さん演じる賢二の言動の感じ以外は、ご飯メインが多くて良いと思っている)そういうふうにドラマが作られていくことを願っている。


 話が思わずずれたが、とにかく、世代間分断を生んでいるのは、その分断の、昔からいた側にいた人たちで、それは自分たちの価値観(というとまとまってるけど本当は多分同じ世代の中にも、息苦しいなこの価値観と同じ世代の人に思っている人たちも多くいたと思う)を無意識に当たり前のものとして、前提としすぎて生きているからで、


 世代間だけでなくて、例えば性自認の話にしても、経済的格差にしても、他の何かの分断の話にしても、やはり、分断を作っている側が、
「彼ら」とは違う「我ら」を作っているんではないか。


 カフェの隣にいた70代くらいの男女達と私の間にある壁は、


 わたしの側が、「彼らにはわからない」と引いてる分がある。

 けれど、そうした世代の方々に
「最近の子たちは」と小さい頃から言われ続け、何度も何度も線を引かれて、括られてきた経験を繰り返してきたのも事実である。


 そして、やはり若い方たちを見ると、私たちの時とは全然時代が違くて、同じ人と思えない時があるくらい違いを突きつけられる時もある。そして自分が言われてきたのと同じように若い方達に「今の子たちって」と言ってしまうことがある。

 でも、個人的に、上の世代が「今の子たち」と話すとどうしても、どんなに気をつけてもそれだけで、上から下にものを言っている感が出るし、正直若い子達は、反応に困る。


 ああそうですか、とも言えないし、時代違うよとほんとに思うこともあるだろうし、だからなんだよとも思うだろう。で困るから笑って返してくれたりする。


 だから、若い世代に話しかける時には、やはり

 「若い子たちは」とか「私たちの時代は」とか「昔は、」とか「今の子達って」とかそういうのを、謙遜でも自虐でも、もちろん上から目線でも、まず話題にも言葉にもなるべくすべきではなく、

 若い世代に接するときこそ、尊敬の念を、他人様という意識を、持つようにした方がよろしいと思う。


 特に、見知らぬ若い人に平気でタメ語で話しかけてくる街の知らないおっさんたちよ、

 そういう姿を側から見ているだけで、

 ああ、この人は、そういう人なんだな、この人とは関わりたくないなって見ています。

 そしてこれは、私にも自戒したい。

#若い世代

#歳上

#団塊の世代

#世代間ギャップ

#世代間との関わり



そう言えば、たしか、『20代で得た知見』という本にも

年上は年下のように扱った方がよい。
案外可愛い、
年下は年上のように扱う方がよい
年齢の割に大人びている所、経験豊かであるところがある

というようなことが書いてあった気がする。


本当にその通りだと、すとんと落ちた。


#昨日何食べた

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